読書

2012年4月 5日 (木)

幸田露伴の「対髑髏」

まったく、しんみりとした結末である

負けず嫌いの主人公が、引き留めの言葉も聞かず、
真冬の峠越えを一人で強行した末に体験する、一夜の臨死体験のような物語である


とても悲しいファンタジーといった風情だ


怪我を負い、履き物も壊れ、日も暮れかけ、強気に出発した意気もさすがに萎えはじめたころ、
主人公は、一軒の家に辿り着く


ほかに何も無いところに、ぽつんと在るその家に、せめて履物だけでも分けてもらおうと、藁をも掴む思いで尋ねた主人公は、
思いがけず、無償の博愛とも、誘惑とも受け取れる、異常なまでの親切を一晩の間甘受する


その間の二人の意地の張り合いと、男女の心理描写がなんとも味わい深く、面白い



しかし、その長い一夜の後の、それを幻と気付いた翌朝の明けてからのくだりが、実にすばらしい

文体も、おそらく意識的にあっさりとしたものに変えている
私には、そこに描かれた主人公の心持がとても感動的で、つい、ホロリとしてしまうのだ



夜が明けると、そこには、一宿一飯のもてなしを受けたはずの家はなく、
ただ、茶色く枯れたススキの株があるだけ
そのススキの株を有り難そうにしゃがみこんでいた自分にも驚かず、目の前に転がる小さな髑髏を見ても驚かない


心に何一つ波風立てずに、すべてを悟った彼は穴を掘ってその髑髏を埋葬し、そっと手を合わせるのだ


麓に辿り着いた主人公は、髑髏の主が、今で言えばらい病を患っていたことを知る

それを理由に、玉の輿にも乗らず、やがて時が経ち、発病し醜い身なりになってのち、
無念を抱きつつ、かの山に一人身を投じ、誰知れず命を落としていたのだ

道行く旅人を相手に、生前の恋の話を、恨み辛みを話して聞かせ、自らを慰めようとしていたのだろう

読んでいると、幻として描かれるその女性の美しさと妖艶さと、発病後の痛ましい姿との激しいギャップに愕然とする

しかし、その醜い最後の姿を聞いても、主人公はなんの感情も表に出さない


一夜の恩義に、現実には醜い最期を迎えた一人の女性を、心から悼んだのだろう



「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、お陰様で昨夜は面白うござりました」


主人公が、小さな髑髏を土に埋め、何事もなかったように、驚きもせず、
手を合わせて発するこの一言が、優しくて切なくて悲しい



この描写が、わずか30文字x16行でなされている

その淡白さが、この情景に実にしっくりとしている

幸田露伴の力量が、まさにここに現れていると思う




「対髑髏」は、一般刊行物としては手に入れにくいタイトルだと思う
青空文庫でも未だ作業中の未公開作品だ
私は、昭和38年刊行の岩波の露伴全集での二度目の読破だが、旧字体、旧文体でかなり読みにくい


しかし、その読みにくい活字の向こうに浮かび上がる情景は、とても鮮やかで、切ない

2011年1月25日 (火)

磯田道史の「武士の家計簿」

映画化されたと聞いて、驚いた

著者は筑波大の助教
内容は、研究論文を読み物に纏めた新書である

なんでこれが、映画の、それもタイトルにまで使われるのか

まぁ、この本が扱っている対象は、
幕末から明治維新、明治初期までの間の、
ある一家が残した詳細な家計簿だから、時代考証の文献に使われるとか、
映画のストーリーの参考に使われるのならわかるのだが、
映画のタイトルが書籍そのままというのが不思議だ


今回、映画化されると聞いたので、2008年に読んだ蔵書を読み返してみている


ネタは、金沢藩の会計係の役人一家の会計記録である

趣味で付けた家計簿というより、借金に苦しんで必然的に付けたようなので、
よほど事細かに記録されているらしい
収入額とその内容、冠婚葬祭の出費、その内訳、
家督相続の状況などなど、
一家の生活が赤裸々に語られているようなのだ
金がなくて借金まみれなので、
家財道具を売りさばいた明細が残っていたり、
お祝いのお膳に出す鯛を模造品(絵!)で誤魔化したことまで記録しているそうだ

まぁ、悲哀が伝わってくると表現すればいいのだろうか

私も個人事業主で、確定申告をしているので、会計簿、出納帳のようなものをつけている
確かに、いつ、何をして、いくら掛かったのか、どんな節約をしたのかが、
Excelの無機質な表からでも窺い知ることができる。
備考欄や、別途付けている日記を併せると、後日あるいは後の時代になれば、
現在の社会や(貧乏人の)金銭感覚を知るよすがになることだろう

はは~ん、当時、都営バスは200円均一料金なんだ、とか
一部の路線は学割で利用者全員が170円で利用できたんだ、とか
それを節約するために渋谷から病院まで歩いたんだなこの人は、とか
おぉ、ジェネリックを選んで1,000円も節約できたんだ、とか

