心と体

2012年7月 4日 (水)

多くの人、そして、特定の人へ

何を言っても、耳を傾けようとしない人へ


ぜひ、読んで、感じていただきたい


くわばたりえ「しんどいよな」



心配で心配で、それしかないけれど、私には何も出来ない

その気持ちぐらい、わかれバカヤロウ!






くわばたさん、ありがとう













2012年7月 2日 (月)

心の病

私が心臓を患ったのは、もう4年ほど前になるだろうか

いわゆる狭心症の一種だった

狭心症は、高齢者が罹る病気である
それなのに、私は30代後半で罹ってしまった

先天的な問題があったようにも思える所見だったのだが、
それにしても、体なんて簡単に壊れるものなんだと、しみじみ思ったものだ


それと同じぐらい、簡単に壊れてしまう「心」を持っている人が、
この世に少なからず存在していることを、先日、初めて実感した

ある方が、鈍感な私にすれば、
「そんなことで?」
という程度のきっかけで、気を病んでしまった

その人はバーチャルの知人でしかないので、
人となりも普段の生活も、ほとんど何も知らない

だから、日々、どれだけのストレスに晒されていたのかはわからない

つぶさに知れば、納得するのかもしれないが、
つぶさに知ったところで、私には納得できないかもしれない

もしそうだとしても、心を病んでしまう人はいるのだ
それは、理解しなければならない事実だった

私の母親は、晩年、鬱病を患って、それはそれは気の毒だった

自分が欲していないのに、気分が鬱々とし、立ち直れない
その苦しみは、死んでしまいたいと思うほどのことなのだろう
自殺未遂までしてしまったのだから

母のように、60歳代後半で患うのもそれはそれで悲しいだろうが、
若いのに、そういう病気で苦しみ、若き日々を無益に費やすことを思うと、その無念さは余計に気の毒だ

私になにが出来るわけではないが、せめて、せめて、自分がそのような病に罹らないよう、健全でいたいと思う




2011年10月 7日 (金)

定期検診

仕事中のBGMを鳴らしていた、古くて安物のサンスイのアンプが昇天した

突然、安全回路が働いて、音が出なくなってしまうのだ
電源を入れ直しても、この症状が続く
まるで、切れかかった蛍光灯のような感じだ

古いアンプによくある症状のようである

潔くサヨナラして、押入に押し込んでいたソニーのアンプと交換した

昇天したサンスイのアンプも、このソニーのアンプも、ヤフオクで落札した中古品だ
サンスイのものはよくわからないが、ソニーのこの型番は、1981年製らしい

30年前の製品である

電源を入れれば、ボンッと盛大なポップノイズのお見舞い
古くさいことこの上ない

見た目はなかなかとんがっていて、正面はアルミの地金でできている
それに、厚みが5.5cmという物凄い薄さなのだ
そのうち1cmは裏足だから、正面のアルミパネルの高さは4.5cmしかない
こんなに薄いアンプはなかなか見ない
机上に置くアンプとして、とても優れたチャームポイントである

だが、それとて、古くさい

それでも、鳴らしてみると、なかなかよろしい

マトモに動いている確信はないが、
変な発熱もしていないので、とりあえず使えそうである

まぁ、でも、そうそう長持ちはしないだろうな


古い物は壊れやすい

41年物になった私の体も、いつぶっ壊れてもおかしくないのだ
なんせ、胸を開いて、心臓を数時間止めて、血管を繋ぎ替えている体である
そんなエラー体を構成しているDNAが、他にエラーを起こしていない方が不思議というものだ

今日は3ヶ月に一度の定期検診
久し振りに、生体検査を幾つか行う
今のところ、何の問題も検出されないだろうけど


いつかポックリ
いいねぇ・・・・

生きていれば良いことあるさ、って、そうかねぇ

生きていれば、嫌なことばかりさ


私は、自ら命を絶とうとする人、あるいは絶ってしまった人を、責めようとは思わない

あー腹減った、あーラーメン食べよ

それと何ら変わらない

台所で、血だらけで倒れていた母を見て以来、それも一つの願望に過ぎないと思うようになった

思いとどまらせて、それ以後のその人の人生を背負うことができるのか?


