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2011年6月

2011年6月29日 (水)

伸び盛り

暑い日が続く

おかげで、畑作物も、庭の草木花も、迷惑な雑草も、伸び盛りだ

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インゲン豆。1日に20鞘ほど収穫できる  ミックスレタス。毎朝3株食べても減らない

インゲンは6株ぐらいが収穫期を迎えている
時期をずらした4株ほどが未だ収穫期ではないので、暫く楽しめるだろう
きゅっという歯ごたえが宜しい

トマトが立派になってきた
真緑色の小ぶりな温州ミカンほどの大きさになってきた

なすびは未だに成長が芳しくないので、液肥を奢ってやった

キュウリは親づるの剪定を済ませた。順調である

オクラはやっと成長期に入ったようだ

小豆、春菊、水菜もちらほら芽を出しはじめている

にんじんも生長めざましい

カボチャは一株を夜盗虫にやられてしまった。生長今ひとつ



昨年気がついたのだが、庭にはこんな可愛いのが咲いている

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ピンぼけだが・・・・こちらは庭のもの    こちらは教えに行っている大学のもの

ねじ花というらしい

庭には10株弱が自生している
ネジのように螺旋を巻いて、綺麗なピンク色の花を咲かせる
逆ネジだけど

歩くところに生えているので、洗濯物を干すときなどについうっかり踏んでしまうが、
案外しぶとい茎のようで、折れてしまうことはなかなか無いようだ

百合が咲くまでにはもう数日かかるだろうか

プラムには、数年ぶりに数個の実がついた



まこと、この時期の植物は忙しい

そして、一年なんて本当にあっと言う間だ



この庭にはトカゲがいて、草花の間をチョロチョロと走り回っている

昨年まではヤモリもいて、夜には窓に集る虫を食べる腹が見えたのだが、
サッシの交換で住処を荒らされた今年は、どうしているだろうか?

2011年6月28日 (火)

愛してほしくて

橘咲さんの余韻が続いている


叶わぬ想いって、もしかすると、どんなものよりも美しい

美しすぎて、切ないほどに


手に届かないものに憧れを抱いた
手に入らないものに恋をした

あまりに綺麗で、あまりに悲しい



悶え、苦しんで、へとへとな朝
一日はこんなに長いのに、一年はあっと言う間

たかぶりを胸に秘めて、今日も君と会う

手に届かなくなった人は、この歌をそう表現している




電話の声が途切れても ドキドキ たまらなくて
なにか 今しゃべらなくちゃ
って思うのに かたまっていた

夜を悶えて朝が来て いつもどおり君とも会う
なんだか もう つらいばかりで
いっそ言ってしまいたくなる

もっともっともっと 君を 僕だけの
そばにいつも置いておきたい
ずっとずっとずっと 想い続けてる
君だけが気づかない

風に揺れる草の中を 君は泳ぐように走る
待って ねぇ おいていかないで
僕は泣きたい気持ちになるよ


誰にも渡したくなくても 君の愛は他者(よそ)にある
想いの強さで競っても 僕はいつも 君のone of them

もっともっともっと 君を いっそぎゅっとぎゅっと
抱いてつかまえてしまいたい
ずっとずっとずっと 想い続けても
叶うとは限らない



(岡崎律子「愛してほしくて」1997年)






恋なんて・・・・



新しい一日は、無限の可能性を秘めている

2011年6月27日 (月)

JINと大江戸神仙伝の違方向性

JINの結末がどのような纏め方なのか、ちょっと心配しながら最終回を見た

なるほど、時空を越えた切ないラブロマンスで来たか
村上もとか、上手だなぁ

JINと関連性が指摘されている大江戸神仙伝では、
薬剤関係の仕事をしている主人公が、脚気の治療に米糠を溶いたお湯を飲ませたり、
瀕死の重病患者にペニシリンを投与して快復させたりする
しかし、
彼は、江戸の幼い芸者といい仲になり、
この愛人との愛欲の日々を何よりも楽しみに生きるのだ
そこには南方仁の爽やかさは無く、もっと悦楽に従順に生きる男の姿が描かれている

私から見れば羨ましいばかりの日々だけれども、
女の人には受けない設定だろうな

JINは、女性が見ても、嫌みな演出は無かっただろう

なんといっても、咲さんの気持ちが美しかった

私は、以前のJINに関する記事で、こんな事を書いていた

あの、日本人の身の丈に合った、木造建築の連なる繊細な街並み
決してこの目で実物を見ることが出来ない、決して触れることの出来ない、失われた風景
当時であれば、外国人でさえ、実物を見て触れることが出来たのに、
現代に暮らす私は、
日本人でありながら、現代に暮らしているというだけで、 見ることすら出来ない
ひたすら、羨ましく、残念でならない

最後、仁さんが咲さんの手紙を読んでいたとき、彼はきっと、こんな感覚になったのではあるまいか?

あの、美しい女性が、残された不鮮明な写真の中にしか存在しなくなってしまったのだ
それは、今、私が江戸時代に撮影された美しい町並みを、
写真の中にしか見いだすことが出来ない無念さと、同質に感じる

このような、禁断の恋は、禁断であるから美しいという鉄則的な考え方は、
現実に生きる人間の心象として全面的に受け入れることは、私にはいささか出来ないが、
物語としては、やはりこの流れは美しい
あの気持ちを、決して手が届かなくなってからの仁さんが噛み締めるさま
なんとも、
切なく美しかった
もう二度と会えない人の、確かな記憶
あんな手紙読んだら、泣いちゃうよねぇ

やっぱり、ラブロマンスは、メールも、電話すらも介在しないほうが良いものだ
現代劇でこれをやれば、もはや不自然だと思う
時代劇を舞台に使った方が、それがたとえSFだとしても、
今や自然に受け入れられるのだから、難しいものだ


少し前になるが、テレビドラマ第一弾のウォーターボーイズは、携帯の存在を上手に消した現代劇だった
しかし、あれだって、埼玉県川越市ではなく、長野県の片田舎に舞台を設定したのは、
携帯の存在を消しても不自然さを感じさせないためかもしれない


JINと大江戸神仙伝が、盗作、被盗作の関係にあるとの噂は、今後も絶えないだろう

ただ、物語を通して何を表現したかったのか、という視点で両者を見たとき、
双方がまるで違う方向を向いていると、私は感じる
これは、詭弁かもしれないが、オマージュと表現してもいいのではないか

