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2014年4月

2014年4月25日 (金)

能を観た 後編

一回の能舞台の番組は、『能その1』『狂言』『能その2』という構成が一般的のようだ

今回は、能その1が『吉野天人』、狂言が『入間川』、能その2が『安達原』という組み合わせである

それぞれ、能は小一時間ほど、狂言は30分ほどだった

能は昔言葉なので、どれだけ聞き取れるか心配していたのだが、
幸田露伴の旧文体を少々読んでいたからか、意外なほど聞き取ることができた
また、事前に届いていたパンフにもあらすじが掲載されていたおかげで、
セリフを聞き取るのはさして苦労しなかった


詳しいことは他に譲るが、
能その1の『吉野天人(よしのてんにん)』は、いわばSF

数本の桜の枝を舞台に置き、それを満開の吉野山に見立て、
その前で、天人が金襴の衣装を纏って典雅に舞う能の様式美を堪能


狂言の『入間川(いるまがわ)』は、勘違いコントだ

セリフ数行で京都から武蔵の国までひとっとびの場面展開の大胆さ
わかり易い仕草とせりふで、客席からは自然と笑いが起こる
十分現代感覚的で面白かった

ただ、入間地域は私の居住地の辺りのことを指すのだろうと思うのだが、
この話の肝である、「逆さ言葉」という風俗が実際にあったかどうかはわからない

まぁ、そんなこと自体、事実かどうかはさして重要ではないのかもしれない



能その2の『安達原(あだちがはら)』は、ホラーである

今回、何より感動的だったのは、この『安達原』だ


シテ(主役)は鬼女である

この鬼女、最初は親切な老女なのだが、中盤に鬼女だったことが発覚
後半は、それに怒り狂い、白い髪を逆立てた般若面で登場する
この鬼女を、二人の山伏が念じ抜いて鎮めるという話だ

この、鬼女と山伏のせめぎ合いは、互いになかなか譲らず、
その間は、音曲も地謡もまさにクライマックス

楽器は太鼓が2人と笛、鼓の4人
考えてみたらなかなかの音源数である

地謡(合唱隊)8人は、お経を基にしたであろう詩を朗々と合唱する


凄まじい迫力だ


多くの人は、この舞台音楽の迫力と、山伏の勇敢さに快感を覚えるのだろう

しかし、私は、その目を見張る迫力の中で、
鬼女が、念じられ徐々に弱って後ずさり、ついに袖から消えるそのさまを見て、
その背景に、鬼になってしまった哀しい逸話があるような気がしてならず、
鬼女が可哀想で気の毒で仕方なく思え、涙が止まらなかった

珍しいかもしれない



舞台装置は、野中の草庵を表す、3尺四方ほどの竹組の箱のみ

役者は4人

まさに、これ以上ないほどに無駄が省かれた、実にシンプルな舞台である

しかし、その演技の向こうには、荒涼とした安達原の寂しさと、
鬼女の悲しみ(これは私の勝手な解釈)が、ありありと浮かび上がって見えた


これこそが室町以来磨きに磨かれてきた伝統のなせる業なのかもしれない



世阿弥が、秘すれば花なりと言ったそうだが、
全てを演出して作りこむのではなく、
それを見るものに、自由に想像させるだけの余白、
というよりむしろほとんど余白しかない構成で、
これだけの物語を演じきれることに感服至極である

都内で2番目に古い能楽堂見たさに始まった人生初の能鑑賞

総檜造りの能舞台、ひとつの柱だけに取り付けられている環、天井の滑車、
能舞台を囲む石敷きのお白州、客席と能舞台に取り付く階段(きざはし)
舞台右奥の、地謡が出入りする無双付きにじり口の開閉の動きの心地よさ、
舞台設営から撤収までの全てが鑑賞対象という面白さ、
隣席の紳士が参考にしていた台本のようなものの物珍しさ、
安達原の山伏を演じる能楽師のいい男っぷり、
初めて、本来の用途での使用を見られた般若や小おもてなどの能面、
独特の仕立が随所に見られるシテの衣装の珍しさ、
最後につま先だけをヒョコッと上げる、ゆっくりとした歩みの可愛いらしさ


13時開演16時過ぎ終演の3時間は、あっという間だった


帰宅後、能楽師さんたちの来歴を調べて初めて、
失礼ながらその錚々たるやを知り、
自由席とはいえ4,000円という価格設定に心から感心した

4月の消費増税で、同席は4,320円に値上がったものの、
そのお手頃感はいささかも翳らない


矢来能楽堂と観世九皐会(かんぜきゅうこうかい)に、心から感謝申し上げたい




たくさん頂いた今後の能舞台のパンフレットを眺めながら、
次はいつ行こうかと思いを巡らせている

2014年4月22日 (火)

