« 2011年7月 | トップページ | 2011年9月 »

2011年8月

2011年8月31日 (水)

私生活

病院は、最寄りの駅から幾らか離れている
歩けば、そう、15分はかかる距離だろう
バスが結んではいるが、便数は少なく、終了も早い

電車通勤の看護師は、そこを歩いて通っている

出勤する姿は、未だに見掛けたことがないが、
仕事を終えて帰るその姿を、お二人、見掛けたことがある

一人の子は、ミニスカートをひらひらさせて、元気そうに帰っていったが、
別の子は、可愛い洋服姿が痛々しいほどに、
すっかり疲れきっていた

性格もあるだろうし、そのあとの予定によっても気分は変わるだろう

彼女たちを見掛けたとき、
偶然にもこちらは車だったから、
声を掛けて駅まで送ってあげようかと、本気で思ったほどだ

でも、迷惑だろうと思う

私が彼女たちの立場なら、居心地が悪い
後日、そのことを何かと持ち出されるのも面倒くさいと思う

まだ、同じように歩きで駅に向かうのであれば、話は別だ



最近、仕事帰りで疲れた女性を見ることが少なくなった

疲労困憊で帰宅する女性など、実はそう多くないのかもしれないが、
、一度だけ、仕事にぐったり疲れて電車に乗り込んできた後輩を見たことがある

知っている人間が斜め前に座っているとも知らずに、萎れるように席に掛けたその姿が、
とても痛々しく、愛おしかったことを覚えている


私は、赤の他人が、私を意識せずに色々な表情を見せるのが好きだ
電車の中で、雑踏の中で、見ず知らずの人々が、様々な表情で生きている
親しくなるのと同じぐらい、あの、ある意味無防備な姿が好きだ

の表情は、一度でも関わり合いを持つと、なかなか見ることが出来なくなる
でも、そこに知った人間がいることに気づいていなければ、
親しい相手でも、あの、赤の他人の表情や仕草を見ることが出来る

私は、
後輩の姿に、それを楽しんでいた


程なくして、彼女は私に気付き、ぱっと表情を明るく変えた

今度は、親しみを帯びたその表情が嬉しかった




私が入院していた渋谷の病院では、看護師の私服姿を見たことがない
一体、どこを通って帰っているのか、想像もつかない
どこでもドアでもあるのではないかと疑いたくなるほどだ



家内の入院している病院では、別の看護師が、私服姿で、
母親と思われる女性を外来診察に連れてきているのを見掛けた
この看護師、お世話になっている病棟の副師長である

自分が勤めている病院に、副師長が、身内であろう人を診察に連れてきているのを見掛けて、
私は、大変に嬉しかった
少なくとも、彼女は、この病院を信頼している、そう感じたからだ


池の小ガモも、のんびりと育っている
田舎故か、天使が羽を休める姿まで視界に入る、この大らかさが心地良い


白衣を着れば、私たちを温かく見守ってくれる
彼女たち
私は、私服の彼女たちを、そっと見守っていようと思う


Sp1030357

2011年8月30日 (火)

天使たちの反応

退院後、わずか中三日で戻ってきた患者に、現場の看護師は複雑な表情で接した

殆どの看護師が、新たな患者に接するような態度を取るのだ

すっかり忘れるほどの時間が経っているわけではないのだから、それは仮面である
ほぼ全ての患者と、一期一会でしかない病棟という環境にあって、
思い掛けずまた会えた、という懐かしさは皆無ではないだろう
しかし、想定外の事態が生じて苦しい思いで再入院した重症患者、という
素直には喜べない現実が、看護師の態度に出るのかもしれない

こちらから、また暫く宜しくお願いしますね、と言葉を掛けて初めて、
女性らしい華やかな笑顔が彼女たちに戻ってきて、やっと知った顔として接してくれるのだ

それは、あたかも
警戒心を解いていくかのような変化である


そんな中、唯一の例外は、TBSのアナウンサー、田中みなみ嬢に似た新人看護師である

我々と目を合わせたその瞬間に、笑顔を見せたのだ

しかし、すぐに、
不用意に喜んでしまった態度を拙いと思ったのか、
んな言葉を掛けたらいいのか判らない、という表情が加わって、
何とも言えない難しい表情のまま、その場で
固まってしまったのだ
そして、そのまま一言も発することなく、その場から逃げるように余所へ行ってしまった


みなみん、それじゃぁ患者さんに優しいウソもつけないよ
これを機会に、優しいウソをつける天使に育ってね



ータルすれば、家内の入院期間は、婦人科としては長い部類に入った
本人は勿論のこと、
看護する私の方も、
看護師の顔
や施設も覚え、処置への対応にも慣れてきた

慣れること自体は、看護師や医師とのやりとりをスムーズにすることもでき、悪いことではない
しかし、往々にして、
「慣れ」は患者らを高慢知己にする

それも知ってるし、これも知ってるから、いちいち説明するな、
という態度を取ってしまいがちになるらしい

やがて、見るからに弱そうな存在である看護師を、鬱積を発散する標的にするのだ


私は、自身の入院中に、そういう患者を何人も目にしてきた

どんなに慣れているにしても、どれだけ知っているにしても、
入院患者である以上、結局のところ、看護師や医師のお世話になっているのだ
それは、患者本人がたとえ医師や看護師であろうともだ

私は、そういう高慢な態度が大嫌いだし、第一に看護師を心底尊敬している
家内も、概ねその思想には共感を示している
だから、ベッドを覗いてくれる一人
一人の天使たちに、懐かしさと親愛の情を示しつつ、
また暫く宜しくお願いします、と頭を下げる

ただ、天使の笑顔を見たいだけかもしれないが



抗生物質も鎮痛剤も投与しているのに、
多量の膿を出し、苦しみ続ける家内は、食事もろくに摂れず、みるみるうちに痩せ細っていく
それは、ちょうど昨年の今頃の母とよく似ている

毎日、様子を見に行っているからといって、私に何が出来るわけではない


白衣の天使たちよ、どうぞ宜しく・・・・

2011年8月29日 (月)

花火大会

病院への足には、自転車を使っている


面会制限は午後8時

真っ暗で人通りの殆ど無い、武蔵野の雑木林の中を、茶畑の中の一本道を、一人ペダルを漕いで帰る

おおよそ20分の暗闇のサイクリングは、色々なことを一人考える思案道である



夏休みシーズンの土日、西武園ゆうえんちでは、午後8時から30分ほど、花火大会が行われていて、
帰り道の途中で、その様子を見ることが出来る


茶畑の真ん中に
自転車をとめ、その花火を遠く眺めた

すっかり涼しくなってしまった曇り空を、色とりどりに染め上げる花火

8月というのに、季節外れ感は否めなかった


今年は、今日が最後だろうか





耳元では、死んでしまった岡崎律子さんの切ないラブソングを、携帯電話でリフレインさせていた




看病している間の一人の時間は、感傷に傾きがちだ


困難な状況に陥った家内を気の毒に思っているからだろうか






実家は西武園にほど近く、この花火は物心つく前から見ていた
 
夏休みの毎週土日に、30分近い打ち上げ花火大会が行われている、
それが贅沢なことなどとは一度も思ったことがなかった


あれから、多くの人が死んでいった

祖父母、親戚、義兄弟、母親、友人、知人

彼らが存在することが贅沢なことなどとは一度も思ったことがなかった


自分の順番は、なぜなかなか回ってこないのだろう






20時半
スターマインが、ひときわ賑々しく夜空を焦がした
東風に、硝煙が流されていく



夏が終わる

2011年8月28日 (日)

うまくいかない

家内は、退院後も、ずっと痛みが続いていた

今日になってそれが最高潮に達し、先ほど病院に連れて行ったら、
原因不明ながら緊急再入院となってしまった


癌は、なんか、やっぱり難しいかな・・・・?


