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2011年7月

2011年7月27日 (水)

人の気持ち

「大切にされていると感じています」


先日、打ち合わせで拙宅を訪ねてきた後輩が、
交際中の彼氏を表現していた言葉だ


人は、いったいどんなときに、大切にされている、と実感するのだろう?


人を大切にするって、どういうことなのだろう?


私は、周りの人を、大切にしているだろうか?


たとえば、その後輩のことを


大切にするということを、今ひとつよくわかっていない私が、
果たして、誰かのことを大切にできるのだろうか?


愛されている、好かれている
それに比べると、大切にされている、って、ハイレベルかもしれない



誰かに教わりたい、気になる言葉だった

2011年7月24日 (日)

試験、試験

今日は一級建築士の学科試験日である

もう受ける必要の無くなった私にとってはただの休日だが、
教え子である後輩は丸一日の長丁場に挑んでいる

頑張ってほしい


昨日、父が予定どおり退院することとなり、車で渋谷まで迎えに行った
期待していた看護師との再会は、予想どおり叶わなかったが、
昼頃の病院の周辺には、赤十字の印の入った布地の手提げを持った高校生たちがうろうろしていた

どうも、併設の看護大学のオープンキャンパスだったようだ

この子たちの中から、私を労ってくれたような看護師が育っていくんだと思うと、
小さなその制服姿に敬意を表したくなってくる

決して楽な職業ではない
待遇も、給与も、現場も、いずれもが厳しい
単なる憧れで選ぶような職業ではないだろうし、軽々と周りが勧められる職業でもない
きっと、あの子たちの、ほんの18年間の短い人生の中で、
看護師の活躍する姿を見たことがあったり、実際に看護してもらったりと、
積極的にこの道を選ぶ、何らかのきっかけを胸に抱いているはずだ


なんと尊い選択だろう


看護大学で勉強し、看護師の国家試験をパスして戴帽を受けるまで、少なくとも4年の歳月
あの子たちの志を支える、何一つの支援も出来ないが、
心の中で、頑張れと、エールを送りたい


今、試験中の後輩と共に

2011年7月22日 (金)

人の記憶(2)

台風は迫っていたが、予定どおり、水曜日に父の見舞いに行った

全身に溜まっていた水分約6kgがすっかり抜け、スッキリとした表情になった父と談笑していると、
夕食の給仕を受け持っていた看護師が私を目ざとく見つけ、病室に駆け込んできた


お元気ですかぁ~!?


いやぁ、凄い
やっぱり、覚えているんだなぁ・・・・


この方は、主に入院後期に頻繁に担当してくれた看護師だ
そして、私の退院の日に一緒に写真を撮ってくれた一人だった

この日はその時の写真帳を持って行っていたので、
ページをめくりながら、思い出話に花が咲いた


この写真、今も持ってますよ
このころの私、やっぱり初々しいなぁ~



だなんて・・・・

看護師さんも、4年半の歳月に様々な想いを巡らすようだ



夕食の給仕は、わりと平和な仕事である
時間にも余裕があって、結構いろいろとお話することができた


帰り際、その看護師と、廊下ですれ違った
次回は退院予定の土曜日に来ると伝えると、
私は休日だからお会いできないですね、と、残念がってくれた

3ヶ月に一度、この病院には通っている
が、セキュリティシステム上、外来患者は病棟においそれと入れない
看護師が、入院患者を診察室に連れて来たり、エントランスフロアにある売店に買い物に来たりと、
病棟外に出て来てこない限り、我々外来患者が看護師に会える機会は極めて少ない

退院の際、「外来の度に顔を見せに来てくださいね」と言ってくれた方々に、
挨拶すらままならない、最新式の病院である

その看護師は、こう言ってくれた


次、いつ会えますかね?
入院を期待しちゃいけないですし、
外来の時、お会いできるかもしれないですね
お元気でいて下さいね



今度の外来は、10月初頭である
でも、今までがそうだったように、やっぱり誰にも会えないだろう


今回の記事に登場した看護師は、殆ど全員が年下である
しかし、もう、なんというか、心の底から尊敬している
この方々と友人ならば、どんなに誇らしいことだろうかと思う
食事でもしながら、一緒に仕事のことを語り合えたら、きっと楽しいだろう


