エボルタ君の東海道五十三次

2010年11月23日 (火)

EVOLTA君GOAL!!

今日、2010年11月22日(月)15時33分
エボルタ君は、東海道五十三次を歩ききり、ゴールである京都三条大橋に到着した


ちょっと、この企画には感慨深いものがあり、長くなる


じ~きたがこのチャレンジを知ったのは、スタートしてから数日後、
平塚宿への挑戦道中あたりだ

このブログでも記事にしているように、
バイクを使っての雑なやり方ではあったが、
東海道を平塚あたりから愛知一宮あたりまで走ってみたり、
東海道本線と山陽本線の各駅停車を使って、東京から九州まで行くなどしてきた

そういう私の趣味性と、
この企画とが共鳴するのは当然で、
ホームページを見た瞬間、このイベントに完全に取り憑かれ、
以後、出掛ける用事がなければ、

在宅勤務と
マルチモニタの利点を最大限活用して、
仕事中も、各地
に残る街道筋の風情と、エボルタ君のカラッコロッという音を楽しんでいた


本当に楽しかった


それにしても、この企画は、幾つかの、大変感謝すべきポイントを持っていた

まず、2ヶ月間ほぼ毎日続けられた実証実験を、完全生中継してくれたということ

宣伝効果を狙った実証実験という性質上、その刻一刻は余すこと無く重要な場面になる
従って、編集という魔法の手を介在させない生中継は当然の選択だっただろう

そのメディアとして、番組を長時間分断するCMの存在しないネット中継「
USTREAM」を利用した意義は大きい
番組編成という構造を持つTVでは、その日の中継時間も不安定且つ長時間で、
天候によっては中断、場合によってはその日一日取りやめになる実験の生中継を、
これだけ長期間続けることは不可能だった

この生中継によって、
現地に居なくとも、数多のトラブルやハプニングをリアルタイムで目撃できたし、
沿道の児童生徒や、こんな珍客も、時間を無駄にすることなく、一行を待ち構え応援出来たのだと思う
こういったギャラリーは、時に一行を苦悩させる存在でもあったようだが、
結果的にこの生中継の絶大な効果を証明する証言者にもなった


次に、
生中継の補完情報源として、リアルタイムツール「twitter」が効果的に機能したこと

何らかのトラブルによって中継が中断した際にも、
twitterによって、それが個々のPCのトラブルか、配信側のトラブルかを把握できたし、
各地各所でエボルタ一行に情報や知識の不足があった場面でも、
視聴者からの情報提供を募ることによって、即時的に情報を得ることが出来ていたのは、
一行にとって大変有意義だったに違いない
また、twitterがあることによって、電波が弱く中継が断続状態に陥って目も当てられないような時でも、
何が起きているか理解できない、というストレスを感じることなく、
その瞬間すら楽しみの一つとして受け入れることが出来たと思っている

じ~きたは結局ユーザー登録せず、ツイートには参加しなかったが、
それでも、情報源として、多くの方から寄せられるtwitterのタイムラインは充分有意義だった


さらに、これらのリアルタイムツールと参加者の力によって、
舞台裏のおもしろさを享受できたこと

一部の区間では、行動力のある視聴者がエボルタ一行に合流し、私物カメラから独自に生中継を配信していた
その上、公式カメラの画像と2画面並べて配信するページで視聴できたことによって、
スタッフの活躍振りを、その場にいるかのようにリアルに感じることができた
また、配信トラブルや一行の食事休憩中など、配信が途絶えたり、
待ち受けスケッチの(ほぼ)静止画(これも楽しみだったが)になってしまった時でも、
一行に合流している応援者が、twitterに
状況報告を流してくれたことによって、
メンテナンスの状況や、出発の予定時刻などのスタッフの打合せ内容を得ることもでき、
舞台裏の生々しさを肌で感じることができた

Photo
最終日の待ち受けスケッチから(スクリーンショット)


最後に、エンタテインメント性を適度に織り込んだこと

まぁ、ハッキリ言って、一般の視聴者は実証実験の検証者である必要はない
それぞれの楽しみ方が出来ればいいわけで、
それは、ひたすら健気に歩くエボルタ君の姿に癒されることだったり、
沿道の長閑な風景をつぶさに見ることであったり、
スタッフの活躍する姿に感心することであったり等々、
実に様々な楽しみ方があったことだと思う