とかとか


武士の家計簿の主人公とは、なんというか、こう・・・・格が違うな


この武士の家計簿からは、収入を上回る支出に苦しみながら、
それでも身仕舞いを整えて、身分相応に振る舞おうとする、
お気の毒な武士の姿が滲み出てくる

幕末から明治にかけて生き通した一家の記録は、
一方で、坂本龍馬のような同じ武士(龍馬は脱藩の浪士だけど)が、
同じ日本で凄まじい生き方をしていたその日常が、
どのような日々であったのかをしっかりと伝えてくれる

財政に苦しむ
国と、それなりに活況な市場という日本の今の状況とよく似ている
まぁ、時代こそ違うものの、所詮日本人なんだから、そうそう変わらないか



私も緊迫した財政状況故、映画まで見ようとは思わないけど

この手の学術論文系新書としては、かなり読み応えもあり、面白い本である

Sp1030163
08年に買った時点で32刷。ベストセラーだ

2010年11月26日 (金)

青空文庫よありがとう

さて・・・・

昨日の記事で紹介した、幸田露伴の「風流佛」や「雁坂越」
私は、昭和38年(1963)発行の日本現代文学全集で読んだ

これは、現在の出版書籍の底本にもなっている、割と有名な本のようだ

昭和30年代の古き佳き雰囲気をいっぱいに感じさせるこの本
恐らく、原本をかなり忠実に再現した活字本なのだろう


とんでもなく読みにくい

 
「五重塔」も収録されているので、冒頭の一節を比べてみると


(2001年版)

木理美しき欅胴、縁にはわざと赤樫を用ひたる岩畳作りの長火鉢に対ひて話し敵もなく唯一人
(読み)
もくめうるわしきけやきどう、ふちにはわざとあかがしをもちいたる
がんじょうづくりのながひばちにむかいてはなしがたきもなくただひとり

(1963年版)

木理美しき欅胴、にはわざと赤樫を用ひたる作りの長火鉢に
ひて話し敵もなく唯一人
(読み)
もくめうるわしきけやきどう、ふちにはわざとあかがしをもちいたるがんでふづくり
・・・・以下略


と、相当数の漢字が旧字で書かれている

しかし、「
がんでふ」って・・・・


┐(´-`)┌


昭和38年ってそんなに昔々だったのかなぁ


それだけならまだいい
こんな活字、見たことありますか?
 
P1030091

日本現代文学全集(1963)「風流佛」より


なんだこりゃ

ふにふにしてるぞ~


無視して読み飛ばそうにも、この頻度で連発されては無視できず・・・・
なんとか読んでみるけれど


  「い」?


・・・・御受納下され度不悉・・・・
ごじゅのうくだされたく
ふしつ


これではまったく意味がわからない


しかし!

エボルタ君の完全生中継を実現させるほど進化した
インターネット時代
情報を得るのも大変お手軽になった
 
青空文庫というウェブサイトがある
有り難いことに、そこで、風流佛が新字体で公開されているのだ

同じ箇所を紐解くと・・・・
 
・・・・御受納下され度不悉・・・・ 

ごじゅのうくだされたくそうろうふしつ


候ってか・・・・


読めね~



手元にある2001年出版の102刷り版が、いかに読みやすくなっているか・・・・
青空文庫と岩波文庫の努力に感謝

2010年11月24日 (水)

幸田露伴の五重塔

名著である
明治25年発表というのだから、108年前の小説だ


正直言って、この小説は読みにくい
今まで読んだ中で、最も読みにくかった小説である

岩波文庫で、たった110頁しかない薄い本なのに・・・・

体裁が非常に不親切なのだ

会話をカギカッコで括ることもなく、改行も殆どない
「淋しさうに」とか、「男のやうに」といった古い仮名遣いが多く、
「好色漢」を「しれもの」、「愚鈍」を「うすのろ」と読ませたりと、読み当て字も非常に多いのだ


但し、その読みにくさは文体に慣れるまでのハナシである


何度か読み返すことによって、体裁にも文体にも目が慣れてくるし、

物語を憶えてしまえば、その
助けによって、さらに読み易くなってくる

すると、現代文より読みやすくなるから不思議だ
なんというか、さらりさらりと読み進む感じなのだ

これは、文章全体が独特のリズム感を持っているからだと思う
ちょうど、講談師の口調を真似るイメージで読むと、実に具合が良い

そのリズム感を楽しむだけでも最後まで読んでしまえる程なのだが、
さすがは露伴の傑作といわれるだけあって、内容は素晴しいの一言だ

物語自体はそんなに手の込んだものではないし、
ぱっと見には、"いかにも傑作"とはとても感じられない文章だ
そう・・・・なんというか、実に軽いのだな
散歩でもしているかのような軽やかさなのだ
なのに、何度でも読み返したくなる中身の濃さに舌を巻く