大江戸神仙伝を読んだ人間は、JINをニヤニヤしながら見られるという特典がついた
私には、両者の関連性はその程度に感じられた

無論、大江戸神仙伝の著者、石川英輔氏がどう考えているかは別の話として、である

2011年6月26日 (日)

払い下げ品、払い下げ人

教え子が、職場の払い下げの品を持って訪ねてきてくれた

普段は浦和の辺りに勤めている青年だが、比較的近くに出張の用事があったそうだ

この教え子には、先月の連休の中日にも会っている
彼の職場の引越で排出された不要品を漁りに行ったのだ

パソコン一式
スキャナ
USBハブ
セロテープホルダー
大きな文書穴開けパンチ
磁石付きのゼムクリップ入れ
文書ファイルフォルダ
A2サイズのトレーシングペーパー
自動車のシガーソケットに接続する携帯充電器
赤ワイン一本


私が大学で常勤講師を務めていた頃、執務
室の備品の殆どが廃品だった
事務机、ソファ、ステレオ、パソコン、空調機器、調理器具

この教え子は、そのことを覚えているのだろう

今日は、A2サイズのライトデスクとPC用マウスなどを持ってきてくれた


会社の作業着に身を包んだかつての教え子は、黒目勝ちの童顔の持ち主だが、
9年前の20歳前後の幼さを残しつつも、いよいよ立派な表情になってきた

この青年は、先日記事にした、追い越されたと感じた教え子と同級生だ
研究室も同じだし、
一緒に旅行したこともある友人関係にあるが、
能力が滲み出てしまう彼と違い、この青年は、そういった雰囲気を出さない
しかし、社会の一員として、立派な日々を送っていることだろう
ちゃんと、私を追い越している
軽く手を振り、車を走らせるツナギの後ろ姿が、私にそう想像させる

日々、私と仕事をしてくれている女性も、この子たちの同級生だ
難しい仕事を大量に抱え、こなしている

遅くまで帰れない日々が続いて、消耗しているはずなのに、
どんどん綺麗になっていく

この子は、私を心で「師匠」と呼んでいるそうだ


もはや、恐縮である


私が彼らを教えていた歳を、彼らは既に越している
当時の私に比べれば、彼らの積んだ経験は比較にならないぐらい幅広く、豊かだ


なのに、ホンの数年遅く生まれたということだけで、
この子たちは私如きを先輩として扱わなければならない

私が彼らに勝っていることがあるとすれば、それは、浴びている紫外線の累積量ぐらいだろう



気の毒なことだ


せめて、今勉強している宅建の資格を一発で取るよう頑張んなきゃなぁ

2011年6月25日 (土)

世界遺産ってなんじゃ?

小笠原諸島が、ユネスコの世界自然遺産に登録されることが決定した


東洋のガラパゴス

絶海の孤島なのに、なぜか植物も動物も自生している
多くが固有種なのだろうが、住み着いているということは、どこかから渡ってきたのだろう

あるいは、そんな意識のない昔々の人々が、小笠原諸島に渡る時に連れて行った生き物かもしれない

そんなことはどうでも良くて、今や貴重な自然遺産ということが評価されたこと自体は重要なことだろう


ただ、指定されたからどうなるのか、という点に関心が向く

まず、
島民や関係者が、指定されたことの何を喜んでいるのかが気になる

まさか、これで観光客が増えることを期待しているのではないだろうな

観光客が増えるということは、殆ど自然遺産が無くなっていくことと同義語だと思う


観光で行った当の本人が、偉そうなことを言うけれど


父島の南端には、ジョンビーチという真っ白な砂浜がある
そこに行くには、島の道路を南端まで利用して、駐車場に足を止め、
山道を徒歩で2時間歩かなければならない

行くときには、宿の人に、その旨知らせておかなければならないルールだ
日が暮れても帰ってこない場合には、捜索しなければならないからだ

駐車場の辺りにも、山道の途中にも、売店や自販機はなかった
たどり着いた砂浜にも、もちろん海の家や自販機はない

一人で歩く往復4時間の生命維持は自分自身に掛かっていた
リュックに入れたペットボトルの水と、遭難を想定したクッキーが頼りだ
数十歩歩くたびに、腰を下ろして休んだ

小笠原は常夏の島である
真上から、猛烈な日差しが降り注いでくる

道標も乏しい

1時間半ほど歩いた先には、馬の背のような岩場の山道もあって、ここには手摺りすらなかった
直射日光と気温に
体力を奪われ、力の入りにくくなった足を浮き砂利に滑らせてしまえば、
谷底に転落して、誰の目にもとまらず、干物になるか、鳥の餌になってしまうだろう


母島に足をのばした際には、大昔に廃村となった港を一人泳いだ
朽ちたコンクリートの桟橋が残る寂しい入り江では、ウミガメが泳いでいた
しかし、いくら泳いでも、ウミガメには近づけない
気がつくと、結構な沖合まで出てしまっている
外海の海流は速い

誰一人居ない、人の暮らした跡が残る海は、怖かった


小笠原で感じたのは、自然界の生命力が、自分を凌駕する感触である

あぁ、これはなめると負けてしまうんだな
自然の生命力に、自分の生命力が吸収されてしまうのだろうな
まるで、四方八方から、動植物に狙われているかのような雰囲気
その感覚は、あたかも多くの生命との呼応にも感じられるものだった

カヤックから見た、透き通る海を、小ぶりなイルカの群が海底へと降りていく様は確かに美しかったが、
生命の緊張感をほぼ強制的に実感した後で見たその光景は、
近寄りがたい、遠い存在に感じたものだ


私が小笠原に行った1999年頃は、未だ社会は落ち着いていて、
小笠原に行く人も、硬派な方が多かったように思う
時期は夏休みの最中だったが、浮ついた観光気分だけで訪れている旅行者は、
余り見当らなかった


幸い、小笠原は未だに航路しかなく、行こうとしても25時間半掛かる上、船は数日に一便しかない
この状況を変えなければ、浮ついた観光客が大幅に増えることはないだろう
この最後の砦だけは、崩してしまわないことを切望する


私の実家のある和歌山の南部には、熊野古道という世界遺産がある
世界遺産登録前は、国道42号が現代の熊野参詣道として機能していて、
熊野古道は殆ど誰も近づかない、遺跡でしかなかった
それが幸いして、鬱蒼とした杉や檜の林の中に、苔むした石畳の古道がくねるその景観は、
大変に趣のある、美しい情景だった
が、世界遺産に登録されて、古道を歩く観光客が激増すると、
数年も経たないうちに、石畳の苔は踏みつぶされて消滅してしまった