緊張か、興奮か
こんな時間なのに、眠気が来ない

埼玉の文化財住宅(1)

うーん、立派だ

暑くて有名な熊谷市の外れの水田地帯にある、国指定重要文化財の平山家である

Sp1030346
平山家全景。屋根と壁の比率など、プロポーションは現代的


農家の実用住宅だから、装飾や技術に凝った建物ではない
必要に応じて、必要な材料で、長持ちするようにしっかりと建ててある

平山家から比較的近い川島町には、国内きってと言っても過言ではない、

贅を尽くした材料と技術が、完璧に抑制された沈黙の中に押し込められている
遠山家住宅が残っているが、
そういったものとは価値の在処が異なるのだ

平山家のような建物の価値の殆どは、構造体、つまり柱と梁にあると言っても良いだろう
圧巻なのは、なんといっても、20坪という広大な土間の上部に掛かる梁組だ

Sp1030343 Sp1030341
全ての交点で梁同士が組まれている   構造的に忠実な柱と梁の配置。素直で健やか。奥は厩

実によく組んである

材料の段階で、梁一本一本の形状を把握し、梁組を頭の中で構築してから、柱や梁を加工して、
やっと建て方、つまり柱梁の組み立てを行う

現在のように機械加工されたまっすぐな材料でも、この手順は同じ
でも、これだけ自然の形状をそのまま使うとなると、その手間は比較にならないほど困難だ
梁が柱に刺さる位置も、その寸法も、梁同士の組み付け寸法も様々だからだ
このような梁組は、ちょっと古い民家ならよくやられている手法だが、どれを見ても、たいしたものだと思う
にも増して、この平山家は、やはり頭一つ抜けた出来の良さである
赤松と解説書にある梁は、全て八面取りが為されている
この自然曲面の丸太の八面取りは、台鉋では不可能だ
ちょうなか槍鉋を使ったのかもしれない
エッジがよく出ていて、刃物の切れの良さを感じる


この民家、わりと情報が少ない
ネット上にも、今ひとつ、その情報が見つからないのだ

行ってみて、それが何となく判った

Sp1030337 Sp1030338
南の庭になにやら農産物らしき物が    縁側で小豆とササゲが干されている

Sp1030342
土間には自転車。板の間には茄子やスイカ、リポビタンD・・・・

写真には写っていないが、囲炉裏のある板の間では、2ドアの冷蔵庫が動いていた

こういう施設では、よく、昔の生活を展示してあるが、これは展示ではない
今でも、平山家が農作業小屋として使っているのだ


竈や壁の上部は煤で変色している
形だけの火ではなく、実用火炎でなければできない種類の汚れ方だった

秩父で、文化財ではないが江戸時代中期と思しき民家を移築したことがある
川本町でも、江戸末期と思しき農家を調査したこともある
その時に経験したのだが、実生活の炎による汚れは容赦がないのだ
火だけでなく、調理物の蒸気、臭気、油分なども舞い上がるからだ

一方、白川郷などの観光地化した建物の内部で焚かれている火は、生活の火ではない
家屋の維持と雰囲気のためだけに、殆ど薪だけが焚かれているので、汚れかたが違うのだ


の重要文化財でありながら、そのまま実用しているのだ


いやぁ、健全!

ざまぁみろ!




平山家の現状は、私の思う、もっとも正しい文化財の姿である

建物は、使うために建てたもの
文化財指定など、あとの時代の人間が勿体を付けただけだ
その価値を評価することに意義がないとは言わないが、それは、そこから人の実生活を消すためのものではない

国としても、文化財に指定する目的を、そこから実生活を奪うため、とは考えていないだろう

しかし、たいていの文化財住宅が実生活の拠点で無くなるのは、持ち主が手放してしまうからだ
経済的に維持できないとか、旧観復元すると日常生活が不便でならない、等が理由だろう

平山家は、先祖を辿れば源平時代の上杉系の武士だそうで、
世襲の名主を勤めた江戸時代から現在に至るまで、おそらくは殆どの土地を手放すことなく、
農業を続けておられるわけだ

で、現在も、こんな屋敷を個人所有で維持しておられる

平山さんの実力の程がしれよう



屋敷は全て開け放たれていて、どこにも無粋な立ち入り禁止の柵がない
全部屋、見学が可能だ
見学料は無料
入り口を入ったところに小さな机があって、
その上に、平山家の簡単なパンフレットと記念スタンプ、記名帳さえなければ、
それが埼玉県下で10棟しかない国の重要文化財住宅とは気づかないだろう

管理人もいない

ただ、庭先で、たいてい、当主平山さんが農作業をしている
私が見学している間は偶然不在だったが、帰ろうとした頃に、どこからか現れて、
ブルーシートに広げた小豆の鞘を棍棒で叩いて実を取っていた

屋敷の南側には、現代住宅が建っている
轍の様子から推察するに、平山さんの
日常生活の本拠は、そちらに移っているようだ


こんな具合だから、敷地内には土産物屋も飲み食い処もない
周辺には
コンビニと農産物直売所がある程度で、目立つ看板すらない
敷地の入り口は個人住宅然としていて、厚かましい私でさえ躊躇したほどだ

その巧妙か、見学者は非常に少ない
記名帳の最新の日付は、一週間前のものだった



これぞ、文化財

胸のすくような存在である



夏期の見学には、虫除けをお忘れ無く・・・・





なお、文中に触れた
遠山家住宅は、昭和初期竣工の国指定の登録有形文化財である
私が今まで見てきた中で、技術・材料・意匠の全てにおいて、最も優れた個人住宅だが、
また別の機会に記事にしようと思う

2011年8月22日 (月)

看病雑感

小ガモが増えた

Sp1030333

いや、別の親子なのか?

前回、小ガモは2羽だけだった
今回は6羽もいるし、そもそも色が違う
前回の小ガモは、こんなに黄色くなかった

うーむ、謎だ



入院中の嫁は痛みに苦しんではいるが、それでも日々良くなってきている

疵自体を処置するのは病院の仕事だが、
あとは治るのを待つだけ、という段階まで来れば、
疵の快復そのものは、入院を必要とするものではない

未だ自由に体を動かせるわけではないが、退院して自宅療養に移るわけだ


退院後のサポートは欠かせまい

しかし、私が一般的な通勤族だったら、出勤後は一体誰がサポートするのだろう?
まぁ、動けないわけではないから、自分でやってくれ、ということになるのだろうか?

あぁ、そうだった
私の時、家内は今と同じ夜勤の仕事をしていたから、夕方から出勤した
私は自分で二人分の夕飯を作り、家内は帰宅後、そのうちの一人分を食べていたんだった

それに比べると恵まれた退院生活になるだろうな

羨ましい・・・・


入院日数が長くなり、同室の方とも会話を交わすようになった様子で、
今日は4人部屋の3人で情報交換をしていた
皆さん、同じような手術を受けているので、これから受けるであろう経験を、先達に聞くわけである

アレはどれぐらい痛いの?
入院日数はどのくらいだったの?

