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2011年5月28日 (土)

花岡幸代と小学校の思い出

この記事は、2011年のもので、
当時、花岡幸代さんは目立った活動をしていなかった
しかし、2015年1月に、18年ぶりとなるライブを開催、ブログも開設されているので、
このような追記を加えることにした

記事中には、この小学校を撮影した写真が見つからない旨書いたが、
その写真、未だに見つかっていない
写真を撮影したかどうかも、記憶があやふやになってきた
でも、確かに撮ったと思うので、見つかったら、
続編みたいな記事を書ければと思っている

(2015年1月追記)



都幾川村立平小学校

それは、都市外郭の山村に残る、かなり純度の高い、昔ながらの木造二階建ての校舎だった

私が初めてこの学校を訪れたのは、19年前の初冬だったと思う
大学のスケッチの画題に、その学校を選んだのだ


古い木造校舎がそこに残っていることを教えてくれたのは、
花岡幸代さんのCDアルバム「さよならの扉」だった


ジャケットに、小学校の名称がクレジットされていたのである

当時も今も、現役の小学校なのに、である
良い時代だったのだろう


その日、私はJR八高線を明覚駅で降り、マイクロバスで運行されている路線バスに乗車した
小学校の北500mぐらいに位置するバス停で下りると、

周囲には山が迫り、道路の交通量は少なく、シンとした空気が辺り一面を支配していた
そこから学校に伸びる道は、山間ながらもまっすぐ伸びていて、
その緩やかな下り坂の先には、清らかな都幾川がせせらいでいた
護岸が為されていない、緑の草に覆われた自然の川の姿だった


初冬の都幾川村西平周辺は、とても静かな山村の趣だった

敷地の南側に廻って、校庭から校舎を見渡す


淡いピンク色のペンキが塗られた南京下見張りの外壁
校庭への出口はアールが付けられたモルタル壁にリシン吹き付け
屋根は、中央に防火壁がそびえる寄棟造り


全体には質素だが、所々の窓に洒落が効いている、
堂々とした、美しい姿だった
なんだか、有名人に遭遇した気分だった

下校時刻が過ぎた後の学校周辺は、ひたすら静かだった

職員口にまわり、声を掛けると、社会科の先生が応対してくれた
学生証を提示し、花岡幸代のアルバムの写真を見て訪ねてきた、
ついては校舎内部の見学と、大学の課題のスケッチをさせて欲しい、とお願いすると、
二つ返事で快く許可してくださった


その先生は、花岡幸代の撮影の際にも立ち会ったそうで、

建築学科の一年生であった私に、校舎内をくまなく案内してくださった

先生の案内で拝見した校舎内は、瀟洒なものだった
手洗い場の丸窓に階段踊り場の縦長窓
階段手摺の腰壁は、縄文彫刻の木枠目地に、欅の一枚板がはめ込まれていた

P1030211

水屋の丸窓。こういう洒落っ気は既に過去のものとなりつつある

P1030210
欅の鏡板の階段。在校生には価値が解っていなかったことだろう

コンクリート
校舎で学び、木造建築に興味を持って建築学科に入学した私には、
板張りの廊下や階段の床が立てる
きしみ音までも羨ましく聞こえた

日が暮れ始めていたので、校庭の南西の隅に座り込み、外観をスケッチ
ちょっとパースペクティブを間違ったことを覚えている
残念なことに、その絵は何故か残っていない
提出したまま、返却されなかったのかもしれない

社会の先生にお礼を言い、帰ろうとすると、
ここまでバスで来たのなら、
私ももう帰るので、駅まで送りましょう、と親切なことを言ってくださった
お言葉に甘え、車に乗せて頂くと、せっかくなので、近くの高名な寺院をご案内します、と、
慈光寺に連れて行ってくださった

都幾川対岸の山の中腹にあるその大きな寺院を参拝し、
明覚駅まで送って頂いた


その後も、何度か、この校舎を見に行ったが、
数年前、周辺の学校を吸収合併して名前が代わり、校舎も建て替えられてしまった

都幾川は良質な建具用材の産地である
新校舎もその地域の特性を反映した、素晴しいもののようだが、

あの昔ながらの姿は消えてしまった



その校舎でジャケット撮影をしていた花岡幸代は、
1991年と1992年に、キングレコードから2枚のCDアルバムを世に出した人物ではあるが、
その後、お名前を聞くことはない

このCDも、当時、何の知識もなく、ジャケ買いした一枚である

花岡幸代はフォークシンガーである

彼女の
歌声、というか歌い方は、どことなく垢抜けない
しかし、透明感のある声とアコースティックな音づくり、素直なメロディーは清々しく、聴き心地がよかった

が、一方で、
やけにキュートなポップ調の歌や、シンセサイザーを多用した編曲も多かった

キャロルキングから書き下ろしのメロディを2曲もプレゼントされているし、飾らないジーンズ姿からも、
この方は、純粋なアコースティックで渋いフォークをやりたかったんじゃないか?と思う

営業からのプレッシャーだったのだろうか?

「こんなポップな歌を唄わせられるんだったら、メジャーレーベルなんて辞めます」

30歳を過ぎてからメジャーデビューした彼女なら、
そんな遣り取りでもあったんじゃないか、と想像するのは難しくない


ネットで検索しても、彼女の現在の情報は手に入らない
あの日に撮影した写真も、何故か見当らない
在りし日の都幾川村立平小学校の姿と共に、記憶の中に静かに眠る
思い出である

P1030212

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