世界遺産に登録することによって、何を残したいのだろうか?
脈々と続く信仰心が、今熊野道として国道42号を完成させたとも言える
ならば、国道42号も、遺産の延長線上に存在する歴史の一部であるはずだ
しかし、誰の目も、国道42号に熊野参詣道としての片鱗を感じまい

じゃぁ、古道が世界遺産として登録されたことで、一体何を期待するのか?
登録されなくても間違いなく残ったであろう熊野古道をどうしたかったのか


小笠原が自然遺産に登録されることで、何が期待されるのだろうか?
何かの危機に直面していて、登録しなければその危機から脱することが出来なかったのだろうか
ユネスコの自然遺産登録に、そんな影響力はあるまい
守るのは、日本国家の法制度と市井の活動でしかないはずだ

遺跡や遺産は見つけたら最後、という感じがする
小笠原は、今でも物理的に行きにくい
その特長によって、せっかくの自然環境が、これを堺に激変しないことを切に願うばかりだ


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生命力が横溢し、押しつぶされそうな母島の山道

2011年6月24日 (金)

夏はもうそこ・・・・

暑いなぁ

熊谷では39.8℃になったそうだ

私は熊谷に取引先があるので、市内の様子が少々わかる
市街地で暑そうなのは、ローカル百貨店八木橋の辺りか、市役所の周辺といったところ
百葉箱の中でこの結果なのだから、そのあたりはきっと45℃くらいになっていたのではないだろうか?


いよいよ、夏がそこまでやってきた


ところで、ミュージシャンの中には、特定の季節を感じさせる方がいて、
たとえばTUBE=夏とか、渡辺美里=夏の西武球場とか、
・・・・
それ以外、あんまりぱっと思い浮かばないのだが、

高中正義というギタリストがいて、とても有名な方だからご存知の方も多いと思うけど、
この方も、私の中では夏なイメージである


その印象を強烈にアピールしてやまないのが、彼のアルバム
その名も「夏全開」である

このアルバムが大好きなのだ

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夏はこれっ!高中正義「夏全開」1984年


高中のアルバムは夏的なものが多いのだが、
中でもこの「夏全開」は、メロディーも音づくりも、まさに夏そのもの

アルバムのオープニングは、あぶら蝉の鳴き声と二人の男の会話である


暑いなぁ!
どこかに行きたいなぁ!!!


・・・・どこでもいいよ・・・・暑くなきゃ・・・・




もう、たまらなく夏休みな感じなのである

夏になると、このアルバムを聴きたくなる症候群である



が、こいつを聴くのはちょっと手間が掛かる

というのも、メディアがLPレコードなのだ

1984年発売当時にレコード店で買ったオリジナル版なので、
購入から27年(!)経っているが、状態は抜群にいい

まずは滅多に聴かないせいで埃だらけのレコードプレーヤを掃除する
プレーヤーはTRIO(現KENWOOD)のKP-700という、兄のお下がり
1981年頃の製品で、なんと30年ものだ
オーディオテクニカ製のAT33ML/OCCという、18年選手のMCカートリッジの針先も軽く払う
針先荷重
1.5gの調整も欠かせない

昨日、TBSラジオ「キラ☆キラ」で話題にもなっていたが、
ちょっと古くさいけれどもいい匂いのするNAGAOKAのレコードスプレーを盤面にさっと吹きかけ、
ネル地のレコードクリーナーで盤面の埃を軽ーく拭き取り、ターンテーブルに載せる

いよいよ、ターンテーブルを回転させ、針先を盤面に落とし、アンプのボリュームを上げる
これでやっと音が聞けるのだから、レコードって手間が掛かる

しかし、何というか、この儀礼を経るおかげで、ありがたみが違うものだ

それに、レコードというのは、音の振動をそのまま盤面に刻んだ単純そのもののメディアだからか、
何というか、CDとは明らかに感じが違う、非常にスカッとした音で鳴ってくれる

その音も恋しい


また、「夏全開」を味わおうかな





ところで、五家宝というお菓子をご存知だろうか?
今日の最高気温を記録した熊谷は、五家宝を銘菓とする街の一つなのだが、
中でも、市役所にほど近い「たね仁」の五家宝は、
緑豆きな粉の香りがすばらしく、とても美味しくてお気に入りである

なお、スーパーではモッチリとした、あんこの固まりのような食感の五家宝が売られているが、
本来の五家宝は、餅米粉に熱い水飴を加えて粒状に加工した種を、
水飴ときな粉の皮で包んで丸く棒状に伸しているので、サクッと軽い食感である

あぁ、こんど8月下旬に講習に行ったときにまた買おう

2011年6月23日 (木)

体育の授業と感想文の相関関係

最近の中学生って、どんな学校生活を送っているのだろう?

そんな興味があるわけではないが、
先日来、依頼を受けて製図している公立中学校を、現地調査する機会があった

対象は、昭和50年代に設計され、施工された体育館
である
耐震診断に用いるための図面で、手書きの図面をCADで書き直す仕事だ

(公立)学校の図面は現物と異なることが多い

不思議なことだが、施工に使った図面と、保管されている図面が違うようなのだ

従って、
現場調査は欠かせない


で、その現場調査を、平日の授業時間中に行ったので、授業とぶつかり、
図らずも、
中学校の授業の実体を垣間見ることと相成ったのである


驚いたのは、その厳しさである

教員の雰囲気はさほど記憶と違わない
何が厳しいかって、その、何と言えばいいのか、

生徒全員が、ファイルを持っているのだ

最初は何のためにファイルを持っているのか判らなかったが、
授業終了時の挨拶の時に、教員が
はい、じゃぁ今日の授業の内容についても感想を書いてファイルして提出することっ!
と命令したのである

感想??

体育の授業の???

そんなもの書いたこと無いぞ


調査したのは同じ市内の2校
その2校とも、生徒はファイルを持っていた

これは、学校事の教育方針ではなく、県の教育方針なのだろう

私は東京都内のごく普通の市立中学校に通っていた
調査対象はとある県内の
ごく普通の市立中学校である
東京とは教育方針も違うだろう
しかし、その県出身者である家内に聞いても、そんな事した覚えはないという
30年前の話だ
時代の違いだろうか?