といったことだ


不安な人は、夜も眠れない


私が開胸手術を受けて入院していたとき、
同室の強面の男が、消灯後もテレビを煌々とつけていたことがある
揉め事になるのは面倒くさかったが、眩しくて眠れなかったので、
思い切って、「テレビを消してくれ」と声を掛けると、
その強面の男が、蚊の鳴くような声で、明日の手術が怖くて眠れないんだと、私に零したのだ
私は、ここは医者も看護師もしっかりしているから心配いらない
寝不足は手術にも良くないから、テレビを消して眠りましょうよと、慰めたことがある

その一言で、テレビを消し、暫くすると寝息も聞こえてきた
寝たフリだったのかもしれないが、少なくともテレビは朝まで消えていた

まぁ男は総じて恐がりだが、総じて腹の据わった女性の中にも、怖がる人はいる
だから、経験談には、皆、耳がダンボになるのだ


看護学校を持つこの病院にも、一年目の新人からベテランまで、すばらしい看護師が大勢活躍していた
その崇高な志に、心から敬意を表します

2011年8月21日 (日)

思考の姿

毎日が使い捨てられるように過ぎていく

苦しむ家内を見舞い、
死んでしまった人のラブソングを聴き、
気絶するように寝てしまう

無くなってしまったもの、手に入らなくなったもの、手元を離れてしまったもの
それだけに執着を抱く偏愛主義者なのだろうか


ここ数日、7年ほど前に引き渡しを済ませた建て主さんに呼ばれて、
庭に出来合いの物置を設置していた

そのご夫婦は長く子宝に恵まれなかったが、
5年前に女の子を授かり、今は幼稚園に通わせている
気難しい一面があるようで、私にはなかなか懐いてくれないが、
同世代の両親に甘えるその姿は可愛い

私は、子どもが欲しいなんて思ったこともなかった

結婚前も、結婚後も

息子が生まれれば、子供じみた趣味につき合うのはうんざりだし、
娘が生まれれば、恋をして綺麗になっていくのが絶えられないだろう

でも、その可能性をゼロにさせられた今、
あぁ、子どもがいても良かったな、と、幾らか思うのだ

妊娠を避けていたわけではない
だからといって、積極的に子づくりに励んでいたとは言えない
お互いに、その面では冷め切っていた
典型的な、セックスレスの夫婦だ

家内には、性欲はもう無いようだった
私は、性欲ばかりが残る
のに、矛先は家内に向かわなかった
向ける先のない欲望を持て余す日々は、今も続いている

性欲だけを満たす相手が別にいても良いじゃないか
そういう、よこしまな想いが、当然のように頭に浮かぶ


熟れた果物を食べやすい大きさに切る
畑で穫れたオクラを塩茹でし、刻んで、鰹節と醤油をかける
それらを、タッパーに入れて持っていく
美味しそうに食べるその笑顔を見るのは嬉しい


その一方で、頭の中で常に渦巻くよこしまな想い


明日はキュウリの浅漬けを食べたい、と言うから、
じゃぁなすびも一緒に漬けて持ってくるよと、私はこたえる

4時半に目が覚め、流しにおいたままの汚れ物を洗う
お米を2合研ぎ、炊飯のスイッチを入れる

昨日の取り置きのキュウリの中から、美味そうなものを選ぶ
キュウリは5mmほどの厚さに斜め切りして、
なすびはもう少し薄く、半分に切ってからやはり斜め切り、
少し塩をふって、ペーパータオルで軽く拭いてから漬けようかと、
考えている最中でも、常によこしまな想いが渦巻いている


みんな、そんなものだろうか

私は、異常だろうか


Sp1030329

夢を見た



私は、埼玉県立深谷商業高校の旧校舎を見ている


実物は、敷地の外から遠巻きに見たことがある程度だ

渋沢栄一あっての深谷商業

現在、評判の芳しくないドラマのロケ地になっている

木造二階建て

確か、外壁は南京下見張りで、灰色
屋根はトタンで、赤く塗られていた
いずれも、ペンキが傷んで古びていた


夢の中では、外壁は下見板張りの無塗装だったが、
深谷商業を見に行くためにそこに行っているし、
大きな看板には学校名が筆書きされていたので、違和感はなかった

私は一人で、その校舎を見物していた

恐らく、実物より大きい

開いたままの玄関から中を覗くと、壁
際にシンプルな靴棚があり、
奥には、
暗い裸電球が、黒光りした廊下の床に反射している

校舎の目の前には、コンクリート造の4階建てぐらいの建物が建っていた
現実には、こんな建物は、少なくとも深谷商業には存在しない

一階
は開けっぴろげで、古い市場のような様相だ
人の姿はない
私は、そのカオスの中に足を踏み入れる
広い畳敷きの部屋には、多くの勉強机が乱雑に並べられ、あちこちに布団が積み重なっている
布団は、足を載せた跡がついていたり、傾いて崩れそうになっていたりする
机はどれも古い木製で、様々な本が積み重なっている

部屋の奥は暗く、柱や梁、上階床の裏面が、ボンヤリと白く光っている
廊下への出入り口の欄間から、オレンジ色の明かりが入ってきている
奥には明かりのついていない部屋があるようで、その欄間は開いているが暗い

やがて、人の気配を感じる
大学にいた頃、こんな顔の男がいた
そうだ、後輩だ
上下に薄い形の、黒縁のメガネを掛けている
気取った、苦手な感じの人物像だ
気づくと、同じ風情の人物が何人もこちらを見ている
見知らぬ侵入者である私に、警戒の眼差しが注がれている
そのうちの一人に何かを尋ねられたようだが、覚えていない
私はそのカオスから出て、向かいの講堂の屋上に逃げた
何人かが、私を捉えようと追いかけて探している
やがて、講堂の屋根上に私を見つけると、こちらに向かってきた

講堂の屋根の上から、そのコンクリートの建物を眺める
ベランダの角は大きく丸面になっていて、壁は黄土色のリシン
木製の窓から、部屋の明かりが暖かく滲む、
昭和レトロな建物だ
夢の中の私は、それが、有名な学生寮であることを知っていた


そこで
、夢の記憶はなくなった




私は、ただ、ちょっと拝見したかっただけなのだ

彼らの平安を乱そうとしていたわけではない
でも、そんなこと、相手には伝わらない



一昨日だろうか?

この業界に生きてきて10年

理解できる人物についぞ会えていない現実を、ふと思った瞬間があった

何かがあったわけではない

仕事をしていたときでもない

ただ、本当にふと、マトモな奴がいないと思ったのだ

私が、この業界で、あまりに異質な存在に思えた一瞬だった



建物は好きだ

しかし、建築家は大嫌いだ

だから、誰が設計したとか、そういうわけではない、
或いは、設計者が判っていても、その個性が表現されていない、
たとえば深谷商業の旧校舎や、昭和レトロな集合住宅などを、
そっと眺めるのが好きなのだ

でも、夢の中では、それらは、私の苦手な風情の人物に占拠されていた
勝手に入り込んだ私が悪いのだが、結果的には排除された

その彼らの和の中に入りたい訳ではない
決して入りたくはない
むしろ、
ぎらぎらした目つきの彼らを駆逐して、
その建物に特別な意識を持たない、
様々な一般の方々に生活して欲しいのだ

そこに手垢を付けることが、まるで自らの功績であるかのような彼らの態度が、嫌いだ


何も残さず、役に立ちたい

広く公言せず、痕跡を残したい

ごく限られた人にだけ、それと判ればいい

建築の世界が、そういう思考に戻ってくれる日は来るのだろうか?