特に、情景をありありと目に浮かばせる描写力が凄くて、
それは、登場人物同士の会話や遣り取りを丁寧に
綴ることによって
一人一人の顔立ちや表情まで、ありありと目に浮かばせる人物描写であったり、
一人思案の逡巡と、その人の無意識に目に見えている物事とを合わせて描写することによって
家の外や奥の方から聞こえてくる物音や
会話の距離感を感じさせる表現力であったりする

まぁ、本当に見事なものである
 

物語には、場面として4軒の家が出てくるが、
その表現力は、なんの説明もしていないのに、その間取りを目で見るかのように伝えてくるし、
裕福か貧乏か、気概があるかうらぶれているか、清廉か繁雑かまで、見事に表現している


風景や日差しの移ろいで時間の流れを
感じさせたり
冬の曇り空の下で鳥が啼く、その空気の硬さまでをも感じさせる研ぎ澄ました静けさがあるかと思えば、
バカみたいにはしゃぐ浮かれた雰囲気や
ダメ男のダメダメな息遣いや心臓の鼓動までをも感じさせる胸が騒ぐような賑やかしさもある

それら全てが、読んでいてとっても心地よい

それに、
主題である建築に関する非常に奥深く幅広い知識にはちょっと圧倒される程で、
私もその仕事柄、大工の世界のことは割と知っているだけに
素材や道具、部材名称やしつらえ、儀式に
ついての知識には脱帽である


こういったものが、例の講談風の軽い文体で見事に織りなされているのだ


たった110頁で、である


凄い

こういうのを名著っていうんだろうな


一つ批点を付けさせて貰うならば、
世間一般に評価されているという、終盤の暴風雨のシーン
あそこはこの小説の中ではどうにも異質で、読みにくさも段違いだ
僅か3頁ほどの文章だから、私など、読まずに飛ばしてしまうけど



建築の知識がないと読み切れない小説ではあるけれど、
まぁ、とにかく、お勧めの一冊である

建築の知識がまったくない方には、同じ露伴の中では、
「風流佛」か「雁坂越」のほうがいいかもしれない
どちらも、なかなかの名作だ

P1030092
幸田露伴「五重塔」日本現代文学全集(1963)と岩波文庫(2001) 

2010年9月21日 (火)

村上龍

現代文壇のもう一人の村上である村上龍の「限りなく透明に近いブルー」である

長らく本棚で眠っていた

何故、読まなかったのかといえば、読んだ人には想像がつくだろう
あまりに激しい背徳的行為の描写に、読み続けられなかったのだ

しかし、芥川賞受賞作、母の夕食の介助のあとの面会制限の20時まで、
空調の利いた病室で、やっと読破した

P1040072

幸い個室だから読んでいられた
少なくとも、大部屋で読むにはいささか背徳的に過ぎるのでオススメできない

最初から最後まで、あくまで激しかった
巻末の解説を読まなければ救われない小説は初めてだった

この小説は強烈な個性を持っている
滅茶苦茶な文章ではあるけれども、これは凄い
正気の人間が書いたのか、本当に疑ってしまう

芥川賞を受賞しているが、すくなくともこれを選考対象とした選考委員の方々は、
凄い眼力を持っているものだと感心してしまった

当たり前だが、名字が同じでも、中身はまるっきり違う
どちらにも良さはあるが、
読み心地の良い村上春樹のほうが好きだ

村上龍の凄さは、この一冊でよくわかったが、
今度は「愛と幻想のファシズム」を読んでみよう
また別の印象を抱くことができるかもしれない

2010年9月11日 (土)

村上春樹

高校3年の時、同じクラスの女の子が、何故か僕に「ノルウェイの森」を貸してくれた
村上春樹の押しも押されもせぬ代表作は、当時は最新刊の単行本だった

赤と緑の装丁に巻かれた金色の帯が眩しかった

今、手元にあるのは文庫本だ
何度も何度も読んだせいで、装丁はボロボロになり、すでに丸裸の二冊である
久しぶりに、つい先日まで読んでいた


この中に描かれている美しい風景や、音や、性描写に現れる心の叫びのようなものは、
いつ読んでも、僕にある種の懐かしさと安らぎと虚しさを与えてくれる

ノルウェイの森に登場する多くのモチーフは、
1979年のデビュー作「風の歌を聴け」に登場している(と思っている)
スケールは異なるが、ノルウェイの森を読むと必ず、こいつも読みたくなる

P1040071_2


しかし、何度読んでも、高校生の女の子が、恋人でもない僕に、
ノルウェイの森を貸してくれた真意が理解できない
彼女自身、貸した理由など、判っていないのかもしれない


その18歳のできごとも、
これらの小説が描く世界と同じような、
青春のグダグダが生んだ偶然なのかもしれない

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