しかし、いずれにしても、一行がただ黙々と歩き続けていては、
それはそれは味気のない生中継に終始したことと思うし、
沿道の方を、これほどまでに応援しようと思わせられなかったと思う

その点で、エボルタ君を先導したシスターズの存在は大きい

中でもその
3/4を占めた吉本興業所属の芸人・タレントによって、
スタッフ一同に、一種の楽しませる気概が醸成され、
そのことで、この生中継がより魅力的になっていったことは、特筆に値する

敢えて、ブログだから、個人的な感想を言わせて貰えば、特に4女VITAの存在は偉大だった

実は、初めて彼女が誘導するのを見た時は、ハラハラドキドキだった
何かまずいことを言うのではなかろうか、とか、
エボルタ君を壊してしまうのではなかろうか、とさえ感じた

しかし、彼女自身この2ヶ月間で変わったのかもしれないが、

スタッフを和ませる重要な言葉を次々と発していったし、
この実証実験をただの実験たらしめることなく、
旅する楽しみを見る者に与えてくれたと思うし
見たくなる、出迎えたくなる雰囲気のキッカケを作り上げたと思う

地元のメディアが取り上げた効果も大きいだろう
もしかすると、パナソニックが取材してくれと依頼したのかもしれない
しかし、インターネットの、それもかなり最先端のツールを使ったイベントであったにも関わらず、
地元の住民が飛びついたのは、中継を見て、その楽しそうな雰囲気を感じたからではないだろうか?
日を追う毎に、時には98歳のおばあちゃんまで、実に幅広い年齢の住民が、
外に出てきて歓迎、応援していたのは、きっと、お年寄りにまで、
「なんか面白そうな奴らが来るぞ」、と感じさせる雰囲気を作り上げたからだろう

シスターズは、その功労者である


このイベント自体が一企業の宣伝であることは重々承知である
日産自動車のEV実証実験との遭遇がスポイルされたあたりは、
大企業の抜き差しならない「事情」が見え隠れする一つの象徴的な出来事だった

しかし、飛び抜けて長い期間の実験企画を徹頭徹尾生中継したことによって、
単なる一企業の実証実験という側面を大きく凌駕する、一つのムーブメントになったことはほぼ間違いない
旅程の終盤は、沿道が殆どお祭り状態で、町興しになってしまっていたのだから


今も、多くの人が、徒歩で東海道五十三次を歩いている
そして、これからも、エボルタ君の影響も含みつつ、多くの人が東海道を踏破することだろう

しかし、その誰もが、エボルタ君ご一行のような歓待を受けることはできない

多くの人に愛されるキャラクター「エボルタ君」を開発したこと
とにかく生中継し続けたこと
シスターズを始めとするスタッフ一人一人が、生中継を彩ったこと
視聴者の数が表示されるメディアを用いたことによって、応援しに行く勇気を多くの人に与えたたこと

各地のフィーバーぶりは、これら、この企画が持っていた幾つもの面が非常にうまく機能して、
多くの人の共感を得ることができたということを見せつけられる光景だった




今日の最終日

滋賀県の大津宿を出るときは、最後の走行という感慨はさほど湧かなかった

それは、宿場町に共通する古い街並みの優しさと、
反面、いつものように、小さな歩行者には厳しい道路環境、
大人の人間でさえ、生身で歩くのが恐ろしげな自動車社会の実態を目の当たりにし続けたからだと思う
雨という天候も、チャレンジの無事を心配させ、最後という感慨に耽させなかった

しかし、逢坂峠を下り、蹴上浄水場前を京都市街方面に折れたその時、
眼下に
京都の町が広がって、漸く、最終区間であることを実感した

9月23日(木・祝)に日本橋を出発してからほぼ2ヶ月
500kmの道程と幾多の難関を乗り越え、走り続けたエボルタ君の挑戦は
名残の雨降る中、その終わりを告げた

Photo_2
エボルタ一行ゴール直後のスクリーンショット

雨を避けつつ、時間の調整をしながら、やっとたどり着いたゴール
歓喜の後の女性陣の頬には、やはり、涙が光っていた


終わってしまうと思うと、正直とても残念だった
多くの人が、異口同音にツイートしていた中、誰かが慰めるようにツイートしていた
「終わりがあるから、旅を続けられるんです」
なるほど、そうかもしれない