このままこの業界に生きるのが嫌になった一瞬だった

2011年8月19日 (金)

24-Twenty Four-

ジャック・バウアーのアレである
キーファー・サザーランドのソレである

今更ながら、ハマっている
現在、テレビ東京が、シーズン5を毎週水曜日に放映してくれているのだ

もちろん、何年も前から話題になっていたし、どきどきキャンプがモノマネをしてくれているので、
世にそういうドラマが存在していることぐらいは知っていた

ただ、昔から抱いていた、海外ドラマ独特の「癖」に対する先入観が勝ってしまい、
まずは見ようとすらしなかった

それに、レンタルビデオ店にも本当に久しく行ったことがなかった
徒歩圏内にレンタルビデオ店がありながら、その店に行こうと思うことすら無くなってしまっていた

もともと映画にさほど興味はなく、ドラマを借りて見るという趣味もなかった
私にとって、レンタルビデオ店の存在意義はアダルトな分野のみに存したのであって、
それは、インターネットが普及する以前にのみ有意なものだった

必然的に、レンタルビデオ店に寄りつかなくなってから、かれこれ10年ほどが経つ
その間に、こんなドラマが世に生まれていたとはなぁ・・・・



このおもしろさは、もう、ちょっと異質なものだ


まず、日本のドラマでは得られない、異常なまでの緊迫感が堪らない

緊迫感が強すぎて、見終われば若干の疲労感は否めない
映画かと見まごうその密度と完成度の高さに毎度毎度絶句している

とにかく、出演者の芝居が上手い
ふざけた演出が無いので、物語の展開に思いっきり集中させてくれる

最近の日本のドラマは、相手を茶化したり、出演者を異常なほどに下品に設定する
傍若無人で鼻持ちならない発言や行動に終始するが、
出演者はみな、これがまた並外れて非常に大きな実力を持っているので、物事が次々と解決していく
その結果、周囲はその品のなさを受け入れてしまう
憎々しくも受け入れるというのならまだしも、満面の笑みで受け入れるのだから堪らない

こんな類の描写ばかりだ
「やれば出来る子なんです」「この子にだって良いところがあるんです」
そんな、出来の悪い子の親の常套句のようなお芝居

実社会でこれほど不愉快な現実はおそらく無いだろう
そういう芝居を、人気ばかりで演技が出来ない大根タレントが嬉々として演じているのだ

楽しめるわけがない

物語そのものも凡庸で、非常にレベルが低く、まぁものの見事に面白くない
悪いが、制作者の低能ぶりを、わざわざ大枚の予算を掛けて晒しているとしか思えないのだ


シーズン8しか見ていないで言うのもなんだが、
24の凄いところは、初回の平和な状況を除き、食事シーンすら出てこないことだ
もう昼飯も晩飯も夜食も摂っていなければ空腹で目眩でも起こしそうなはずなのに、
そんなものはストーリー上描写する必要はない、という割り切り

それが、映画を見ているかのような緊張感をもたらしてくれるのだろう



とにかく、まず、"笑いのセンス"とやらを挟まれると、もううんざりである
「BOSS」なんて、まるっきりくだらないドラマだった
同じ一時間で、よくもまぁここまで差があるものが作れるものだと、ある意味感心したものだ



24シーズン5は、来週の2時間連続放映で終了だろう

あぁ、レンタルビデオ店の会員になろうかな・・・・?

2011年8月18日 (木)

月遅れ(2)

仏壇には、親戚やご近所の方々からのお供えが積まれている

その前で、姑が、うどん玉を綿棒で伸す

真ん中に包丁を入れ、3本ほどのうどんを切り出し、茅の縄に掛ける

蝋燭を灯し、線香を立てる



伸したうどんを団子に練り直す

「寝かしておいて、あとでうどんにすれば一食分以上になるわ」



にわか雨に供えて、傘だけを持ち、菩提寺の施餓鬼会に向かう

二つの神社と、川

蝉時雨

菩提寺の駐車場は、思いの外多くの車で混雑している

ざっと100人余りの
老若男女が、思い思いの場所で、施餓鬼の読経が終わるのを待っている

5~6人の僧が読み上げる経が、開け放った古い本堂から、境内じゅうに低く響いてくる

本堂の入り口で、お布施を済ませる



読経が済むと、境内で待っていた老若男女が、本堂に上がっていく

本堂内に広げれられた真新しい卒塔婆の中から、自分のものを探すのだ

私も、姑の名入れの卒塔婆を探し出す

焼香を済ませ、持ち帰る

二つの神社を過ぎ、川の辺りまで来たところ、突然の時雨に見舞われる

「墨汁の匂いがするのよね」

古い家の床下も、同じ匂いだ


仏壇に卒塔婆を立て掛け、蝋燭に火を付け、線香を焚く

お供えで頂いたおはぎと、程良く漬かったキュウリのぬか漬けで一服する



仏壇の蝋燭を高張提灯に移し、長い線香に火を付ける

茅の縄目から鬼灯を幾つか引き抜き、先ほど掛けたうどんも下ろす

なすびの馬と、花瓶の花を下げる

茅の縄を、仏壇から外す

卒塔婆を持つ

「さぁ、帰りましょうか」



時雨は上がり、また夏の日差しが降り注ぐ

川を渡り、二つの神社を過ぎる

送りの人々がちらほら見える

多くが、こんばん提灯という簡単な提灯を持っている



午後3時過ぎの墓地は、多くの送り参りの人々で賑わっていた

鬼灯、うどん、なすびの馬を墓前に置き、長線香を香炉に供える

仏壇から下ろした花を、花生けに足す

高張提灯の蝋燭を消す

墓石に水を掛け、しばし手を合わせる



「送った帰りは、振り向いちゃダメなのよ」

「名残惜しくて、ついて来ちゃうからね」



帰ってから見た仏壇は、心なしか、ひと気がないように見える




狭山に残る、月遅れ盆である

2011年8月16日 (火)

新盆と人柄

早いもので、母が亡くなって一年が経とうとしている

だから、今年は、新盆だ

実家は本家筋だが、その本拠地からは遠く離れているので、
親戚がわざわざお参りに来てくださるわけではない


そこに、血筋でもなく、隣近所でもない、でも、もう30年来のつきあいのご夫婦が見えた


奥さんの方が、結婚前からの長いつきあい
父の、職場の後輩?教え子?弟子?である
かつては、正月になると、さんざん呑み喰いしに来たものだ
母はこの奥さんを認めながらも、基本的には心底バカにしていたので、何を言っても全く歯が立たない
さんざんご馳走になって、お年玉まで押しつけられるものだから、全く頭が上がらない

いわば、母の子分であった


のご夫婦は、私の仲人を務めてくださった方々で、
ご主人は、私の大学受験の際の家庭教師でもあった
私が、お二人のお子さんの夏の宿題の面倒を見に行ったこともある
そんな具合だから、私にとっては慣れたおつきあいで、お相伴には私さえいれば不具合はない
しかし、こと新盆ともあれば、
事前に来ることが判っている重要な客人は、一家総出でお迎えしなければならんわな

それなのに、
出来の悪い私の兄は、長男であるにも関わらず、実家に戻ってこなかった
都内在住、45分もあれば帰ってこられる、独身の男が、だ
事前に、このご夫婦が、わざわざおまいりに見えるから来いと連絡をしたのに、だ

どうも、たいした理由もなく、ただ行きたくないからと断った様子
兄は以前からこのご夫婦に苦手意識を持っていたので、おおよその見当はついていたのだが、
しかし、流石に新盆ともなれば、義理で顔を出すかもしれないと思ってもいた


全く、みっともない長男だ



この兄と、ちょっと前に、ひょんなことから一緒に呑む機会があった
その時、兄の馴染みという店に連れて行かれた
場末のスタンディングバーである
ダーツバーというらしい
この手の店は、アメリカ人がやっていれば格好が付くが、
店員も客も日本人だと、なんだか学芸会のようにしか見えない

店に向かう途中、兄が酒屋に寄って、一ノ蔵という、さして珍しくもないのに値段だけは高い四合瓶を買った
普通の白いビニール袋に入れてもらっていて、これは家呑み用かなと思ったのだが、
そのバーに着くやいなや、フロアレディに、その酒を手渡すというセンスのない行動を取った