白衣の天使とは、よく言ったものだ

私はそこにフェティシズムを持ってはいない

ただ純粋に、天使のような存在なのだ


私は、この病院で、4年半前に狭心症で開胸手術を受けた
36歳は、狭心症の開胸手術を受けるには異例な若さであると、担当医も看護師も口を揃えていた
私の場合、緊急手術ではなく、予防的手術だったので、術前は至って平静だった
そして、病気と医術に対するめくるめく好奇心に胸を躍らせていた

それでも、胸の中心を割られた体は、私を不如意にしたし、
6時間以上の手術が体を強ばらせたのか、背中の筋肉は、退院後1年以上続くほどの激痛を発し、
しばらくの間は、体中に無数の点滴の針と管が纏わり付いていただけに、
入院中は何かと不快のうちに過ごす日々だった

そんな私を優しく看護してくださった彼女たち

検診はもちろんのこと、時には暖かいタオルで体を拭いてくれたり、
痛む背中に鎮痛剤を塗ってくれたり、マッサージをしてくれたり、
外出制限中には、売店まで飲み物を買いに行ってくれたり、
歩けるようになってからは、デイルームにテレビを見に行っている私を見つけだして、
その場で血圧や血中酸素濃度の測定などの検診をしてくれた看護師もいた


歯磨きすると、悪質な心房細動と似た波形が心電図モニタに出るらしく、
「じ~きたさん、いま歯を磨いてるでしょ?」と洗面所まで訪ねてくれた看護師もいた



きめ細やかな看護

それが仕事と言ってしまえばそれまでかもしれないが、
その優しさは、本当に天使に触れるかのような心地良さだった


退院の際に、看護師と記念写真を撮る患者というのも稀だろう
充実した日々と、彼女たちへの感謝の徴に、現場の風景を、どうしても残しておきたかったのだ

思いの外、様々なポーズで写真に収まってくれた看護師たちは、
今回、さらに経験を積んだ笑顔で、入院した父と私の体を労ってくれた

感謝を表す言葉は、そう簡単に見つからない


明日、退院する父を迎えに行く
ほんの短い、邂逅の日々が終わる

明日は誰に会えるだろう

今度、いつ会えるだろう


少し、寂しい

2011年7月19日 (火)

人の記憶

父が入院した

たいした病状には至らなかったのだが、心不全である

実家に帰って一緒にいたら、変な体調に気がついたのだ
で、日を改めて、車で父のかかりつけの病院に連れて行った

東村山市に住む父のかかりつけが渋谷という不便さ
まぁ、より遠くに住む私も同じ病院がかかりつけなのだが

で、担当医に症状を話し、レントゲンや心エコー、血液、尿を検査した結果、即入院である

案の定で、私は何ら驚きもしない
入院の荷物まで用意しておいたのだ
ほれ見たことか、ってなところである

で、病室に行くと、担当医と共に、見覚えのある看護師がやってきた
名札を見ると、間違いない。私が入院していたときにお世話になった一人である

最近建て替えたこの病院は、セキュリティが厳しくなり、見舞い客以外は病棟に入れなくなってしまった
それまでは、病棟まで行って、気楽に看護師さんに経過報告などの挨拶が出来たのだが、
建て替え前後を含め、もう3年ほど、挨拶に行けなくなってしまっていた

看護の仕事はめまぐるしいほどに忙しい

私の入院日数は2週間程度だった
僅か2週間の記憶など、3年ほどのご無沙汰ですっかり消えてしまうだろうし、
きっと覚えていないだろうと思っていた

点滴管の挿入や心電図の取り付けなど、忙しい時間が一段落した後、
落ち着いてから改めて病室に来てくれたその看護師に、覚えてますか?と訪ねてみると、
即座に「覚えてますよ♪」と答えてくれた

(*´Д`*)


まさに、白衣の天使である

翌日には、入院した父から、細々とした要望の電話が掛かってきた折、
「○○という看護師が、おまえのこと覚えてるって言ってたぞ~」とのこと
無論、その看護師の名前も顔もよく覚えていた
私の退院の日、その看護師を含む数人と、退院記念の写真を撮っていたのだ
そのことを覚えていてくれていたそうである

確かに、その写真は焼き増しして病院に送った
だけど、そんなに覚えていてくれるものなのかな?