感想文を書かせる意義って何だろう?
とはいえ、講師の端くれである私も、学生に感想文を書かせるのは好きなんだが
それは学生の本音を聞きたいがためにやっている、いわば興味のようなものである
それとは、ちょっと次元が違う感じだ


運動内容自体は、さほどハードには感じなかったが、
まさか感想文を書かせるとは・・・・
中学校の体育の授業って、あんなに精神的に厳しかったかな?

2011年6月22日 (水)

トラブルの原因は

昨日、記事の作成中にFirefoxがクラッシュして困った件だが、
漢字変換に不具合がありそうなところまで推察できていた

で、ATOKのユーザー辞書関連の情報をネットで検索していたものの、
ジャストフィットな記事は見当らなかった

仕方がないので、自分なりに色々トライしてみた

まずはFirefoxを疑ってみる

Firefoxのアンインストールと再インストール・・・・効果なし
Firefoxのユーザープロファイルの再構築・・・・お気に入りなどが全て無くなってしまい、甚だ不便なうえ、効果なし

で、漢字変換のほうに矛先を変えた

ATOKのユーザー辞書の登録単語の抽出・・・・途中、「ちゅ」で始まる単語の辺りで強制終了

そういえば、「中学校」とか「途中」とかを変換するところでクラッシュしていたな
これは、ユーザー辞書が壊れているのかもしれない

ということで、ATOKの辞書の内容整理という機能を使ってみると、途中で処理が中断されるのだ
これはおかしい
そもそも、ユーザー辞書ファイルが16MBにまで膨れ上がっているのも怪しい
かといって、内容を確認して不具合を見つけだすスキルはない
でも、これまでの変換学習の蓄積を捨てたくもない

しかし、自分の性格を顧みると、パソコンを買い換えたときにユーザー辞書をコピーしているはずなのだ
で、今はスレーブ接続している古いHDDを探してみると、やはりあった

古いユーザー辞書のファイル容量は8MB弱
ずいぶんと違うものだ

現在、このファイルをコピーしてFirefoxを
稼働させているのだが、
今のところ、クラッシュはしていない

どうも、Firefoxのトラブルは、Firefoxではなく、
ATOKのユーザー辞書ファイルのクラッシュによるものだったようなのだ



無論、数年分の変換学習は諦めることになるが、
まぁそのぐらいなら大して苦にならないだろう
記事が消えて無くなることに比べたら微々たるものだ



しかし、フロントエンドプロセッサのユーザー辞書ファイルのクラッシュによって、
Webブラウザがクラッシュするだなんて、
よほど執念深い性格の人間でもない限り、トラブルの原因も見つけられないだろうし、
リカバリも容易にはできないだろう

執念深い自分の性格が有り難い

2011年6月21日 (火)

畑仕事

あぁ、またクラッシュした

クリップボードにコピーしていたはずなのに、それすら残らなかった

クリップボードごとクラッシュするとは・・・・

もう一度、再挑戦

今度はテキストエディタを起動してクリップボードの内容を随時ペーストして残そう




今日は梅雨の晴れ間となったので、畑に精を出した

この時期になると、気温も湿度も上がって、日照時間も目一杯長いので、
植物は驚くほどの速さで生長する

周りの他の畑主のように、毎日少しずつでも面倒をみてやらないと、
大変しんどいことになるのだが、生来あまりマメではない性格だし、
仕事にかまけて10日ほど手を掛けられていなかった

まず、雑草だが、これは大したことはなかった
10日ほど前まで、割とマメに抜いていたのが幸いしたようだ

今年育てているトマトは、中サイズの実がなる種類なのだが、
この場合は親づるを2本程度に剪定しなければならない
これが、10日の間に親づるが6本や8本に化けていた
ただ、幸いなことに主幹以外は未だ細かったので、なんとか間に合った

キュウリも、前回見たときは双葉が出ていただけだったのが、
今日はもう本葉が数枚出ていた
これも、本葉8枚程度で親づるをつまみ、子づるもある程度で摘んで、
孫づるを出さないと実らないそうだが、
今日は手の掛からないよい子だった

人参は、だいぶ人参らしい線香花火のような葉が伸びてきた
ただ、非常に軽く小さい種が、芽吹く前に風や雨で移動したのか、
畦や隣の畝にまで芽を出していたので、植え直したり間引いたりした
土の中は未だ白い髭。オレンジの実が実るのはいつのことだろう?

盛大に葱坊主を実らせた葱は、一度すべて引き抜き、
溝掘りして苦土石灰をまき、引き抜いた株からみなりのよい株を分けて植え直してやった
これで、また冬の家計を助けてくれることだろう

この他、ひと畝耕し、昨日買ってきた水菜と春菊、去年失敗した小豆を撒き、
最後に、育ちが今一歩のなすびと、実り始めたインゲンに化成肥料を与えた

これで、概ね5時間ほどの作業だ

あぁ、出来るだけでもいいから毎日やらないとなぁ・・・・


私は有機農業には興味がないけれど、無農薬栽培だ
なんのことはない、金を掛けられないからだが、
それでも、今朝初収穫したインゲンも、サニーレタスやロメインレタスなどのミックスベジタブルにも、
虫は付いていないし、病気にも掛かっていなかった

穫れたてのレタスはサラダにして、インゲンは炒め物にしてみた
買ってくるものと、劇的な差はないと思う
素人が手抜き作業で育てた野菜だから当然だ

が、一口目、そして暫く食べた後に改めて味わってみると、
あぁ、やっぱり美味いなぁと思う


その感覚は、やはり嬉しいものだ




途中、何度も
クラッシュした
冷や冷やものである
必ず変換時にクラッシュするので、FirefoxよりATOKが不具合を起こしているようだ
いい加減新しいATOKを買えということだろうか・・・・
ATOK14だもんなぁ
それでも、まずは再インストールだな

まいったなぁ

WebブラウザにはFirefox4.0.1を使っている

今まで何の問題もなかったのに、
今日になって、この本文を入力すると、
途中でクラッシュして記事が消えてしまうようになった

昨日、電源をオヤジ切りされたんだよなぁ
あれが原因かなぁ?