私にはできないよ




私にできるのは、キンモクセイの花を見上げることぐらいだ

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2011年9月10日 (土)

眠れない日々

拙宅は、13坪にも満たない狭い貸家である
貸家としてはそこそこの広さかもしれないが、決して広くはない

これまで、普段は家内と同じ部屋で寝ていたわけだが、

退院した家内のキズは、触られると未だに痛むので、寝相の悪い私と家内は近くでは寝られない

なので、今私はこの仕事部屋で寝ている


座椅子を広げて敷布団代わりにすれば、寝心地自体は悪くない

しかし、この
3畳の仕事部屋は北向きである
 
窓にはレースのカーテンこそ吊っているものの、遮光カーテンはない
 
雨戸のついている窓だが、両袖の付いたスチール机と洋服の抽斗の並べ方が災いして、
窓を十分に開けられないから、雨戸
を引くためには外に出なければならない
だから、つい面倒がって雨戸は使わない
 
おかげで、北側の並びの家に反射した朝の日差しが、燦々と部屋を明るくしてくれる
北側の部屋は、南側の部屋よりずっと明るいものなのだ


そのせいか、毎朝5時前には目が覚める


寝心地自体は悪くないとはいえ、
身長176cm体重70kgの男が、幅60cm程の座椅子に寝るのだ
部屋には洋服箪笥まで置いてあるので、まさに「寝て一畳」状態であり、窮屈な姿勢は免れない

結局、ぐっすりとは寝られていないのか、目覚めもスッキリしない



ただ、どちらかといえば朝方人間の私と、明らかに宵っ張りの家内なので、
別々に寝ること自体は理にかなっている

新聞に目を通したり、洗濯してそれを干したり、朝食を準備したり、
このように駄文を綴ったり、時には仕事をしたりと、
寝ている家内を気にせずいろいろ出来る朝の一人の時間はなかなかに有意義だ


しかし、とにかく伸び伸びと寝たいものだ

まぁ、日差しの件は面倒がらずに表に出て雨戸を閉めればいいだけの話だが、
眠くなってから、雨戸を閉めるために外になど出ると、眠気が覚めてしまうし、
蚊に刺されて不愉快な思いもする


あぁ、やっぱり嫌だな




しかし・・・・


遮光カーテンを付けている寝室で一人寝ているときも、
5時過ぎには目が覚めていたなぁ・・・・



・・・・目が覚めるのは、年のせいか?



もう完全に老眼だしなぁ・・・・









今日明日と、母の一周忌法要に徳島に行く
ホテルでは寝られるかなぁ・・・・

2011年9月 7日 (水)

退院と再会と

退院の今朝、
一度目の入院をしていたときに同室だったお二人と、外来診察で一緒になった

家内と同世代の方は、今日外来でお見えになることを知っていた
外見からは70代にはまず見えないもうお一人は、今日お見えになることは知らなかった
70代の方は息子さんが付き添いでいらしたので、総勢5名
図らずも、同窓会のようになった

お二人は、家内が再入院していたことを知る由もなく、心底驚いていたが、
たまたま退院の朝の元気になった姿でお会いできたので、
過度にご心配をお掛けしないで済んだのは幸いだった

私が合流した時点で、家内の診察は終わっており、
他の方が診察に呼ばれるまで、再会に笑顔の花を咲かせていた


表情が曇ったのは、70代の方の診察中からだ

手術で切除した腫瘍の検査結果を知らされる診察だったそうだ

入院中の様子から、非常に心配性で心理的なダメージに弱いことは判っていた
診察があまりに長いので、これは結果が良くなかったのかもしれず、
そういった性格だけに、気落ちしているのかもしれないと
、気を揉んでいた

やがて、付き添いの息子さんが、我々に概要を説明してくださった
極めて初期ながら、癌が見つかったそうだ
年齢的な判断か、病状からの判断か、抗癌剤の投与による治療を受けることになるそうで、
年甲斐もなくお洒落なだけに、治療によって髪の毛が抜けることに相当ショックを受けています、
と語ってくださった