正直、直接見に行きたかった
会って、愛でてやりたかった
でも、行かなくて良かった
行っていれば、きっと今はもっと淋しいだろうから

エボルタ君、そしてご一行の皆様
三条大橋ゴールおめでとう
この一ヶ月半、心から楽しませて貰いました
どうもありがとうございました


そして、小さな勇姿に・・・・深謝

Photo_3
琵琶湖に臨むエボルタ君(スクリーンショット)

2010年11月17日 (水)

エボルタ君の歩く宿

日曜日、予定どおり、エボルタ君が関宿に到着した

かなり長い時間・・・・一時間ぐらいかな?
あの街並みを歩く緑色のエボルタ君とスタッフご一行が、
USTREAMで生中継された

坂の上からエボルタ君を待ち受けるアングルが素晴しかったな

連なる軒先に囲まれるようにして、
土道のように美装化された東海道の端っこを、車を避けてゆっくりゆっくり近づいてくる
遠目からは、牽引しているシスターズしか見えないのだけれど

美しい街並みを取材するのとは異なるカメラマンの
視点で、
あれだけ長い時間、
関宿の街並みを見る機会はそうはないだろう
カメラマンに、街並みに対する先入観が無い様子が素直な絵面に表れていて
とてもすがすがしく見ることが出来た


宿場時代。入った宿のツシ二階に胡座をかき、街道を見下ろして一服した旅人は、
きっと、あれと殆ど同じ光景を眺めていたんだろう

旅人や、大八車に乗った荷物や、それ引く馬や牛が、坂を上ってくる

旅人は、編み笠の下から、街並みを少し見上げるようにして、今日の宿を品定めしたのだろうか?
うかうかしていると、宿や飯屋、飲み屋の客引き婆に袖を引っぱられたり
綺麗なお姉さんに
媚を売られ、おどおどしている様子を面白がってたりして・・・・

所々で声を掛けられるまま、店先の床几に腰掛け、
ばあちゃんの茶飲み話の相手をするシスターズの風情は、
そんな昔の光景とさして変わらないだろう


一行は、揃いの白いウインドブレーカーを着ている
飾り気のない黒い鞄を袈裟懸けにして、チャレンジに必要な荷物を背負って
下半身はパンツルックで、足下はスニーカーという、まこと現代の服装である

イベントで東海道を歩くからといって、変に時代じみた衣装を着けていないところが偉い
それが却って、歴史的というか、自然なのだ
広重の五十三次の版画に描かれている旅人は、時代衣装を身につけているわけではなく
あれが、その当時の旅行者の普通の服装なのだから

だからこそ、見る者は、自由な思いで古い道の歴史や景観を冷静に眺めていられるのだろうし、
各地の、祭りかsign02
と突っ込みたくなるほどの歓迎ぶりを見ても、
ただの客寄せイベントではない、自然な印象を抱くことができるのだと思う


もちろん、歓迎する側は、思いもよらず降って湧いたイベントに、ここが先途と懸命なんだろうけれど、
一行の服装や言動に、ゲスト意識が殆どなく、一方的に歓迎されている風情がいいのだ


関宿を後にした一行が辿った、峠の手前のその名も坂下宿、
峠を越えた先の猪ノ鼻(間の宿)、土山宿など、
私はその存在すら知らなかったが、いずれも見応えがあった

特に、土山宿は関宿と同じく、峠を控えた大宿場
しかし、地理的条件で、観光に不向きだったのだろう
関と遜色無さそうな規模のようだが、実にひっそりと、自然な佇まいが残っている
その自然さは、多くの観光地が失いつつあるものだ

鈴鹿峠を挟んで、あんなに綺麗な宿場街があるとは知らなかった
 
今度、是非訪れてみよう

2010年11月14日 (日)