結構書き上げてからクラッシュしてしまうので、大変に厄介だ


う~ん

なんだろうなぁ



いろいろ試しているのだが、今のところ解決していない


文章をテキストエディタで作成してから流し込む手もあるが、
端的に言えば面倒だ

Internet Explorerでやるか・・・・

今のところ、大丈夫そうだが


このアップロードが無事成功したら、畑の記事に再挑戦するか・・・・

2011年6月20日 (月)

父の日

寡婦になった父

やもめって、漢字で「寡婦」って書くんだ
法律用語で寡婦ってあったけど、これは「かふ」と読んだなぁ
やもめのことか・・・・

おっ、寡婦は女性しか指さないのか
男鰥は寡夫と書くのか

おっっ!新しい漢字が出てきたぞ

おとこやもめは「男鰥」と書くのか

初めて見る字だな

なんだか凄まじい漢字だ


まぁそんなことはいい


昨日は母の日に拗ねる世の父親への慈愛の日であった
近頃のお子さんは父を心から愛しているようで
「お父さんありがとう、いつまでも元気でいてね(
はぁと)」なんて言葉をよく聞く
なんだか気持ち悪いほどだが、お父さんは嬉しいだろうな
特に、最愛の娘に、お父さんありがとう、なんて笑顔で感謝されたら
お父さん嬉しいだろうな

TBSアナウンサーの田中みなみ嬢が、昨日の昼のラジオでキッパリと言っていた
お父さんの入った後のお風呂には入りたくない
お父さんのパンツと一緒に洗濯したくない

お父さんと似た人となんて絶対結婚したくない

オトーサン形無しである

が、私にはそういった感覚のほうが理解しやすい


私は、ハッキリ言って父を厄介に思っている
しかし、特段の趣味もなく、日々テレビを見てトボトボと生きているであろう父の日常を想像すると、
そんな、老いてからの男鰥は、
ひとえに可哀想だ

で、
車で20分、自転車でも30分の実家に、ちょくちょく顔を出している
前回顔を出してから3週間経っていたし、

昨日は父の日でもあったから、ちょうどよかった

年に一度ぐらい、プレゼントをしてもいいだろう
安売りの酒屋に立ち寄り、ぱっと目にとまった、麹屋伝兵衛とかいう、大分県は日田の焼酎を買った
度数41度、720mlで2500円もしたが、まぁ、年に一度くらいなら良いだろう
あ、誕生日もあるから年に二度か
それでもそのぐらいなら良いか

男鰥に蛆がわくとはよく言ったものだ
蛆こそわかないものの、まぁ家は薄汚い
掃除機のゴミパックを交換して掃除をする
本人も普段から掃除はしているようだが、高齢者は目が悪くなることもあって
ことに掃除が徹底されなくなり、不衛生になりがちだ
そんな光景を、仏壇の母の遺影が、表情一つ変えず見ていた

実家の近所にある、馴染みの蕎麦屋で夕食をご相伴する
隣席は、父の日のお祝いらしきお客さん
20代半ば過ぎぐらいの娘さんと、ご両親
「お父さんありがとう」の言葉こそ聞こえなかったが、お勘定は娘さんが支払っていた

偉いなぁ

うちには、そういう文化がない
祖母も、この親も、私が支払おうとしようものなら、
親の威厳を損ねるようなことはするべきではないとばかりに、頑なに
拒否する
一度でもそういう遣り取りをすると、つまらない思いをしたくない私は、
それ以後、おくびにも出さないようにしている
酒の肴を散々注文して、ビール日本酒焼酎と呑み継ぐ
店の主人が、父の日のプレゼントです、と、赤烏賊の炙りを出してくださった
最後には、ざる蕎麦でサラッと締める


隣席の家族と異なり、昨日も、素直に、ご馳走になって帰ってきた


それで喜んでいるのなら、それでいい



私が父親だったら、どんな一日を過ごしていただろう?
隣席のご家族のように、微笑ましいひとときを過ごせていただろうか?
それとも、恋人とのデートに出掛ける娘にやきもちを焼いていただろうか?


皆さんは如何でしたか・・・・?

2011年6月18日 (土)

雨の土曜日

嫌な季節になった

夜、台所の灯りを付けると、不愉快なほどに狼狽して逃げまどう褐色の陰

あいつだ・・・・

あぁ嫌だ嫌だ


しかし、辺りを見ると、久しく掃除していないことに改めて気がつく

「おい、こんなに汚くしてるから、俺たちも快適に隠れていられるんだゼ」

そんなふうに陰口を叩かれているようで、さらに不愉快だ

だけど、こんなに汚いと、それ自体が不愉快だから、
耐え難きを耐え、忍び難きを忍び・・・・
掃除することにした

幾つもの痕跡を目にする度、暫く手入れをしていなかったことが悔やまれる

まったく・・・・

午後の半日をかけて、台所周りを片付けた

しかし、昨夜取り逃がした"あいつ"は、何処にもいない
こういうとき、奴は何処に逃げているのだろう?

暖かな時期に、リフォームで古いキッチンを解体するときも、
あいつは何かを察して身を隠してしまう

敵ながら、ちょっと感心してしまう程だ

で、苦労して綺麗にした所を汚しに来る

もしかすると、綺麗好きなのか?

そんな訳ないか


今日は雨模様だが、うずたかく積もった洗濯物にキノコでも生えそうだったから、洗濯もしてやった
ちょっと贅沢して、今年初めてエアコンのコンセントを差し込み、
ドライ運転を2時間タイマーで掛けている
洗濯機の周りの積年のゴミも片付けてみた
カビの生え始めたレトロな風呂場は今、カビキラー中だ

昼飯は、どん兵衛うどんだった


まるで、一人暮らしの大学生だな・・・・

2011年6月15日 (水)

定期講習

建築士の定期講習というものに行ってきた

5年前に起きた姉歯事件をキッカケに、建築関係法令が大規模に改正されて、
それを機に義務化された講習である

あの事件のせいで、関係法令は本当にいろいろと改正された
法律に恨みはないが、そのきっかけを作った姉歯には恨みの一つも言いたくなる
損害賠償請求したいぐらいだ

まぁ、したところでそんな経済的能力は無いのだろうけど


講習会場は、武蔵浦和駅近傍にある、建築士会の入っている会館だ
ここは、その筋の所用で、ちょこちょこ出向く建物である


建築士試験の申し込みが会場受付のみだった時代、願書を持ってこの建物に行ったものだが、
道みちに資格学校のキャッチセールスが立ちん坊をしていて、これが本っ当に鬱陶しかった
20代前半ぐらいの男の子や女の子が、胸にファイルを抱えて、出願者を待ち受けているのだ
で、男性である私には、女の子が声を掛けてくる
これが、そこそこ可愛らしく纏めているものだから、
慣れない頃は、
下心の固まりである私など、すぐに引っ掛かってしまう
ところが、所詮はキャッチセールス
思いのほかしつこくって、ちょっとでも耳を貸すと食いついて離れない