暫くして、診察室の引き戸を開けたその顔には、無理な笑顔が浮かんでいた

ベンチに座って、「ダメでした・・・・癌ですって」と零したその声は弱々しかった

案の定、精神的ダメージを強く受けていて、
抗癌剤治療を受けること、髪の毛が抜けてしまうことなどを我々に訥々と説明してくださるうちに、
涙を流してしまわれた

気丈にも、悲しみはすぐに飲み込まれたが


70歳を越え、ご主人も既に亡くされているナーバスな方が、
これから抗癌剤による闘病を始めるのは、辛く不安なことだろうと思う


皆さんとお別れした後、会計で遠目にお見掛けしたが、
放心状態による無表情が、気の毒でならなかった


一投目は入院を必要とするそうだが、
偶然にも、その日は家内の外来診察の日である

徳島での法事の後のことなので、徳島みやげでも持って行って、
勇気づけようと思っている


一難去ってまた一難というが、
一人だけの身の上に起こることばかりとは限らないのだな


たまたま、同室になった誼である

頑張って頂きたい

2011年9月 6日 (火)

短くも長き道程

今朝、主治医が家内を診察し、要件が整ったとして、明日、退院の運びとなった

子宮体と子宮頸部の切断箇所を縫合した糸に拒絶反応を起こし、
100cc以上もの膿を溜め込んでしまったことによる入院治療だった

再入院から12日間、最初の入院からはほぼ一ヶ月
過ぎてみればあっと言う間だが、その短い間に夏は去り、
今日の帰りは半袖Tシャツ一枚には寒い季節へと変わっていた

未だ残る痛みに不安は残るものの、状態は安定しているそうだ
ただ、週2回程度の外来診療を暫く続ける必要がある

実は、この週末、母の一周忌の法事を徳島で行うのだが、
できれば同席したい、と相談していたことを受けての
主治医の判断のようだ

つまり、仮退院の性質を帯びた退院、ということである


もし、悪化すればまた入院すればいい、という解釈なのだろう


私はもう慣れたが、再度入院ということになれば、その時家内は再び痛みに苦しんでいるわけで、
そうだとすればそれは気の毒な話だ

が、
素人の私が見ても、病状が快復傾向に転じているのは昨日や今日を見れば明らかであり、
このまま快復基調を維持するのではないかと思う

航空機や外泊にどこまで絶えられるか、不安の種は多いが、
それらはさておき、退院は一つの節目だ


一度目の退院の時に、看護師さんたちに何か御礼しなくて良いのか?と尋ねられた

私は、もし家内が医師や看護師さんたちに特別な恩義を感じていて、
御礼を「したい」のであればするべきだが、
した方がいいのかと迷う程度であるなら、する必要はないと答えた

結局、最初の退院の際には何もしなかったが、
今回、再入院して、医師や看護師との交流もより深まったので、ぜひ御礼したい、と言っている

新所沢に、大変に美味しい洋菓子店があるので、ここで焼き菓子などを選ぶか、
或いは、医師の懸命な処置によって参加が実現することとなる徳島の法事の際に、
名産品でも買ってくるか

いずれにしても、退院
後の外来の際に、持っていくことにしている

医師や看護師として受け取るのが難しいのなら、素の女性や男性として、
ほんの一口の気持ちを是非甘受して頂きたいと思っている


私が手術を受けた際は、看護師さんたちに本当にお世話になったと心から思っていたので、
何か御礼したい、という強い思いから、退院後の外来の際に、お菓子の箱詰めを持っていった
 
応対してくださったのは看護師長で、意外なことにすんなりと受け取ってくださった
ただ、「これからは手ぶらでお越し下さいね」と、以後を優しく辞退されただけであった


カブトムシが遊び、鴨が子育てする
、郊外の長閑な病院
患者と医師、看護師の交流が成就しますように・・・・


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快復基調

今日は、ベッドの上で座って本を読んでいた

医師からの言葉どおり、幾らか元気を取り戻しつつある


平日の面会時間は午後3時から8時までだ

尿カテーテルが無くなって、再入院後、初めて管の生えていない状態で入浴したそうだ
余りの身軽さを喜んでいた
私の時もそうだったな
首と左腕に、幾つも連結された点滴のコネクタをテガダームだかオプサイトで貼り付け、
腹からは心臓に繋がる電極が出ていた
不自由だった