東海道関宿

和歌山へのルートには、東名阪道の亀山JCTから名阪国道を利用している
亀山JCTは、数年に渡る改良工事によってずいぶんと形が変わったが、
変わらないのは、
東海道53次の内、47次の関宿至近であるということだ

当たり前か


天気に恵まれ、気が向けば、ここに立ち寄る

関宿は、東海道中で唯一、伝建地区指定されている宿場町だ

東海道は高速道路や新幹線が通り、沿線は単なる通過点という様相になりつつある
が、それらが通されるほど、今でも重要な都市が連なるベルト地帯であるのは事実だ
重要な都市であり続けたことによって、
それら多くの宿場町は時代時代の要請に応じてその機能や景観を変貌させ、
現代まで生き続けてきたわけである

だから、古い街並みなんてとっくの昔になくなっているのだ

しかし、東海道本線も名神高速道路も東海道新幹線も
短絡路を取るために、名古屋から関ヶ原を抜け、米原を経由したせいで
旧来の鈴鹿越えの東海道は、
現代のメインルートから完全に切り離され
亀山にも、関にも、景観を変貌させなければ対応できないほどの
新時代の要請はほぼ無く、
結果として古い街並みが残ったわけだ
日本各地の古い街並みは、全てそうした理由で残っている

関宿は鈴鹿峠越えを控えた宿だっただけに、街の規模がひときわ大きい

差し渡し2km程は連なる巨大な宿場である

大きな川や峠の前後では、人も荷物も滞留するから、
ただ一宿一飯を供する宿だけでは不十分で、
倉庫業、運輸業、金融業、人材派遣業、治安維持組織から宗教施設まで、ありとあらゆる機能が必要となる
勢い、建物も街の規模も雪だるま式に大きくなるのだ

それだけに、裕福な家柄も多かったのだろう
街並みが残る社会的な背景としては、街が時代に取り残されたということに他ならないが、
一軒一軒の建物が良好に残っているのは、少なくとも戦後暫くは個々の家庭が豊かだったことによる

S03 
S02_2
鈴鹿山脈を望む(2005年撮影)

鈴鹿峠に向かって緩やかに上り続ける道がまた美しい
低い軒先のその先には、鈴鹿の山々を抱いている

一軒一軒の建物の軒の高さと、背景の山並みとの馴染み加減
街並みの中央あたりには、寺が道をほんの少し曲げ、
長々と続き凡庸になりつつある景観にアクセントを与えている

なんという美的センスの高さ・・・・
凄すぎて憎いほどだ

街並みを貫く東海道はほぼ真西に伸びるので、夕暮れ時には、こんな美観をプレゼントしてくれる

S01

1997年撮影

以前のエントリーで取り上げた静岡県の横須賀もいい
ああいうほのぼのとした街並みも素晴しい
しかし、関宿の存在感は別格だ
でも、みんながみんな関のようである必要はないよ、ということだ


今日、エボルタ君がこの関宿に辿り着く
この、美術品のような街並みを、エボルタ君とあの一行が歩く光景はどんなものだろう

とても楽しみだ

2010年11月 7日 (日)

あつた蓬莱軒本店陣屋

和歌山への行き帰りに、数度立ち寄って、名物のひつまぶしを食べたことがある
ここでひつまぶしを食べて、名阪国道を経由して阪和道を走れば、和歌山の家に着くのは夕方の7時頃
中央道を走れば、埼玉の家に着くのは夜の11時過ぎだ

行くのは決まってお盆休みだから、いつも大変な混みようだった
1時間半とか2時間とか待ったのではないかな?
店先は小さな庭が設えてあって、小さいつくばいがあった
玄関にはちゃんと下駄箱があるが、そんなものでは収まりきれない数の客である
土間には脱いだ靴がぎっしりと敷き詰められているような状況だった
名古屋のあの辺りは地名からしても暑(熱)そうだが、事実暑い
大阪と同様、カラカラに渇く砂地の土地柄に真夏の太陽が降り注ぐ
外で待っている間はなかなかの根性が必要だ
建物に入ってからでも、廊下に座って待つような混みようである