あぁ、思い出すだけで鬱陶しい

そのせいで、奴等と関係のないこの会館も、嫌な印象が強かったが、今は昔の心象である


会は盛況で、
160名の予約定員に達していた感じだった
途中、早退者もいなかったようだ
すがは義務講習だ

内容は、この手の講習としては、聞き甲斐のあるものだった


私の記憶力は非常に貧弱で、資格を取ったときに最大の知識量を有していて、
試験が終わればあっという間に忘れてしまう
し、
建築士に求められるほんの一部の知識しか使っていない私のような者にとっては、
専門分野以外のことは、資格試験程度の知識でも、持っていたほうが良いと思っている


そういう意識で受ける分には、昨日の講習はそこそこ有意義だった


休憩を挟み、1時間から2時間程度の講義を4つ受けた後には、終了考査もあった
配布されたテキストの持ち込みは許されているし、出題の難易度もそう高くはないものの、
これがあるかないかは大きな違いになるだろう
少なくとも、講義で寝ていた方は、そこそこ苦労したのではないかな

運転免許の書き換えの際にも、
その場で採点できる程度の内容で良いから、
終了考査は
やったほうが良いと思った


しかし、品のない人物というのは、どうして発生するのだろう?


「今日の講師なんかみんな俺の後輩だよ、まったく、やんなっちゃうよ」

講師に選ばれていない時点で、あなたはただの受講生です
ほら、席を外したまま15分もサボってないで、大人しく静かに受講してください
「やんなっちゃう」のは、あなたが視界に入ってしまう私のセリフです


最後の終了考査の際には

なに?鉛筆で書くの?持ってないよ、貸して。消しゴムもだよ」

相手は会場の
進行役の方である

予め郵送されていた受講票には、HBの鉛筆かシャープペンで答案しないと採点しない、との注意書きが為されている
無論、その人物を除く159名は、鉛筆またはシャープペンを持参していた

挙げ句、進行役の方が持ってきてくれた際には、顔も見ず、

「おぉ、サンキュー」




もはや、ただのバカである
 

今度は、8月の下旬に、応急危険度判定士の講習を受けに行く
会場は熊谷だ
その際には、こんな品のないオッサンがいませんように・・・・


熊谷には、懇意にしてくださっている工務店がある
講習の帰りに、残暑御見舞に行こう


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バカなオッサンのお口直しに・・・・満開を迎えた近所の蕎麦畑

2011年6月12日 (日)

池の住人

近所の国立西埼玉中央病院は、古い病棟を建て替えている最中である

玄関前には前庭がある
決して広くはないが、武蔵野らしく、木楢などの樹木が所々残された中に、
ロータリーとバス停、
来院者用の駐車場が配されている


ドアを開け放って客待ちしている
タクシーから聞こえる、AMラジオの明るいトーク
建物にこだまする、解体現場の作業員の声
野鳥のさえずり

最寄駅から少々離れた郊外の国立総合病院は、
村上春樹の小説に出てきそうな、
未だ昭和テイスト満載の、とても長閑な雰囲気である


ロータリーの中心には、真ん中に弁天島を配した池が穿たれている

6月の梅雨間の日差しが優しく降り注ぐ中、
タクシーの運ちゃんが、食パンを千切って、錦鯉にくれている
でも、それが、信じられないぐらい大きな切れ端を豪勢にふりまくものだから、
鯉は丸々と太って、ちょっとびっくりするぐらいお育ちになっている

実に美味そうな体つきだ
でも、錦鯉って美味しくないのかな?
国立の谷保天満宮には、とても綺麗な湧き水の池があって、
そこにも実に丸々と太った鯉が泳いでいる
この鯉は、深い藍色
水も良さそうだし、あっちのほうが美味しいかな?


病院の池には、解体現場から飛んできたのか、
アルミの足場板が掛けられていた
いや、飛んでくるわけないな
なんだろう・・・・?


家内の入院説明を聞き終えての帰り
その池の脇に、可愛いのがいた

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鴨の親子である

小ガモは2羽しかいないようだ
後ろで見守るのは母親だろうか
弁天島にもう1羽、でーんと座り込んでいたのが父親かな?

小ガモの毛は未だポワポワしている
足もふにゃんふにゃんの質感
しゃがみ込む仕草、居心地のよい角度を探りながら首を折り畳む様子
そのどれもが辿々しい身動きで、いちいち可愛い

親ガモは、
ものすごい鳩胸である(当然か)
この、プリンっとしたまぁるい感じが堪らなく可愛い


この鴨の親子、このように写真を撮るために近づいても、まるで逃げない


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気を許しきって、片足をヘダラに伸ばす小ガモ

少なくとも小ガモは怖がっている感じではない
親は、しっかりと周りに目を配っているような目つきである

でも、親も安心しているのか、この後、足を畳んで座り込んでいた


誰かが「あぁこれ鴨の階段ね」と言いながら通り過ぎた
なるほど。アルミの足場は、
解体現場から飛んできたのではなく、
誰かが鴨の親子のために置いてあげたもののようだ
天気のいい日に、誰かがその足場を置いてあげている
その人の気持ちとその行動を思い浮かべるだけでも微笑ましくなってしまう


私が心臓の手術を受けた広尾の日赤病院も、
つい数年前までは、緑豊かな広い前庭があり、池もあったが、
建て替わった今は、もうそんな物はなくなってしまった
都心だけに仕方がないのかもしれないが、
どこかのシティホテルのような、小綺麗なだけのアプローチでは、
こんな長閑で微笑ましい気持ちにはならないのが実感だ
それ、病院として、いかがなものかと思ってしまう
病院など、ビジネスライクと正反対な位置にあると思うのだけど、
今の日赤は、ビジネススーツ姿やお洒落着の人しかそぐわない雰囲気だ


埼玉郊外のノンビリとした病院の前庭は、なんというか・・・・長閑で素敵な光景である

建て替えが進んでも、入院患者のパジャマが似合う、この雰囲気は残って欲しいものだ

2011年6月 9日 (木)