バーだぞ、ここ

珍しくて見たことがなさげな酒を持っていって話題の種にしようというのならまだしも、
ただ、ネェチャンにいい顔をしたいだけ
それもスーパーのビニール袋で渡すって、どんだけセンスねぇんだよ

そんなの、さっきまで呑んでた店先の花籠から一本失敬すればいいだろうよ

おぉ、おまえさん、こんなものも案外似合うんだな、程度で十分だ

何をくれたって何も響かない、そういう相手ということが判っていないんだろう

全く、情けない男だ




長くなりました




新盆のおまいりの御礼に、行きつけの蕎麦屋へ粗餐に行った

根が、気の置けないご夫婦である
特に奥さんは、昔から娘のように振る舞っている
私も、彼女を「ねぇさん」と呼んでいる

程々
に酔いが回り始めた頃、まずは「ねぇさん」が、兄の欠席の理由を父に糾した

「あいつ、なんで来なかったのよ」

父は、彼女のことを好きなので、つい掌に載せられて本音を晒す

「なんでって・・・・しゃーないやん、サラリーマンにとって、お盆休みは唯一休める時期やろうし・・・・」


「甘い!」


糾弾の一言が、鉄拳のように父に浴びせられた


当然である


仕事で来られないというのならまだしも、
来たくないだけが理由で来ない、45歳にもなる長男をかばっているのだから

全く、みっともない父親だ



母は生前、父の兄に対するこの甘さに対し「なんてったって『ご長男さま』だから」と揶揄していた

父は、何かと小うるさい、次男である私の言うことに、基本的に耳を貸さないが、
大好きなこの奥さんの言うことは、骨身に浸みるのだ
まぁ、だからといって、兄への接し方は変わらないだろうな


法学部出身の父を「あほう学部」とバカにし、
経済学部出身の兄を「不経済学部」と吐き捨て、
理工系学部出身の私を「おりこう学部」と切り捨てた母

母が、父のどんなところを気に入ったのかは判らないが、
父の手綱を締める仕事だけは、もう少し続けて欲しかったなぁ



今日で月遅れ盆が終わる

日本各地で、似たような光景が繰り広げられていたことだろう


黄泉の国では、それらを肴に、これからおおいに盛り上がるのかもしれない

2011年8月15日 (月)

月遅れ

いつも手入れの行き届いてる仏壇から、4枚建ての建具が外されている

開け放たれた仏壇は、いつもより増して清められている

鴨居には、姑が茅(ちがや)で綯った縄が掛けられている

その縄目には、叔母の育てた鬼灯の実が挿されている

百合や菊を生けた花瓶を飾る

香炉の灰を篩いに掛ける



花と線香と提灯を提げ、姑と二人で、迎え火を焚きに行く

途中、神社が2社と、小さな川がある

よく晴れた道に、蝉の声が響き渡っている




歩いて10分程の古い墓地の午前10時は、人影も疎らだ

水を遣り、花を生け、提灯の蝋燭に火を付ける

線香に火を分け、香炉に手向ける

家紋の入った提灯を張る

しばし、手を合わせる



迎え火のともる提灯を持ち、来た道を帰る

真夏の日差しの下で、姑は多弁だ

「『今年は早えぇなぁ』なんて言ってるわよ」

「この神社の欅も大きくなったわねぇ」

「この川も綺麗になって、あら、鯉が泳いでるわ」

道行く車からは、好奇の眼差しが注がれている




仏壇の燭台に、提灯から出した蝋燭を移す

その火で線香を焚き、香炉に立てる

炊きたての白米を供える

燻る仏壇に、手を合わせる

「おかえんなさい」

仏壇には、舅の他に、その先妻の位牌も供えられている





静岡県藤枝地方出身、埼玉県所沢市育ち、同狭山市在住、昭和元年生まれの姑の、今年の盆の入である

2011年8月14日 (日)

世の中、「お利口」が多くて・・・・

桃井かおりが、「世の中、バカが多くて疲れません?」とつぶやくCMは面白かった
クレームで、「バカ」を「お利口」に言い換えたセンスは、さらに切れ味が鋭かった
「お利口」のほうが、よほど嫌みなセリフに思えたものだ



お盆に入っての電力需給率について、原発なんか要らないんじゃね?などとツイートしている人が居る

まぁ、同様に思っている人は多いようだ



しかし、原
発が供給量の点で欠かせないと思っている人が、なんでこんなに多いのだろう?

供給量の点だけで言えば、原発が要らないのは分かり切っていたではないか



は、原発の採用はダメな思想だと思ってはいる
技術的にも、原発はダメだと感じている

確かに、原発の発電量は非常に大きく、効率も良い
しかし、だからといって、
発電量の点で不可欠だった、ということではない


原発は、震災直前までは、間違いなく、最も理解を得られていた電源だった
それが政府を中心とするプロパガンダの結果だったとしても、だ


多くの電源の中で、原子力が国是として推進されてきたことは確かで、
それには色々な理由があろう
その中で一つ確かなのは、発電について、世界の中で独立状態を確立したいという、
外交的な願望があったことだ

太平洋戦争は、原油の輸入が途絶えたことがその大きな原因の一つであり、
その忌々しい記憶が、電力の独立を強く意識させたのだ

安定電源である火力は、燃料を輸入に頼らざるを得ない
それも、産油国という、社会情勢が不安定な国から、非常に大量の燃料の輸入を継続的に必要とする
震災後、産油国から原油の支援を受けたことは記憶に新しい

それ自体は美談であるが、その構造が不安定な輸入依存体質であることに違いはない


だから、海外からの輸入を極力抑え、世界に対する
依存体質を改善したいという、
基本的な理念については、十分に
理解できる
それは、食糧あるいは食料自給率の向上を善政と感じるのと同じである


また、それに加えて、近年のダム(=水力発電)に対する倦厭的世論や、
地球温暖化の原因とされるCO2の排出量の抑制思想が、
水力や火力の使用、維持、開発を抑制させていたのも事実だ



残念なことではあるが、その結果として、原発が利用、推進されていたのだ



しかし、火力、水力が稼働しても、原発抜きで電力を賄うためには、
これだけの抑制生活と、地球環境への負荷を強いるのも確かだ
 
これまでの平時に、こんな抑制生活を強いることなど、絶対に出来なかっただろう

負荷という点では、無論、放射能漏れは極めて重大な環境負荷だが、
今の科学的見地に依れば、CO2や排熱(=火力)もダメだろう
政治的にも、原発を補完する分のCO2排出について、永続的に理解を得られるかは不透明だ
それに、日本人の現代思想からすれば、自然破壊(=ダム)も同じくダメだろう
日本の美しい渓谷に巨大なダムを造り続け、山肌に銀色の巨管を這わせることを受容できるかどうか
また、新しい電源として、太陽光、太陽熱、風力などの普及が受け入れられるかどうか
 
それらが混沌としている中で、取り敢えず、なんとか理解を得られているという理由だけで、
火力や水力発電所をバンバン動かして、やっとピーク需要に対処できているのだ

それに、今
でも、東京電力管内では、柏崎刈羽原発が稼働している
暦はお盆に入り、大量消費家の稼働率が大幅に下がっているのだ


そんな今を論うように、原発なんか要らないんじゃね?とツイートしている人が、
私にはあさはかに見えて、軽薄で、情けなく、頭が痛くなってくる

ツイッターって、バカ晒し器にもなるんだな




電力供給に余裕があるとなると、あたかも停電しなければ満足しないかのような論調
様々な努力によって、停電しないで済んでいることに感謝するのが損とでも考えているのだろうか?
そんなこと言ったら最後、東電の太鼓持ちとでも思われそうで嫌なのだろうか?
 