デイルームに移り、桃とサクランボのコンポートを食べる
台風は遠く離れたというのに、空は完全な雨模様
絵に描いたような雨のスクリーンが、雑木林を白く霞ませている


飲食による腸の動きが痛みを催すことに変わりはない
痛みはかなり軽くなっているが、昨晩は、弱い痛みが収まらずに永遠と続き、眠れなかったそうだ

それでも、随分と元気になった

元気になるとよくあることだが、文句を言うようになってきた
昨日はタオルを持って行かなかったのだが、
もう残りが少ないのに何で持ってきてくれないのか、とか、
持っていったコンポートのシロップが漏れていたのを見て、
ビニール袋か何かに入れなきゃダメだ、とか
向かいの患者が、病室の洗面台で髪を洗っているのは衛生上良くない、とか
まぁそれは良くないと思うが、自分が弱っていると、そういうことまで気が回らないのだ

こんなんだったら、弱っているぐらいがちょうど良い

良くなってきた証拠だね、なんて喜んでいる輩に同調はできない



昼下がりは、健常者でも一番ヒマな時間だ
病室でのその時間ともなると、深刻なほどの刺激のなさである
雨が降れば、コントラストも弱くなり、風景そのものが単調になる
見舞客も少なく、フロア全体が何となく静まりかえる

病人にはそんな一日が一番似合っているように思う


そういう物静けさを、大切にしてほしい

2011年9月 2日 (金)

快復せず

今日も、元気がなかった

痛みが続いているらしい

今日は主治医の診察があったようなのだが、
急な仕事が入り、それを済ませて病院に行ったら、
診察の結果を聞きそびれてしまった

本人に因れば、経過自体は順調とのことだったようだが、
痛みが引かないせいで、食が進まない
朝は半分、昼は1/3しか食べられなかった模様で、晩は1/4位で断念していた
これでは、体力が戻らない

ただ、持っていった梨は、美味そうに食べてくれた
夕食に出たグレープフルーツも完食
果物のような、水分の多い物が食べたいようだ
お見舞いで頂いた、琵琶のコンポートを食べたいと言っていたので、
明日はそれを持っていってやろう


再入院の家内は、他の患者と看護メニューが大きく異なるようだ
無論、患者それぞれ、必要なケアは異なるものだが、
看護師は、体温も、血圧も、他の患者のようには計ろうとしない
今日の準夜勤担当の看護師も、何かあったらすぐに言ってくださいね、と言うのみだった

看護師には、特別な指示事項でも達せられているのか、
一年目の新人の田中みなみアナ似の看護師に至っては、
同室の他の患者を看護しても、家内にだけは声も掛けてこないそうだ

我々は、彼女の朴訥な雰囲気と真摯な
向上心の虜なだけに、
そのような対応は大いに残念なのだが、
いつかまた、看護してくれる日を楽しみにしようと思う


いよいよ台風が近づき、明日以降、雨も風も強くなるようだ
台風となると、傘では全く役不足だから、バイク用の雨合羽の出番だろう

2011年9月 1日 (木)

一進一退

一昨日の午後は快方に向かったものの、昨日は一日中横になっていた

座っていることもできなければ、長い時間寝ていることもできない
痛い思いをして起きあがったり、伏せたりしている

食事を摂れば、内蔵が活動し、患部を刺激する
量も内容も常食が出されているが、激痛に堪えながらなので、時間ばかり掛かる
1/4程の量を食べるころには、痛みに食欲が負けてしまう

旬が終わろうとしているなすびが穫れたので、焼いて持っていった
小さい実だったので、食べやすかったのか、
それとも、私に義理立てたかったのか、なすびは完食してくれた

食欲があるのが気の毒だ
蛇の生殺し、とでもいえばいいのか



熱が下がらず、食事も満足に摂ることが出来ない
体を動かせば痛みに襲われるので、病棟内を歩く程度の運動すら出来ない

嫌な痩せ方だ



台風が近づいている
時折激しい雨が降っている
こういう日の病院は、見舞いの人影も少なく、
曇り空で明るいばかりの病室は、うら寂しくなるものだ

傘をさして自転車を漕いで、今日も様子を見に行く
駐車場もあるが、雨だから、という程度の理由で、
わんさかとガソリンを燃やして排気ガスを出す気にはなれない

日々、車で営業や通勤をしている人って、その辺りどういう感覚なのだろう?