能を観た 前編

能を鑑賞してきた


「熊」ではない

あの、日本の伝統芸能の『能』である


能の鑑賞など、今までまったく考えたこともなかったのだが、
たまたま仕事で神楽坂に行った折に持っていた地図に、
『矢来能楽堂』という特記を見つけたのがキッカケだ

新潮社のビルの西にひっそりと建つ少々古めかしいモルタル造りの外観からは、
地図に朱書きされるような存在感は無い
中に入ってみたかったのだが、普段は一般への開放はしていないとのこと

矢来能楽堂はHPを持っていて、それによると、
現在、都内だかで2番目に古い能楽堂なのだそうだ
とはいえ戦中に消失してからの建て替えということなので、さして古くもない
能楽堂に詳しいわけではないが、写真で見た限りでは、
そんなに変わった特徴を持ったものでもない、ごく常識的な能楽堂のようだ

公演情報には、定例会の案内も掲載されていて、
発売直前の会の狂言の演目は『入間川(いるまがわ)』というものだった

入間川は私の居住地と言ってもいい
なんとも言いようのない巡り会わせを感じる


年を取って、伝統工芸や伝統芸能への関心が高まりつつある自覚はあったが、
この偶然は何かの思し召しかもしれないと、
これを機会に、見学がてら、この能楽堂で能を鑑賞しようと思ったのである


HPからは、チケットを簡単に申し込むことができる
座席表を見ると、席は、能舞台を左右非対称に取り囲むように設定されている
もはや洋式の劇場に慣れた目からすると、
それは非常に奇妙というか、大胆な配列で、
その座席配置だけでもワクワクした

席は指定席と自由席がある
指定席は固定座席で料金が2種類、
自由席には、学割料金も用意されている

もちろん、知識ゼロ人間の初観能である
どの席にどのような優劣があるのかさえもわからないので、
当然ながら自由席を確保した


すぐに届いたチケットには、自由席は座布団かパイプ椅子とあった
3時間という長時間の公演では座布団席はキツかろうし、
かといってパイプ椅子ってのもショボイなぁと、
この時点では、正直言ってちょっとがっかりだった


そして、公演当日
なるべく良い席を確保するため、
開演1時間前の開場のさらに10分ほど前に到着したが、
すでに7~8名の方が、開場を待って列を作っていた

実は、能楽堂につくまでの間、
いまどき能の公演に人がわんさか来るものだろうか?
ガラガラの会場で見ることになるんじゃないのか?
という、主催者にとってはまったく余計なお世話な不安を抱いていた

つまるところ、私にはそんなことすら未知数だったわけだ

入場し、初めて肉眼で目にした能舞台は、程好い古び方をしている
それを収容している能楽堂(観客席)は広くも狭くもなく、やはり、程好く古い
そこかしこに昭和の気配が濃厚で、実に好印象だった
古き佳き昭和の演芸場とは、こういう雰囲気なのかもしれない

肝心の自由席を見極める
座布団席は、舞台から最も遠いものの、桟敷のようなちょっと面白い空間にあって、
それ自体は非常に魅力的だったのだが、
一人当たりの空間は、脚を伸ばす余地も無いほど狭かった

一方のパイプ椅子席は、舞台の一部である袖にも近い脇正面という位置
能舞台自体は真横から見ることになるが、席はそこそこ広く、
なによりパイプ椅子としてはとても座り心地が良い椅子だったので、
ここに落ち着くことに決め、20人ほどの観客が入った能楽堂を出て、
階下の喫茶室に脚を伸ばす

「階下に喫茶室がある」というのが、実によいではないか

そして、この喫茶室の雰囲気が、また実に昭和で心地よい

空間自体には何の特徴もない
見た目は狭くて素っ気無い喫茶店だし、
そもそも、無料のお茶と湯呑がテーブルに置いてあるだけの施設だ

ところが、皆さんよく慣れていて、
勝手にお茶を汲んで、持ち込みの弁当を広げて、
何のためらいも無く飲み食いあるいは雑談している

その、さも当たり前な光景も、非常に昭和的だった


しかし・・・さすがは伝統芸能鑑賞の場というべきか
はたまた神楽坂という都会ならではなのか
観客の皆さんの金持ちっぽさが、お召し物やお人柄からなかなかの強さで伝わってくる
ご婦人は、着物をお召しの方が多く、それも琉球紅型や総絞りといった高価なものも散見された
殿方は、背広にシルクハットといった洒脱なご老人も多かった