畑の季節

茄子のことを「なすび」と呼ぶのは、関西の方言だと聞いたことがある

確かに、漢字の「茄子」は、「なす」と読みたい
しかし、エセ関西人の私は、茄子を見て「なす」と宣うのは、気恥ずかしくて仕方がない


「なすび」やろ


家から歩いて1~2分の茶畑のど真ん中に畑を借りて一年半になる

広さは、ざっと50坪

住んでいる貸家の土地より広いという、訳のわからなさ

それを、年間5,000円で借りている

年明けから4月いっぱいまで、やたらと大きな住宅の設計の仕事に追われ、
畑に手を掛けられなかったせいで、今年はジャガイモの植え付けが出来ず、
手入れできなかった絹さやと玉葱は失敗に終わってしまった
特に、絹さやは、芽生えたものすべてが消滅してしまった

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残念な姿をさらす玉葱・・・・ゴメンね

5月に入って時間が取れるようになってから、
適期だったなすび、トマト、お隣の畑から頂いたカボチャの苗を植え付け、
オクラ、レタス、地這キュウリ、インゲン、人参の種を撒いた

こいつらは、上手く育ってくれている

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花がつき始めたインゲン

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手前のトマトは順調。奥のなすびの成長がやや遅いか・・・・


畑には、そのほかに、昨年に植え付けてそのままの苺が実を実らせ、
葱坊主だらけになった葱がいる


葱は、株分けして植え直せば、次の冬の鍋に活躍してくれる

苺は期待していなかったが、意外にも美味しい実が、それこそ鈴生りである
苺は、植え直さないと、実が小さくなる
それでも、ジャムを作る趣味でもあれば、どんどん収穫できるのだが、
そのまま洗って食べることしか能がない私
梅雨の雨に打たれて、かなりの実を傷ませてしまった
これも惜しいことをした

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多くの実が傷んでしまった苺


今年は植え直してやろうかな



ところで、亡くなった奈良法隆寺の宮大工、西岡常一氏は、父の教えで、畑を耕していたそうだ
哲学的な思想もあったようだが、それよりも、寺付きの宮大工という、普段殆ど仕事がない方々にとって、
食うための手段として必然的に身につけざるを得なかったそうである


無論、そんなご立派な者ではないが、
私も、思想は西岡氏と一緒だ


趣味としてではなく、生活を支えるための畑仕事である

2011年6月 5日 (日)

後進の成長に思う

教え子が育っていく
そして、やがて追い越していく



私は、教員のまねごとをしている


初めて手に掛けた十数人の教え子達は、
今、30歳を過ぎ、社会人として活躍している

ラジオで、こんな投稿があった
親が、浪費生活を改めなくて情けない
被災している方々のことを思って、倹約を心がけたほうがいいと、
そう親に言っても、聴いてくれないと

投稿を読んだ出演者は、こう言っていた
これは、もう、この投稿者が、親を追い越したということなんだよ


大きくなったらお父さんと結婚する
heart04

世の多くの娘は、そう言うらしい
その小さな世の中で頂点に立っている父親に、惹かれるのは当然だろう

でも、やがて、父親よりも素敵な男性を見つけて、惹かれていく

その恋がやがて終わっても、娘の気持ちは父親には戻らない

それは、父親が、その時点で、その男に追い越されていたからかもしれない


父親の無償の愛が娘を包んでくれていることを、娘はきっと知っている
それでも、娘は父親に戻らない

だけれども、娘は、永遠に娘だ
嫁に行っても、娘は娘

しかし、教え子には、やがて追いつかれ、場合によっては追い越される
所詮一人の人間。全知全能の神ではないのだから、それ自体は正しく望ましく当然なことである
でも、身近にそれを感じると、結構ショック
だから、卒業って縁切りがあるのかな?

私は、毎年、同じ歳の新入生に、平等に物事を教えている
時代の変化や進化に左右されない範囲で、最新の事象を教えている
最先端の研究は、どうしても私の性に合わなくて、私の授業はマンネリだ
それでも、価値あることを教えている自負はある
僭越ながら、そこそこ人気のある講義だとも聞き及んでいる

教え子達の人生にとって、何かのキッカケになればいいと思っている


昨日会った教え子は、以前から、追い越されつつあるなぁ、という感覚を持っていた存在だったが
少し話していて、明らかに追い越された、と実感した
かなり身近な人物だっただけに、ショックは隠せない

だけど、私の立ち位置は、こういうものなのだ

あくまで人生の先輩として、私に敬意を払ってくれる教え子たち
他意のない、純粋な敬愛の情
しかし、その敬意は、純粋であるだけに、ときに残酷だ




私は、子供に恵まれなかった

大きくなったらお父さんと結婚する
そんな一言を聴くことも、恐らく叶うまい

昔はお父さんと結婚するって言ってたのに・・・・
そんな愚かな戯言も言えないだろうけれど、
この一言が、どれほど情けないか、何となく解ってしまった気がした


無駄な能力

2011年6月 3日 (金)

ツイッターを使っている方々って・・・

時々、とても寂しくなる


ツイッターをやっている人はどれぐらいいるのだろうか?

私は、エボルタ君の東海道五十三次の際に、その威力を知ったわけだが、
その後も、アカウントは取得していないし、特に誰かのツイッターをフォローしているわけでもない

と言うのも、私は、集中力がないと言えばいいのか、有ると言えばいいのか、
悩むのだけれど、ツイッターのタイムラインを凝視してしまって、何も手に付かなくなってしまうのだ
無理に目を離しても、頭の中では、目を離しているうちにタイムラインが流れてしまったら・・・・
そんな強迫観念に苛まれることになる


あれを仕事中でもやっている人って、ものすごく集中力が切れにくい人なんだろうと思う


一方、このブログをやっていて、何が楽しいかといえば、
それは、こんな文章でも、読んで下さる方がいらっしゃるからだ

それは、本当に僅かな人数ではあるけれども、
どのような方かも解らないけれど、
一度っきりのご訪問の方も非常に多いけれど、
中には覗いてくださる方もいらっしゃって、
その方々がカウンタを少しずつ回してくださることが、
ほぼ唯一の原動力になっている

いつも、ご訪問、ほんとうにありがとうございます

ツイッターも、フォロワーがいるからやっていられるのだろうか?
リツイートと言うのか、いわゆる返事が届くことで、
どこかの誰かと会話しているような充実感を得られているのだろうか