でも、覚えていてくれたんだから、そういうものなんだろうな

それとも、看護師さんは頭がいいから、記憶力も良いのかな?
あるいは、記憶に残るような、厄介な患者だったのかな?


病院は、私生活を破綻させるほどに過酷な労働環境である
また、看護師は、ときに心ない患者の暴言や暴力に晒されることもある
私も入院中に何度か、そういう場面に遭遇した

多くの事例と時間が猛烈な勢いで流れて過去のものとなっていくはずの彼女たちの記憶の片隅に、
4年半前の一患者の記憶が残っていること、それ自体が有り難く、嬉しかった

入院中は、自身の病気の学習を兼ねて、日記を付けていた

医師や看護師の指示、投薬、点滴、体調、食事、排泄の記録などと共に、
担当の看護師の名前、病室の日常など、ヒマだから、事細かに記録してある
それを久しぶりに紐解いてみた

その頃にお世話になった他の看護師の名前が懐かしく思い出される
次に見舞いに行ったときの、看護師との会話の種になってくれるかもしれない

次の見舞いは、明日を予定している
誰に会えるだろうか・・・・

Sp1030269
入院初日、空きが無く、父が押し込まれた個室から 

2011年7月16日 (土)

避暑

縁があって、蓼科にある、とある会員制ホテルの会員である

奇しくも梅雨が明けた先週末、そこを利用していた

Sp1030251



これまでも、何度かこのホテルを利用してきたが、時期はいずれも夏期ではなかった
なので、高原の木々の美しさや風景の雄大さは知っていても、
蓼科の避暑地としての良さは知らなかった
今回も、本来なら夏期ではない時期の利用だったわけだが、
図らずも、すっかり梅雨が明けてしまい、蓼科も真っ青に晴れ渡った

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食堂棟の軒下に揺らぐ水面の清々しさ

蓼科の中でも、標高1,300mにあるそのホテルは本当に涼しく、
避暑地の実力を身をもって体感した


一日中、窓を開け放っていればよく、エアコンは必要ない
風呂上がりでも、吹き抜ける風のおかげで、汗が流れることはない


Sp1030244
白樺林を抱く至極の浴室

本来なら、こんな硝子張りの浴室は大っ嫌いだ
しかし、大きな窓の向こうが高原の森とあれば、私もこうデザインするだろう
標高1,300mのこの地の水道水にカルキ臭はなく、まるで温泉のようだ
この広い浴槽に、朝から何も考えずにとっぷりと浸かり、白樺からこぼれる朝日を浴びる
眼下に流れる小川から届く、かじか蛙の鳴き声がまた涼しい



青々とした樅や唐松に囲まれ、肌寒いぐらいの風がそよぎ込むメーンダイニング
その清々しい部屋で、コースの朝食を摂る
自家栽培の野菜、自家製のパンとジャム、地場産の鶏肉と卵
どれも、高原の空気のように、淀みなく、とても美味しい
そして、給仕人のサービスがまた心地よい

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洋食器とクロスの音、揺れる木の葉 

とりどりの食卓から、ふと視線をあげれば、窓の外に、信州の空と山並みが広がる

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すばらしい





数年に一度、会員権を行使して、この優雅な雰囲気を吸収しにいく
今回は、まさに避暑そのものを体感できる、最高の滞在だった

Sp1030252

2011年7月 7日 (木)