隠し電力があるとか、供給力はもっとあるのではないかとか
 
そんなもん当たり前だろう
 
日本の技術の安全性というものは、その過剰とまで思えるほどの安全率にあるのだ
360kmで安定運行できる車両とシステムを、300kmで営業するから安全なのだ

供給率100%で即大停電などというシステムを構築してはならない
れが科学の定見というものだろう



ところで、電力
供給が逼迫するのは使用量のピーク時なのだから、
それ以外の時間帯での節電は意味がない、という意見もある
これも需要と供給という一面だけを見る限りでは正しいように思う

しかし、それが、使用総量を減らして原発が稼働しなくても済む社会を実現しようとする、
一人一人の、いわば
本能がそうさせているのだとすれば、
言い方を変えれば、消費社会への嫌悪感がそうさせているのだとすれば、
それを意味がないと誹るのは、いささか烏滸がましい物言いだと思う



まぁ、色々な意見があるのは理解できるし、譲歩も吝かではないが・・・・


世の中、ツイートが多くて疲れません?

2011年8月12日 (金)

大地の恵みと言えば聞こえはいいが

畑では、キュウリが暴威を振るっている

オクラの暴威も、そろそろ襲来しそうだ

Sp1030314
今朝のキュウリ・オクラ・なすび・いんげん

キュウリは、あっと言う間に巨大になってしまう
毎日収穫しなければ、すぐに瓜のように大きくなってしまうのだ
それが、毎日2本ほどは穫れてしまうから食べきれない
キュウリというのはメニューの幅が狭いのだ
まぁ、朝取りで新鮮だし、シンプルにスティックで食べるとしよう

なすびは、人数分の株数が適量といわれているそうだ
今年は、3本植えて2本が残り、まさに人数分だ
確かに、毎日なすびを食べなければならない訳ではなく、
2~3日に一度、3~4個が収穫できる、最高の状況だ
焼き茄子が堪らなく美味いのだが、朝は輪切りにして油で焼くほうがパンには合うだろう


オクラは、丸オクラというもので、15cm程の大きさで食べる大振りな種類である
が、ニョキニョキ伸びるそのスピードは恐怖すら感じる
早く収穫しないと大変だよ~と脅迫されているような気分だ

もう終わりと思っていたインゲンも程々に収穫できたので、オクラと一緒に塩ゆでし、
今朝は、こいつらの野菜プレートと洒落込んでみた

Sp1030316
自家菜園の朝取り野菜のプレート、なんて


大地のミネラルをたらふく食べて、今日も看病に行くとしよう

病気と覚悟

子宮を見た



頂部
の両脇から、Y字状にメスが入り、
内部が開かれた状態で、撮影台に置かれていた

卵巣や、卵管も繋がっている
一体ではないが、リンパ管も切除され、保存容器に納められていた


こんな物で、子供を孕ませ育ませることが出来るのだろうかと疑問に思うほど、
それは、小さい小さい、新鮮な筋肉の固まりだった



本来の使用目的を果たさないまま摘出された非常に新鮮な筋肉の固まりからは、
に冒されているという、悪い印象は受けなかった


病変の部位は、この目ではっきり確認した
あの程度の変質が、子宮の切除を必要とするとは思えないほど、
癌の見た目は平静だった

むしろ、子宮外部に出来ていた、親指の先ほどの大きさの筋腫のほうが、
悪質な印象を受けるほどだった


おととい、カルガモのいる近所の国立病院に、家内が入院した

予定どおりの入院だった

そして、昨日、癌に冒された子宮の摘出手術を受けたのだ

手術後は、ICUに入ることもなく、CCUに相当するのだろう、
ナースステーションの直近に位置する個室に入った

程なく意識は戻ったが、全身麻酔と硬膜外麻酔の副作用と思われる嘔吐を数度繰り返した
ただ、局部麻酔の効果で痛みは感じないらしく、
おなかに大きなキズを受けたばかりというのに、大きく体を動かせている
体を自由に動かせず、全治一年以上の背中の痛みを負った私の術後に比べると、
幾らかは楽そうで、せめてもの救いのように感じる


手術は5時間ほどだった

人工心肺を使用した私の心臓手術より、3時間ほど短かったようだ

体に刺さった管も、維持液と硬膜外麻酔、ドレンと尿カテーテルだけだ

循環器系に異物を仕組まない手術の術後はこんなに楽なのか



悪性か、良性か、病理検査の結果は未だ教えられていない

昨日は、落雷の影響か、病院とその周辺が停電した
病棟のエアコンが不具合を起こして病室が暑くなったが、
その影響で、電子顕微鏡による病理検査も影響を受けたそうだ

結果は、今日知らされるのかもしれない



最も女性らしい臓器を、その最大の目的を果たさぬままに癌に冒され、
切除されてしまうということは、女性にとって、どう考えても残念なことだろう
それに、手術の致死率は非常に低いが、そのおそれはゼロではない
癌には転移の危険もある

身に迫る見えない恐怖に、覚悟をしたかったのだろう
万が一のことも思ったのだろう
入院
前の数日は、長らく仕上がらなかった、私の新しい浴衣の仕立てに没頭していた

私の手術快癒のお礼参りに成田山新勝寺に行った際、
門前町の着物屋で
ぱっと目に入って買い求めた、セール品の男物の浴衣地だ

入院2日前に仕立て上がった浴衣は、畳まれて着られるのを待っている
腕の良さが、一つ一つの縫い目に静かに宿っているように感じる



手術によって、お
なかには大きなキズが出来てしまった
一度でいいから、ビキニの水着姿を見たかったが、もう、それも叶え難くなった

第一、そんな姿をお天道様に晒す
歳でもない

腕のいい仕立ての浴衣を、一緒に着られれば御の字だ


Sp1030317
5年越しで仕立て上がった麻混地の浴衣
 

2011年8月10日 (水)

問題に対処するということ

金曜日に見に行った現代工法の住宅

帰宅後、図面と睨めっこしていたら、少々現場に苦労を掛けなければならない問題が見つかった
最終の図面には、比較的大きな変更が加わっていたのだが、それがすっぽり施工されていなかったのだ

法的に必要なことだっただけに、施工しないわけにはいかない

こういった場合、どこに非があったのか、ということを考えるよりも先に、
どれだけ負担無く、修正できるかを考えなければならない
幸い、現場は内装が未だ仕上げ前だったので、追加施工の負担が軽い段階だった
なので、私の一存で、現場に修正を指示した
すぐに修正を承諾し、必要なものを発注した現場の対応も正しく、
今日には修正箇所も完成している運びだ

それ自体は一件落着

しかし、そもそもなぜこんな問題が生じたのだろう

実は、その他にも、幾つか、気になったところがあったのだが、
法的に問題のない箇所だったので、修正には至らず済んだ
しかし、それらと併せて今回の問題を考えると、どうも、最終版の図面が現場に届いていない感じなのだ