勿論、車でないと非常に効率が悪いとか、物が運べないとか、
そういう必然的な理由があれば話は別だが、
電車などの公共交通で済ませられる状況でも、車を使う人は実に多い
自分の行動が環境に与える負荷について、意識しているのだろうか?

そんなこといちいち意識していたら、仕事にもならないだろうが、
私は、そういう感覚が嫌いだ

そして、そういう日常を無意識に過ごしている人々は、もっと嫌いだ


病院の駐車場はもちろん有料だ
それをケチっているという側面は否めないけど、
駐輪場は無料だし、立派な屋根も付いている


自転車は
最高だ

2011年8月30日 (火)

天使たちの反応

退院後、わずか中三日で戻ってきた患者に、現場の看護師は複雑な表情で接した

殆どの看護師が、新たな患者に接するような態度を取るのだ

すっかり忘れるほどの時間が経っているわけではないのだから、それは仮面である
ほぼ全ての患者と、一期一会でしかない病棟という環境にあって、
思い掛けずまた会えた、という懐かしさは皆無ではないだろう
しかし、想定外の事態が生じて苦しい思いで再入院した重症患者、という
素直には喜べない現実が、看護師の態度に出るのかもしれない

こちらから、また暫く宜しくお願いしますね、と言葉を掛けて初めて、
女性らしい華やかな笑顔が彼女たちに戻ってきて、やっと知った顔として接してくれるのだ

それは、あたかも
警戒心を解いていくかのような変化である


そんな中、唯一の例外は、TBSのアナウンサー、田中みなみ嬢に似た新人看護師である

我々と目を合わせたその瞬間に、笑顔を見せたのだ

しかし、すぐに、
不用意に喜んでしまった態度を拙いと思ったのか、
んな言葉を掛けたらいいのか判らない、という表情が加わって、
何とも言えない難しい表情のまま、その場で
固まってしまったのだ
そして、そのまま一言も発することなく、その場から逃げるように余所へ行ってしまった


みなみん、それじゃぁ患者さんに優しいウソもつけないよ
これを機会に、優しいウソをつける天使に育ってね



ータルすれば、家内の入院期間は、婦人科としては長い部類に入った
本人は勿論のこと、
看護する私の方も、
看護師の顔
や施設も覚え、処置への対応にも慣れてきた

慣れること自体は、看護師や医師とのやりとりをスムーズにすることもでき、悪いことではない
しかし、往々にして、
「慣れ」は患者らを高慢知己にする

それも知ってるし、これも知ってるから、いちいち説明するな、
という態度を取ってしまいがちになるらしい

やがて、見るからに弱そうな存在である看護師を、鬱積を発散する標的にするのだ


私は、自身の入院中に、そういう患者を何人も目にしてきた

どんなに慣れているにしても、どれだけ知っているにしても、
入院患者である以上、結局のところ、看護師や医師のお世話になっているのだ
それは、患者本人がたとえ医師や看護師であろうともだ

私は、そういう高慢な態度が大嫌いだし、第一に看護師を心底尊敬している
家内も、概ねその思想には共感を示している
だから、ベッドを覗いてくれる一人
一人の天使たちに、懐かしさと親愛の情を示しつつ、
また暫く宜しくお願いします、と頭を下げる

ただ、天使の笑顔を見たいだけかもしれないが



抗生物質も鎮痛剤も投与しているのに、
多量の膿を出し、苦しみ続ける家内は、食事もろくに摂れず、みるみるうちに痩せ細っていく
それは、ちょうど昨年の今頃の母とよく似ている

毎日、様子を見に行っているからといって、私に何が出来るわけではない


白衣の天使たちよ、どうぞ宜しく・・・・

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