座敷で頂く鰻のひつまぶしは、確かに美味い
う巻きやうざく、肝焼きも頂いたことがあるが、混んでいるのにちゃんと美味しいものを出してくれた
数年に一度の旅行で立ち寄るなら、あの値段も受け入れられる

何故、この本店が「陣屋」という屋号を持っているのか、気になってはいたが、そのままでいた
それが、今日わかった

東海道宮宿の本陣跡なのだそうだ

今日、
その「あつた蓬莱軒本店陣屋」の裏をゴール地点に、エボルタ君が到着した
凄い。名古屋に着いてしまった
見始めた頃は神奈川の藤沢辺りだったのに

確か、今年、女将さんが亡くなり、新聞にも訃報が出ていた
「ひつまぶし」を商標登録せず、名古屋の名物にした立て役者だったとか
ご存命なら、きっとエボルタ君の到着を出迎えたことだろう
今日、橙色の着物で出迎えていたのは、新しい女将さんだろうか?


多くの客と相席になる飲食店で写真を撮るのは嫌いなので
この記事に見合う写真はない
たまには、写真のない記事があってもいいか

って、さっきの椿屋の記事も写真がなかったではないか

まぁ、いいでしょう


あつた蓬莱軒本店陣屋

2010年11月 3日 (水)

音羽蒲郡

11年前、バイクで国道1号を走った時、
幾つか寄り道した、旧宿場町の一つが音羽だった

しかし、東海道に音羽という宿はない

今日、エボルタ君がその辺りを走行しているのだが、
そのインフォメーションを見ると、音羽宿だと思っていた辺りは、どうも赤坂宿、御油宿のようだ
古い千本格子窓の家並みがよく残っていた

何も調べずに、ただ東海道を走りたいという願望だけで飛び出した、
無知な自分が残念でならない

良く晴れた秋空の下、エボルタ君は快調に進んでいる
既に、日本橋から300kmを越えた

バイクで行ったこと自体はいい思い出だ
が、歩けばもっと楽しいだろうな

P1030029

2010年10月27日 (水)

東海道新居宿

やっぱり、徒歩での諸国漫遊に憧れているのかな?
エボルタ君の東海道チャレンジから目が離せない

今日は、舞阪から新居宿を目指している
浜名湖の弁天島を越すルートだ

6年前、弁天島近傍の山本亭という鰻屋で鰻を食べたことがある
旨い鰻だった

その時に、前々から新幹線の車窓から見えて気になっていた新居の関所あたりを歩いた

新幹線の車窓からは、「日本唯一の完全遺構」とか書いてあるのが見えた記憶があるのだが、
甲武往還の栃本関にも残っているので、唯一ってのは記憶違いかもしれない

S03

全景写真があまりに下手で載せられないのが残念だ

建物は、閑谷学校に似た庇の掛け方をした、大きいけれどもつましいものである

左が、旅人が披見される白州で、右の座敷が役人の座
機能を失って140年ほど経っているのだろうが、
不思議と今も緊張感が辺りを支配している気がする
関所と思って見ているこちらの錯覚か、デザインの為せる技か

昔の舞阪-新居間は船でしか行き来できず、
その土地的特徴から、重要な関所だったようだ

ところが、浜名湖の内陸側対岸には、火防で高名な秋葉神社の総本社がある
こっちを通って新居の関所をパスするというルートがあったようだ
例の、泉光院の日記にその記載が残っている
さすが、日本人

ところで、関所の目の前は新居の宿場である

紀伊国屋という旅籠が綺麗に改修されて公開されている

そのウラに、ちょっと雰囲気のいい街並みが残っていた

S01  S02

新幹線ならば、一瞬で通り過ぎるこのような場所に、
ほのぼのとした街道が残っている

時間を忘れてそこに身を置き、かつての旅人の姿を想像する
大抵、そこには過剰な郷愁とか、憧憬が入り交じってしまうものだ
鉄道も、車道も、歩道もない、海と浜と松並木と木造の軒の連なる街道を歩くって、どんなものだろう?

でも、その頃の日本人は、東海道を旅することにロマンなんて感じていなかったかもしれない
それが当たり前なんだから

いや、どうだろう?

