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2011年2月 8日 (火)

人の死に想うこと

結婚してから、親戚が死に続けているという話を、以前記事にした

なんとも物騒な話題だが

先週、先々週と、身内ではないが、身近な方が亡くなった

先々週の訃報は、私の大学時代の恩師だった
学生時代はもちろん、社会人になってからも、公私共に交流を持った方だった
仕事に悩んでいた時に相談に行くと、
昼食をご馳走してくれた
本題の話は何となくかわされて、会話は雑談ばかり
暗に「自分で解決しなさい」と言われたのだと解釈した

その方の専門分野は、現在の私のそれとは若干異なり、
それ故に、年に一度会うかどうかという状態になっていたが、
その専門分野は、元々、私の趣味性と共感するところがあって、私生活に染みついていた
学生を連れて街を歩いたのも、その恩師と一緒に行った小さなイベントだった
今はそんな可愛い子達と一緒に歩く術もなく、専ら一人で歩いているが、
心では、楽しくて可愛い子達と恩師とで、こんなことを話すかもしれないなと思いながら歩いている
出棺後、お骨が帰ってくるまでの間、立派な社会人になったその子達と、ランチを食べにいった
見知らぬ街を、頼もしくなった教え子達と歩く
時間は短く、みんな礼服だったけど、
それは、あの街歩きそのものだった


恩師とは15年ほどのつき合いだけに、思い出は多い

急なことで、ご家族はじめ、多くの方々が悲しみに暮れていた

が、私はそれほど悲しくない

別に、「悲しくなんかないもんっ!」と、幼児のように強がっているわけではない
人が亡くなることが、それほど悲しくないのだ
無論、楽しかった想い出や、感謝の念は篤い
棺桶に花を供える時、学生時代に恩師と一緒に楽しんで作った想い出の品を納棺した
その時に去来した想いは
先生、ありがとうございました、楽しかったですよ
その一念だった

「お前はその程度のつき合いでしかなかったんだよ」
そう言われてしまうかもしれない
しかし、母が亡くなった時も、悲しみは感じなかった
それにしたって、「お前は母親でさえその程度にしか見ていなかったんだよ」
と、言われるかもしれない
それならば、それとして受け入れるしかないだろう
ただ、生き別れだけは、辛くて悲しみに耐えられない
愛する人と会えなくなるのは、本当に辛い
会うのも辛い、会えなくなるのも辛い
「お前は歪んでいるんだ」
そう言われるかもしれない
そうかもしれない


恩師の告別式のあと、10人ほどでお清めを済ませ、さらに、旧友と差しで飲んだ
二人きりの飲みの席で、その話になった
驚いたことに、彼も、他の人が大泣きするのを見て、
俺にはああいう感覚がよくわからないんだ、と呟いた
旧友は、より哲学的、あるいは宗教的で、
現世の姿は、過去乃至は未来に連なる一つの流れの部分でしかなく、
それが、どのような生き方あるいは死に方をするとしても、悲しいものとは感じない、と
決して自分の考えを押し付けるわけではなく、悟っているといった印象だった

浮いた話を聞かない男だが、そのことについても、
もし結婚しなくても、それはこの現世ではそうならないだけの話で
つまりはなるようにしかならないと思っているから、どうだって良いんだよ、と

炙った烏賊、エイひれ、鮭とば・・・・そんなものを肴に、ぬるめの燗をあおった
アラフォー男の差しの飲みというのも、味わい深い
数えてみれば、彼と会うのは7年振りだった
顔色が悪かったのが気に掛かる
健康診断受けろよ、と声を掛け、別れた


人の死は、旧知を引き寄せる
この訃報を伝えた、別の恩師の方が電話で語ってくださった言葉だ
亡者の最後の贈り物と思って、私は有り難く享受するんです
この方も、もしかすると、我々と同じような感覚で、人の死を受け入れているのかもしれない

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