私は設計そのものが担当で、図面のやりとりをはじめとする現場との事務的な連絡は後輩が担当している
現場の担当は施工会社の社員さんだ

昨日、その修正の詫び入れに再び現場を見に行った際に、
現場の担当者に、図面の件を尋ねてみると、案の定、一つ前の図面で施工していた

なんてこった・・・・

現場の担当者には、最終図面を受け取っていないことを再度確認してもらうことにして、

一方の、私の後輩にその件を尋ねると、最終図面は現場に渡している、との返答


う~む・・・・言った言わない論争になってしまった




どっちが正しいのか
近いうちにハッキリさせなければならない


しかし、それよりも、今回の
案件についての、後輩の判断が拙かった

実は、その問題が私の中ではっきりした、翌日(=土曜日)の朝一番に、
後輩に、この件について、どう判断すべきか考えろと電話で打診しておいた

現場に私の一存で修正を指示する直前のことだ

しかし、その日一日待っても返答はなく、その翌朝(=日曜日)に催促して、やっと帰ってきた返答に、
正直言ってがっかりしてしまった


後輩が言うには、図面は現場に渡っているわけだから、
それを現場が見落とした結果、修正が必要になったら、基本的に現場の自業自得だということだ

理屈ではそうだ

しかし、
あと一ヶ月足らず、それもお盆休みを挟むという短期間で完成を予定している現場を、
設計
者が見に行って問題を発見できた以上、
まずは、現場にそれを知らせるべく、電話で早急に用件を伝える、というのが正しい判断である

その上で、現場
になるべく負担の掛からない方法を考え、迅速に指示するべきなのだ

上記のような思考は、現場に対する蔑視、或いは虐めとも言えるものであり、
非常に高慢で、そういう発想を、私は許せない
そして、
後輩がそんな判断を下すことが、本当に残念だった


この後輩は、私を師匠などと呼びながら、私の指導をあまり聞き入れようとしないのだが、
にかく現場に電話してまず伝えろ、と、教育的指導を行った



まぁ、こんなことになるやもしれぬと、私は土曜日の午前中に現場担当に内示しておいたので、
水曜日の今日には修正工事が完了できた

昨日は建て主さんにもお会いできたので、修正が生じたことを正直にお詫びし、
問題なく施工できる段階だったことをお話しして、快くご理解頂けたのは幸いだった



さて、この問題について、後輩に、自らの判断がどうであったかをより強烈に自覚させるためには、
黙っているという判断もあったかもしれない

しかし、連絡が遅くなることで工事が進み、それによって施工が困難になれば
現場も困る
施工が困難になれば綺麗
に仕上げることも困難になるのが常で、
そうなれば、建て主さんにも残念な想いを強いる可能性が高まるし、最悪、揉め事にまで発展するのだ

自ら住み手となる建て主さんの家を施工するというのは、そういうこと


後輩が聞き入れる耳を持ってくれると良いのだが・・・・

2011年8月 8日 (月)

なし

なしなしなしなし

梨の季節である


4年ほど前、成田山新勝寺に、私の手術の無事を祈願したお札を納めに行った
8月のちょうど今頃の時期だったと思う

その帰り道、国道464号を、鎌ヶ谷近辺から松戸に抜けていた

初めて走るルートだった
千葉の道は狭く、右折レーンや矢印信号のない交差点が多いので、非常に混む
渋滞にうんざりしながら、
「大町」という北総線の立体交差駅をくぐった先の辺りで、
異様な光景が目に飛び込んできた

行けども行けども梨梨梨梨

梨の幟を立てた販売所が果てしなく続くのだ
その距離凡そ2km
まさに、梨街道だった

しかし、手持ち
のツーリングマップルには、そのような注記はない
果樹園の記号すらも記されていない
千葉の梨が名物という知識もなかった

でも、これだけ並んでいるということは、おそらく名物なんだろうし、きっと美味しいに違いない
けれど、知らないだけに投資意欲が湧かない
観光地の移動果物販売のように、ぼったくられたらつまらない

しかし、梨販売所がどこまでも点々と続くその光景に、食欲の方が黙っていられなくなり、
おそるおそる一軒の店先に車を止めた

やはり、
クッションに包まれ、綺麗に並べられた、段ボール一箱3,000円を超す高級品が目に入った
こんな物買えないよなぁ・・・・安いの無いかなぁ・・・・
と、店内を見渡してみると、ビニール袋に8個ほど放り込まれて800円という、
いわば自家食用のものがあった
これならお試しにちょうどいいと一袋買い、帰って食べて驚いた


もの凄く美味いのだ

とても甘くて瑞々しくて、パリッとしている

人生で食べてきた梨の中で抜群に美味かったのだ


後日、それが、
千葉市川市の名産品として名高い、大町の梨であることを知った


それ以来、夏には必ず、この梨を買い求めに行く
わざわざ梨だけを買いに行くのは忍びないが、
近くの柏市には義兄の墓があるし、足を伸ばした先の成田詣は毎年の恒例行事となったから、
ちょうど旬の時期に、ついでに梨を買いに行ける用事があるのが有り難い


今年も、お盆を前に、義兄の墓参を済ませ、成田詣を楽しみ、帰りに、大町で梨を買った

今の時期は幸水が旬である

今まで、同じ店で買ったことはなく、今回のお店で5軒目だ
この店では、一袋1,000円で7つ入っていたが、
お店の方が、そこに2つ、おまけを加えてくれた

帰ってから、冷やす間もなく、一つ剥いて食べてみた

いやぁ、相変わらず美味い
口の中が、甘い果汁でいっぱいになる
そして、パリッとした食感が実に爽やかだ

今年はまた特に美味いかもしれない



昨日買ったときには9つもあったのに、翌日の今日はもう残り2つだ

あぁ、もっと食べたい
こんなんだったら、もう一袋買うんだった


国道464号沿道の梨、外環終点からもほど近く、オススメです


Sp1030306
残り2つになった、今年の大町の梨。ものすごく美味い。

2011年8月 7日 (日)

2つの建築現場

今週は、私が設計を手掛けた住宅の普請現場をたて続けに見る機会に恵まれた

両方とも、大枠では木造住宅だが、内容はまるで違う

まず、こちらは、伝統工法と呼んで良いと思う、現在としては非常に凝った造りの木造だ
二階建て、延べ37坪。


Sp1030272

建て方中の伝統工法住宅。部材の加工に特徴がある

Sp1030273_2

進行は遅い。手前の女性は厚労省管轄の職人大学の学生


骨組みは、「木組(きぐみ)」と通称されているものである
木組の最も特徴的な点は、床下に縦横に配されて床を支える「梁(はり)」という骨組みの組み方である

布に縦糸と横糸があるのと同じように、
梁にも、縦材と横材があるのだが、
これを上下に数センチずらし、縦横の接点で、
互いの部材を削って作った接合部のみで噛み合わせ
これによって、布と同じように、縦横の接点で部材が切れずに、長く連続するのだ
当然、部材(木材)の持つ強さが自然と発揮される骨組みになる

Sp1030271
別角度から。建て主さん差入の麦茶とトウモロコシで休息中

その他の接合部は、全て、部材削り出しの接合部で接続していく
そして、それら全ての加工は、大工がその手で一つずつ手掛けている


壁には、竹を芯材にした、昔ながらの土壁と漆喰が施工される予定だ


内部は、住み手の生活の変化に左右されにくい、普遍的な構成とするために、
非常にシンプルで、いわば、何もない家として設計している

骨太で非常に凝った骨格は、住宅として長寿命を期待しての採用である
住宅が長寿命になると、その間に、住み手の生活は何度も変化していく
二人のお子さんを持つ建て主さんであり、将来は、住人が代替わりする可能性も高い
そんな、変化に柔軟に対応するには、中身をあまり作り込まないことだ

ある意味、賃貸住宅にその思想は近いかもしれない

何もない家という考え方は、そういう理由で採用している

加工にも組み立てにも手間の掛かる方法で、このような方法の建設現場は、まず見ることは難しい




一方のこちらは、まさに現代の標準的な造りの木造住宅である
二階建て、延べ72坪。

Sp1030284
ルーフバルコニーから。今様のデザインになっているかな?