現代日本人にも、何の感興もなく新幹線に乗っている人もいれば、
旅への希望や、ときめく気持ちを胸に抱いて車窓を眺める旅人もいるわけだ
江戸時代だって、毎日の仕事で通る人もいれば、一生一度の大旅行で名残惜しく通る人もいただろう
当時も、今も、そんなに変わらないかもしれない
所詮は、日本人なんだから


エボルタ君はもう間もなく新居関に着くようだ
三十一次目・・・・よくもあそこまで歩いたものだ

2010年10月24日 (日)

袋井(というか掛川(というか横須賀))

エボルタ君が袋井に到着した

11年前のバイク旅では、きっとバイパスを通過したのだろう
袋井なんて全く記憶にない

一昨年、ちっちゃな文化展を見に行って、その存在を知ったようなものだ

その際は、東海道五十三次の中間点だとは知らず、
品川から東海道在来線で行ったのだが、ハッキリ言って遠かった

静岡より向こうだもんなぁ

いつか記事にしようと思っているが、
東海道線、山陽線、鹿児島本線の普通列車(たまに快速列車)を乗り継いで、

熊本まで行ったことがあるのだが、その経験を持ってしても、袋井までは遠かった

横須賀は、その袋井駅前からさらにバスで30分ほど離れている
道中は田園風景、というより、海沿いの
茫漠たる平原という印象だ
曇天だったからかもしれない


2本ほどの道筋で構成された街並みは2kmほど連なっていた
各地の古い街をそれなりに見た目からすれば、この街はなかなかのモノである

S02

こうやってみると、何が良いのかお判りにならない方も多いと思う

この写真では、きっとその良さを伝えることは出来ない

要するに写真が下手なのだ

街並みというものは、いわゆる立派な建物が連なっている必要はないと思う
もちろん、埼玉の川越とか、岐阜の高山とか、三重の関とか、奈良の今井とか、愛媛の内子とか、
それぞれ素晴しい景観ではあるけれども、
一方で、この横須賀のように、
一軒一軒の建物がそんなに立派でなくても、
建物の残り方であったり、道の狭さであったり、軒の低さであったり、

上空との一体感であったり
営業している商店の種類であったりするものが、
一つの雰囲気といったものを醸成しているかどうかで決まると思うのである


まぁ、好みの問題なのかもしれないけれど
 
町内に足袋屋があったのは立派だっ
ここは春の祭りが有名で、その祭りで使う足袋を一手に引き受けているそうだ
そんな街はなかなか無い
記念に一足買わせてもらったが、残念なことに少々大きかった
でも、底に補強の布が縫いつけてあるお祭り用の特殊な足袋は、良い記念になっている

それに、こんな小さな街に醤油醸造元が残っているのも立派だ
昔ながらの醸造蔵に入らせてもらったが、木桶で仕込んでいた
香りの良い醤油だった


S01

街並みのほぼ中央にある横須賀のシンボル的存在の旅館、八百甚

未だに「八百甚」という江戸的屋号を使い続けているところが偉い
玄関を入ると真っ正面に二階への階段があるような
典型的な古式ゆかしい立派な旅館である
ここは、参加している芸術家の楽屋に使われていた


このように、殆ど観光美装化していない昔ながらの街道筋の風景は、
こういう陸の孤島のような町にしか残っていない
お住まいの方には失礼な言い方になるかもしれないけれど
 
ご厄介になったお宅では、有名な版画家の佐野せいじさんが店を開いていた
(知らなかったけど(゚ー゚;
)
一緒に食卓を囲んでお話ししたが、穏やかで物静かな、芸術家っぽくない方だった


ここで、今年も、今日まで「遠州横須賀街道ちっちゃな文化展」が開かれている


この街を、193年前の9月19日に、野田泉光院が托鉢していた
もし、ここをエボルタ君が通過することになっていたら、大変なことになっていただろうな

2010年10月19日 (火)

エボルタ君の人気

エボルタ君東海道五十三次が人気だ(と思う)

行く先々のマスコミが取材をしていて、それを新聞やテレビで取り上げているのだろう
沿道には、大勢の見物人が集まっている

昨日の10月17日は、東静岡周辺を通過するということで、
機動戦士ガンダムの実物大と対面するというイベントが組まれていた

平日のエボルタ君だけでも大人気なのに、
休日にイベント会場で機動戦士ガンダムと対面なんて、
大変なことになるだろうな、と想像していたら、やっぱり大変なことになっていた