♪笹の葉さ~らさら~♪

ロマンチックは、互いの心が同じ方向を向いていてこそ麗しいもの

どちらかでも、心が違う向きになってしまえば、
七夕なんて、ただの梅雨の一日

つまらないものだ



デパートの笹の飾り物に、短冊を結ぶ小娘たち

授業内容について質問してくれた、18歳の女子大生



最初から、違う方を向いていれば、世の中これほど気楽なものはない



七夕に祈ることなど、もう何も思いつかない

その分、ゴミが増えないだけ、エコかもしれない





昨日の朝、百合が咲いた
今年は、おとなしい成長ぶりだった

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大人しいとはいえ2m以上はある。咲き始めは香らない。 

2011年7月 2日 (土)

広尾、四谷、新宿めぐり

定期の外来診察で、渋谷に行った

4月以来の通院である

病院は、渋谷駅から学割料金で乗車できるバスの終点なので、長らくこのバスを使っていたが、
ふと、歩いても知れた距離のはずだと、歩いて以来、渋谷駅から徒歩で通うようになった

片道で170円の節約である

昨日は、病院の帰りに、ちょっと目的地があった

大学を卒業してホンの一年間、私は四谷に通勤していた
その頃に覚えた何軒かの店の中の、評判の鯛焼き屋に行くことにしたのだ

バス代をケチる人間である
当然、金がかからない方法を考える
というか、はなから徒歩しか考えていなかった

広尾から西麻布への下り坂は、高級住宅街である
ビルのようなものもあれば、料亭のようなものもある
こんなに広い屋敷でどのような暮らしを営んでいるのか、甚だ不可思議ではあるが、

空き家らしい屋敷も多い

栄枯盛衰

西麻布から、青山霊園の東側を北上する
青山霊園の脇の道を車で走ったことはあるが、歩くのは初めてだ

青山霊園というのは、青山というだけあって山である

Sp1030234
青山霊園への上り坂

この道からは、霊園の一部を見ることができる
手入れが為されず、放置されている墓も多かった
田中好子さんの葬儀で記憶に新しい青山葬儀所もここにあった

向かいには国立新美術館があって、あぁここにあるんだ、と初めて知る
建築の仕事をしているが、興味はない

それより、道の両脇を埋め尽くすタクシーが興味深かった
皆さん、昼寝をしている
ヒマなのだろう
すべからくアイドリングしていて、環境問題なんてどこ吹く風であるが、
この炎天下に車内でエアコンも付けずに昼寝していたら、そのまま昇天するだろう

エンジンを掛けなくても冷えるエアコンを開発するべきだ

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青山墓地の東側には昼寝タクシーがずら~り 

暫く歩くと青山霊園も終わり、青山一丁目の交差点に出た
この交差点から北は、赤坂離宮、つまり迎賓館の敷地である

Sp1030236
青山一丁目の交差点。正面が赤坂離宮の森 

赤坂離宮の境界には、手入れされた土塁が築かれている
ところどころに門があり、必ず警備が2名立っていて、そして必ず一方は若い女性警備官であった

明治記念館の交差点を右折する
この辺りは桜の並木がしっかりと茂っていて、日光を遮ってくれて快適だ

迎賓館の建物の真横を左に折れる
軽い上り坂の先に空が広がっている

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静かな小径の先に夏の空

坂の先では、都市のパノラマが視界一杯に飛び込んできた

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首都高4号線、中央線総武緩行線。低地は鮫河橋界隈 

この先、若葉の住宅街である

目指す鯛焼き屋はその中にあって、程なく到着
12年前と変わらず賑わっていた

ここからは電車に乗ろうと思っていたのだが、日が陰って暑さが弱まったので、
古い料亭街の四谷荒木町を経由し、母の墓のある大久保まで足をのばした

寺に接する富久町、余丁町は、非常に細い路地に銭湯の残る古い町で、
その雰囲気は昭和の置きみやげのようだ

お盆前なので、さらっと手を合わせただけで、職安通りを西武新宿駅に向かう
途中には、古くからの韓国街がある
昨日も、大変な賑わいを見せていた

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賑わう大久保通り。東京は玉虫色 


随分と歩いたように感じるかも知れないが、歩数では12,300歩程度、
距離で10km程である



山手線の内側なんて、歩いても知れているのだ

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