だとすれば、その嬉しさだけは、わかる気がする


私のこのブログ、読みに来て頂いている方々が、
どんなことを思って読んでくださっているかは、殆ど知るよしもない
コメントを頂けることは、本当に希だ

ごく希に、コメントを頂けることがある
しかし、コメントに返事をして、その返答があったことはない
本当に、通りすがりに、覗いてくださった方々だったんだろう
それでも、嬉しいものだ


でも、時には、生身の相手が恋しくなる


私は、身勝手な性格が災いしてか、友人らしい友人はいない
仕事以外で電話があるのは、男寡婦になった父と、未だ結婚していない兄ぐらい
飲みに行くような相手はいない
自分の性格を直そうともせず、友達が欲しいなんて・・・・
あくまでも身勝手
後輩に、お茶でもしない?と誘っては、断られている
何処までも身勝手


時々、とても寂しくなる



岡崎さんの切ない歌声を久しぶりに聴いて、
この美しい方が、既にこの世から消えてしまったことに改めて想いを馳せて
ちょっとナーバスになったのかもしれない


今、スピーカーからは、古いパットメセニーグループの曲が流れている
アルバム「First Circle」だ
あぁ、なんだか良い時代だったな
昭和女子大の講堂で行われたライブに行ったのって、いつだったかな?

2011年6月 1日 (水)

岡崎律子「JUNE」

知っている人はきっと少ない

でも、とっても愛おしい歌だ


この方の声は飛び切り特徴的で、好みの別れることだろう

私自身、この声で、曲の好みが別れてしまう
とても染み込む曲もあれば、まるきり合わない曲もある

その中でも、彼女の声を宝物のように感じられる一曲が、この「JUNE」だ

切なく、途切れそうに、消え入りそうな情感たっぷりの声で、
どういう理由か、逢えなくなった人への深い想いを聴かせてくれる


6月は雨続きで あなたが恋しくなる
その声 指も髪も すべてを愛したもの

ほら 星がでてる
もう 夏の星座
ねえ もう眠ってる?
つぶやいても届かない


どうしても逢いたくなる夜には
外に出て ひとり 気のすむまで歩いた



思い出が まだ浅くて 時おり負けそうになる
同じ空の下 あなたはそこ 私はここ

でも 星は見える
もう 夏の気配
今日はどうだった?
忘れてないよ 今日だね

誕生日 おめでとうって言いたくて
電話する理由を
みつけてはあきらめる


どうしても泣きたくなる時には
あなたを想って 心ふるい立たせる
それが約束と思うから



(作詞・作曲・唄:岡崎律子 1998年)

多くの切ない恋歌が世に溢れ返る今となっては、
どうと言うことはない歌詞かもしれない


でも、その声質と表現で伝わる、恋するいたいけさがものすごいのだ
それに、語尾にふわりと感じさせる、とても女性らしい悄らしさ

彼との、何らかの距離感を遠く想うその切ない情景を、深遠に表現する編曲と相まって
ノスタルジックな恋の甘酸っぱさをプレゼントしてくれる

携帯もメールも一般的でなかった1998年の世界
それは、恋する者たちにとって、我慢の時代
それが、とても愛おしい

こんなふうに誰かに想われるのって、本当に幸せなことだ
理由は解らないけど、簡単には手が届かなくなった人を、
かつては切なくなるほどに愛した彼を、心から想っている

相手は、伝えられた方が幸せだろうか?
それとも、この歌詞のように、夜の空に紛らわせられた方が幸せだろうか?



岡崎律子さん

ミンキーモモ(タイトルだけは知っている)や、
フルーツバスケット(タイトルすら知らなかった)といった、
少女アニメの主題歌や、声優さんの歌を数多く提供する、
アニメ界では有名なシンガーソングライターだったと知ったのは
そんなこと一つも知らずに、ジャケット買いした暫く後のことである


ジャケ買いした2ndアルバム「Joyful calendar」や、
1stアルバム「Sincerely yours,」では、
そんな感じはまったく受けなかったんだけどな

清冽な湧き水で、俗世の垢を清めきったかのように清楚な面立ち
それでいて、大好きな人に甘える仕草がとても似合いそうな、純朴な表情

そんな容姿も好きだった

青や緑が似合う、素敵なお姉さんだった



だった・・・・



そう。この方の新しい歌声は、もう聞くことが出来ない


2004年5月に、病死してしまったのだ


突然の訃報は、ネットのニュースで知ったと思う
暫く動けなかったと思う
よく覚えていないけど


6月は雨続きで あなたが恋しくなる

今年で丸7年だったんですね



今でも、生前のまま残されている公式HPは、

亡くなったことすら追記されることなく、すっかりそのまま残されている
根強い人気と深い悲しみを物語っているかのようだ


今でも、ファンクラブ会員だった短い期間に届いた会報誌などが手元に残っている
偶然ながら、彼女の生誕の地である軍艦島にも行ったことがある



「JUNE」が、アルバム「おはよう」によってこの世に生まれたのは1998年
やっと、その頃のこの方の歳に追いついた
でも、これから先、岡崎さんは年下になっていく


この方の死は、惜しい

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「JUNE」の収録されているアルバム「おはよう」と1999年1月のファンクラブ会報
この「Ritsuko's Essay」は、2ページに亘る自筆のコラム(すごいサービス精神)
ファンクラブ名称「Ritzberry Fields」は、もちろん"律子~Ritsuko~"をもじったものだろう
郵便局に会費を払い込みに行っても恥ずかしい思いをしないで済む、
秀逸な名称だった

節電ボーナス?

去年と比べて15%電気使用量を削減した家庭にはプレゼントだと?


普段から爪に灯を灯すように節約して暮らしている人間は、
昨年から15%の削減なんて相当な困難を伴うことだろう

ちなみに、うちの借家は42㎡、契約30Aで、5月分の使用量は156kwhだった


でも、節電なんて意識しないでじゃぶじゃぶ使いまくっていた家庭は、
15%ぐらいの節約は簡単だろう

そんな環境意識が皆無な人に、ボーナスですか

アホか

本当に、貧乏人、倹約家に厳しい国だ


いや・・・・、待てよ

環境意識が皆無な人には、飴を与えないと、言うことを聞かないという、
小馬鹿にしたものの見方なのだろうか?

ガシガシ使っている人に節約させる方が、節電効果が高いのは明らかだ

こっちが真意かな?



だけど、普段から使用量が少な目の家庭にも、なんかしら評価が欲しい

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