もうモミクチャである
幸い、エボルタ君の進む姿からは、人垣をよけさせる神々しさというか、
健気さが放たれていて、進路を阻まれるというようなことはなかったが、
中継カメラマン氏が気の毒であった

身長18mの張りぼての前に立つ、身長17cmの本物のマシン
180kmを歩いてきた事実は、ガンダムの大きさに全く負けない、
見えない迫力となって、エボルタ君の存在に輝きを加えていた

エボルタ君は間違いなく可愛い。そして健気だ。
会いに行きたくなるし、応援したくなる要素が満載だ
それはそれは・・・・憎いほどである(笑)

しかし、こういう大変な人気を見ていると、
みなさんにチャレンジの本分を見失わないでほしいと思うのである

早朝にスタートすることが多いこのチャレンジは、
早朝の中継を見ているとホッとする
それは、ギャラリーも皆無で、ただひたすら東海道を歩き通すという
チャレンジの本質がヒシヒシと伝わってくるからだと思う

カタコトカタコトと軽快な歩行音を立てて、脇目も振らずひたすら前に進むその姿こそ、
エボルタ君の人気の本質である

とは言っても、あのデザイン力も凄いんだけど・・・・(笑)

エボルタ君はロボットで、その姿も手塚アニメのように未来的である
でも、僕は彼のその姿に、懐かしさというか、古いものへの憧憬のようなものを感じる

猛スピードですれ違い、追い越していく自動車の横をひたすら歩く
あんなに未来的な姿なのに、やっている行為はまるっきり昔の旅人
見る者を昔のままの東海道中している気持ちにさせてくれる、
健気なチャレンジャーだ

どうか、彼のチャレンジそのものを、そっと見守ってほしいと思う


エボルタ君の写真は無いので、ちょっとだけ縁のありそうな写真を
北埼玉では有名(?)な、ガンダムファンの聖地(か?)

P1030061

屋号は「サイドセブン」
ビルは「キャスバルビルディング」
ガンプラ専門店だそうだが、店は休みだった
(開店していても入らなかったと思うけど)

ちなみに、手前のバイクは私のものだ

2010年10月10日 (日)

東海道五十三次

パナソニックの電池「EVOLTA」のキャンペーンで、
エボルタ君という小さなロボットが、東海道を歩いている

リヤカーを引いているような外観もさることながら、
カタコトカタコトという走行音がなんとも可愛い

USTREAMでライブ配信されているせいか、日々、人気が上昇しているようだ
さらに今日は連休とあってか、多くのギャラリーを連れて走行している


バイクで、この東海道を大阪まで走る旅に出たことがある
11年前、
免許を取ってすぐのことだ

今日、エボルタ君は静岡県の三島から沼津まで歩いている

その辺りの思い出といえば、
箱根を越えて
三島に向かう途中の、芦ノ湖を見下ろす急な下り坂で、
ヘアピンカーブを曲がりきれず、思いっきり反対車線に飛び出したことがあった

いよいよ三島の平野に下りきる手前の、緩やかに続く下りカーブから見えた、
駿河湾の広々とした眺めが美しかったな

新幹線よりも東海道線、東名高速よりも東海道
時間だけが有り余っていた、転職中の思い出だ

結局、約束の時間に間に合いそうになくなり、
愛知一宮から名神高速に乗った
約束していたのは、大阪の記事でも書いたイタリア料理店でのディナー
一緒にテーブルを挟んだのは、にっこり微笑む可愛い彼女・・・・



ではなく、あの祖母だった

ロマンはないが、孝行ではあったと思う


ところで、男ならではの旅のカタチというものがある

S060923_1051

こんなふうに、車やバイクで延々大阪を目指すなんて、男のすることであって、
女子の旅のカタチではないと思う


ちなみに、この写真はその時のものではないが、追い越し車線を走っているバイクは私だ
4年前の会津への旅でこの写真を撮ってくれたY君、拝借したよ

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