能楽堂に戻ると、その入り口から、
先ほどと打って変わってほぼ満席になった客席が目に飛び込んできた
なかなか凄い熱気だ
これには正直言っていささか驚いた


席につき、落ち着いて客席を眺めてみれば、確かに高齢の方が多いものの、
思いのほか若い方々も少なくないことにも驚いた

まさに老若男女である

こんなところにこんなカルチャーが息づいていたとは・・・
いやはや、開演前から関心しきりである


能楽堂は、屋根のある能舞台をすっぽり入れているので、天井が高く、
その天井近くには、自然光の入る小さな窓が並んでいる
したがって、少なくとも日中は、能舞台が始まっても暗くならない


携帯・スマホを電源から切るようアナウンスが入り、
いよいよ、観世九皐会(かんぜきゅうこうかい)の四月定例会の開演である

2014年4月 9日 (水)

DS-700Zのエッジ硬化対策をした

以下のエントリーの後、2014年10月に、ブレーキフルードを試しています
よろしければ、そちらも参考にしてください





私の所有するスピーカー、DS-700Zは、
新品で買ってから既に22年を経過しようとしている

世間で言われているとおり、
ウーファーのエッジはカッチカチに硬化していたので、
ほぼ一年前、アーマオールをエッジ表面に浸み込ませてみたが、
若干は軟化したものの、気休め程度の変化でしかなかった

そこで、もう一歩踏み込んで、除光液を使ってみた

アーマオールは艶出し仕上剤なので、
エッジ表面に塗るにあたって気にならなかったが、
除光液はそれなりに強力な溶剤なので、
筐体からスピーカーユニットを取り外し、エッジ裏面から、細筆で塗った

除光液を塗る前のエッジ裏面は、べっこう飴のような色艶である
これが、ダンプ剤のビスコロイドの硬化後の姿なのだろうか
触ると、カッチカチに堅く、爪で叩くとコンコンと乾いた音を立てる

除光液は100均で売っているアセトン含有のものを使った

ビスコロイドの表面に細筆で除光液を塗ると、
即座に吸収して軟化し、潤いを持つ

ただ、ウーファーのエッジを一周塗り終わる頃には、
最初に塗った箇所が、早くも潤いを失い掛けたので、
もう一周、塗ってやった

ウーファーエッジ片チャンに対し、塗った除光液は5ccほどになった

効果はてきめんで、エッジはフニャフニャになる
鳴らしてみると、信じられないくらいに低音が増える

22年も前の記憶と比較するのもナンセンスかもしれないが、
低音不足を感じていた購入当初より、はるかに低音が出ている気がする

もしかすると、購入して自宅に設置した時点で、
エッジが硬化していたのかもしれない

そんなことは無いか


ついでに、スコーカーのエッジにも同様の対策をした

スコーカーについては、金属ネットが付いているので、
エッジの硬化を確認することは出来なかったが、
似たような構造なので、やはり硬化しているだろうと予想し、
ウーファーと同様、ユニットを取り外して裏から除光液を塗った

ウーファーに比べると、ビスコロイドと思われる部分がうんと小さいので、
作業には幾らか慎重さを求められた

スコーカーへの効果は、正直言ってよくわからない


残念ながら、ウーファーのエッジは、
一週間もしないうちにまた硬くなってしまった
有機溶剤で溶かしただけだから、仕方あるまい

再度、同じぐらいの量の除光液を同じ方法で塗って、
また軟らかくなってくれたが、今回のほうが効果が強かったように思える

これを繰り返すと、いつか軟化した状態で安定するのだろうか
あるいは何度やっても気化して硬化の繰り返しなのだろうか



ちなみに、ツイーターは、もともとのユニットが内部断線で逝ってしまい、
一年ほど前に、DS-9Zのツイータユニットを手に入れて、
筐体を自作し、鳴らしている
このツイーターも製造から時間が経っているから、
ダンジェンシャルエッジもそれなりに硬化していると思うけれども、
非常に高級なユニットなので、自分で手を入れる気にはならず、そのままだ



<続報 2014.4.29>
2回目の軟化から1ヶ月近く経った
幾らかの硬化は見られるものの、1回目のような、完全な逆戻り硬化はしていない

音は、軟化直後のような中低音過多は収まり、
低音の量感は現在のほうが好印象だが、
300Hzあたりの中音に嫌味なピークが残っている

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