床の骨組みは、木組と異なり、縦材と横材の間に高さのずれはない
当然の結果として、縦材か横材のいずれかが、その接点で切れることになるが、

その代わり、ボルトや金物で強力に接合するのだ
部材の持つ強さというよりむしろ、ボルトや金物の強さが支配する骨組みで、
部材削り出しの接合は、いわば補助的だ
木組と異なるこの造りは、設計や施工の簡略化や、部材の機械加工に合わせて生まれた物だと思う
無論、加工技術の発達や金物の低価格化も、その普及を促した
なので
、骨組みの殆ど全ての加工は、製材工場の機械によって自動的に行われる

壁には、石膏やセメントを固めた建材を下地に、壁紙や薄い左官材が施工され、一部には、タイルも使った
タイルなど、手間のように感じるかもしれないが、商品を接着剤で貼るだけなので、意外に手間は掛からない

一方で、内部は、住み手の生活にぴたりと合わせた、特注仕様的な構成とするために、
非常に凝った、いわば、盛り沢山な家として設計している

Sp1030286_2 Sp1030282
台所。天窓・棚・流し台を囲むタイル壁   二階の寝室。横長の窓は外からの視線を意識した形状

Sp1030280 Sp1030288
戸袋に仕込んだタイル貼バスタオル掛け 階段下は鞄等の入る小さなクローゼット

必要最小限の部材によるシンプルな骨格は、現代の住宅として標準的な寿命を想定しての採用である
そのような期間では、住み手の生活はそう大きく変わることもない
お子さんもいらっしゃらない建て主さんであり、住人が入れ替わる可能性は低い
そんな、住み手の生活が変化しにくい住まいの場合は、
建て主さんの要望に合わせ、中身を作り込むのもまた一つの考え方だ
 
盛り沢山の家は、そういう理由で採用している

加工にも組み立てにも手間が掛からないこのような方法の建設現場は、日常的に見ることができる



どちらがいいか、という話はあるが、たいていいつも水掛け論で終わる
私は、家という大きな物は、難なく100年ぐらいは使えるべきだと思っている
ただ、建て主が引っ越したり、亡くなったあと、どうするのか、
長持ちする家を造ったからといって、空き家になった後の再流通が確約されるわけではないのだ

戸建て住宅は、長い目で見ると、決して良くできたシステムに保護されているわけではない

あくまで個人所有物であり、個人的趣味であり、
広く一般に共通する価値の上に成立している物ではないのだ


私は、元来、伝統工法の設計を身につけてきた人間で、
本質的には、現代工法は伝統工法の足元にも及ばないと考えている

しかし、状況は様々だ
今回、現代工法に携わってみて、まぁ毛嫌いせずにやって良かったと思っている


しかし、現代工法の住宅は大きい
床面積は72坪あまりである
72平米ではない、72坪だ
玄関を入ると、正面に幅二間の廊下が10mも延びている


できるだけ長く住み続けて欲しいなぁ

2011年8月 3日 (水)

久々の飲み会にて

先日、実に久々に、仕事関係の飲み会に誘われた


在宅で仕事をしている私は、とかく人付き合いが疎遠になる
他人に会わない日もあるし、敷地から出ない日だってある
孤独が精神衛生上良くないのは判っている
昔、個人指導をしてくれた方には、一日延べ200人の顔を見なければ、
精神の正常は保てないと言われたこともある
しかし、どうにもならないこともある

そんな立場の私にとって、今回のお誘いは、正直魅力的だった
その一方で、人見知りの度合いが高くなっている私にとっては、
飲みの席でのコミュニケーション力不足という不安が、二の足を踏ませてもいる

あぁ、話せなかったら居心地悪いだろうなぁ・・・・という不安

昔から、苦手意識があるのだ

しかし、誘ってくれたのはお気に入りの大好きな後輩だったし、
上記のような境遇のささやかな打開の機会と捉えて、参加してみることにしたのだ

10名ほどの参加者のうち、知っているのは3名だけ
それも、そのうち誘ってくれた後輩を含む2名は小一時間も遅れてくる始末
残る1名は、仕事先で一度だけ顔を見合わせただけという状況は、
さながら一人背水の陣というべきものだった

これではどうしようもないので、砕けた飲み会の席にそぐわないかもしれなかったが、
相手も、誰だか判らないようでは困るだろうと思い、
席に着くなりに、初見の方々に名刺を持って挨拶に回ると、
幸いにも、私の仕事の成果品が、その方々の仕事で使われていることが判り、
打ち解けるのも早く、なかなかに楽しむことができた

また、誘ってくれた後輩が来るまでの間に、その先輩方に、彼女の活躍の程を訊いて、
目覚ましい活躍ぶりであることを知り、親のような感覚を味わうこともできた
嬉しいというか、誇らしいというか・・・・




その中に、30歳を目前にして、それまで生きてきた分野とは異なる、
全く新しい道として、この世界に入ろうとしている女性がいた
家庭の事情とか、親の意向とか、その手の外圧がないのに、
そこそこ安定していたであろうそれまでの生活から、自分で梶を切ったようなのだ


たいした勇気である

私は、何が苦手かといって、人生の岐路に立ったときに、
将来のことを決めるのがなんとしても苦手である

誰か決めて~っ!と叫びたくなる

中学卒業の時も、高校3年を目前にしたときも、
大学の卒業時も、大学院の修了時も、転職の時も、である

そんな私から見ると、その女性は誠に肝っ玉が太い


実際には、私もそこそこイレギュラーな人生を歩んできたのだが、
それは、嫌になるとプチッと切れて辞めちゃったりするからで、
そこに人生設計などといった高貴な展望は介在しない
つまり
、消極的な理由からのものばかりだったのだ


だから、積極的に人生の梶を切る人物には、かなわない
そして、どんな人となりなのか、純粋に興味深い


そんな興味丸出しの私からの質問に対して、
少々西日本の訛りを覗かせる語り口で、訥々と、その決心までの経緯を聞かせてくれた

見た目は、ほわぁんとした感じの大人しそうな女性だが、

ただ美しいだけではなく、やはり心の強い人なのだろう

こういう人物は、遠くから見ていると清々しくて気持ちいいのだが、
ある一定の距離以上近づくと、眩しすぎて劣等感を感じてしまうものだ
今は右も左も判らない新人さんだが、暫く見ないうちに生長しているのだ

畑のキュウリのように


もしかすると、大卒の人間は、本来そんな光り輝くような素養を持っているのかもしれない


私は、大学進学など考えてもいなかった
高校を卒業したら大工に弟子入しようとしていて、弟子入先も決めていたのだ
だから、大卒の人たちのような素養など、元々持っていなかっただろうし、
それを備え、育てようとしたこともなかった
勉強もせず、かといって遊びもせず、恋愛にも踏み出せず、
ただ性的には悶々と、日常的にはのらりくらりと青春の日々を潰すだけの、
絵に描いたような勿体ない人間だった

それが、大学生を教える立場になっているのだから、恐れ入ってしまう
本来の大卒のポテンシャルを垣間見るだけで、
化けの皮が剥がされたような気持ちになるのは当然の帰結だろう


判っているのだよ
あまり考えないで人生を歩むから、こんな事になることぐらい

かの女性に、あるいは誘ってくれた後輩に、盛大に爪の垢を分けてもらって、
煎じて服さなければならないかもしれない



10歳前後年下の後輩達の存在が、苦しいほどに輝いて見える私

救いはどこにあるのだろうか

そもそも、救いはあるのだろうか



飲み会に誘ってくれた後輩が、仕事で預かっていた図面を回収に来た
畑で穫れたキュウリを持って帰ってくれたこの可愛い後輩が、
ただただ可愛く見えるだけならいいのに・・・・

« 2011年7月 | トップページ | 2011年9月 »

フォト
2017年5月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      
無料ブログはココログ