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2011年2月

2011年2月28日 (月)

多忙・・・・

この忙しさは、神が与えた試練か、さもなければ福音か

仕事は嫌いだと思っている
でも、仕事が楽しく思えることもある


この忙しさが終わって欲しくない
終わりのないものなんて無いのに・・・・


「お前は手に入らないものばかり欲しがっている」

イーグルスの大ヒット曲、デスペラードの一節だ

なんて素晴しい歌だろう
なんて優しくて厳しい歌詞だろう

なんて罰当たりな人生だろう・・・・

突き刺さった言葉の刃が、今も抜けずに痛い

2011年2月15日 (火)

雪下ろし

雪の話題が続く

降っても積もらなかった連休の鬱積を晴らすかのように、
昨日の夜から降り始めた雪は、久しぶりに積もる雪になった

貸家の玄関先は、DIYでは有名な矢崎のイレクターを組んだ屋根を掛け、即席のガレージにしている

イレクター自体はちゃんとした工業製品だし、波板はポリカーボネートで耐候性は抜群だ
作ってからもう7年ほどになると思うが、補修することなく役に立ち続けてくれている

しかし、この屋根のスパンは3m近くある
材の保有耐力に比べて、このスパンは大きすぎるのだ
とはいえ、普段は何も問題はない
台風の時でも、何も心配することはないのだが、
雪だけはダメだ
5cmも積もると、その屋根面は痛ましいほどに撓ってくる
こうなると、車を出しておきたくなる
屋根と一緒に車も破損しそうな変形具合なのだ

昨年の冬には、雪下ろしのタイミングを逃してしまい、
接合部の一部を破損させてしまった
幸い、奇跡的に、破損部分は車にぶつからず、二次災害は免れたが

昨夜も、雪に気付くのが遅くなったものの、
5cm積もる前に、雪下ろしすることができた

雪下ろしには熊手を使う
2m程の長さの、熊手の部分が金物になっている物だ

そんな強度の屋根だから、屋根上で作業はできない
脚立を使い、熊手の届く範囲の雪を下ろす
それでも、水上30cmを残す程度の範囲は雪を下ろすことができるのだ

昨夜は、これを2度行った
降りが弱まらず、この分では夜中に起きて雪を下ろすようだな、と腹をくくっていたが、
深夜になると雪は止んだ

今朝は頗る快晴

朝から、家の前の道を雪かきしたが
近隣で、雪かきしている人はいなかったな


ホワイトクリスマスならぬ、ホワイトバレンタインデーとなった今年の2月14日
車で通勤している方、昨日の帰り、今朝の出勤、大丈夫でしたか?


無事を祈りつつ・・・・


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狭山の茶畑に積もった雪。10cmぐらいにはなったようだ

2011年2月14日 (月)

連休と厄除け

ここ埼玉では、金曜から雪が降った

雪は土曜日まで断続的に続いたものの、降りは弱く、たいして積もらなかった
日曜日の晴天に、あっという間の雲散霧消

それでも、朝晩は冷えた

この週末、やもめになってしまった父の相手で、
千葉の成田山に厄払いに行く予定だった
それも、この雪で中止
厄払いに行く道中や、その帰り道で災いに遭うほど、バカバカしいことはない
父は、雪が止みかけた土曜日に、一旦は「行こう!」と気を焦らせた
やもめになり、生き急ぐ老人は、まともな判断すらできない
説得を受容する余裕もなく、言えばキレそうな雰囲気に押され、仕方なく同意した
準備をして迎えに行こうとした直前に、再び雪が降り始めた
父から、とぼけた声で、やっぱり中止しよう、という電話
だから言ったじゃないの!と叱りつけてしまった
結局の所、行くことに同意した自分の判断の甘さを棚に上げて、だ

母を失い、頼りなさが一気に露呈した父も、それをどうすることもできず、
在宅勤務で時間の都合のつく私に、
いろいろと頼ってくる
母の死を機に近寄らなくなった長男の分までだ
そんな父の態度を、どうしようもなく不愉快に感じる
ふと顧みれば、私自身、そっくりな行動をしているというのに

永六輔の「職人」という本に、
他人がやってて嫌だなぁと感じることは、自分でも同じことをしているんだよ
というような一文が出てくる
まこと、そのとおりである

それを自分でどうすることもできないところまで、父と一緒ではないか

だからといって、同類相哀れむかと言われれば、それはない
牙を剥き出して同士討ちである

バカバカしい


厄払いに、良い思い出はない

去年、ゴールデンウィーク直前の雨降る水曜日、
関東の厄よけで有名な川崎大師に行った
尿路結石や首痛など、前厄らしい不具合が連発したからだ
私自身は厄除けなどする気持ちはなかった
勧められて、断るのも変な話だと思って行ったのだ

翌日からのゴールデンウィークには、きっと多くの参拝客で賑わうのだろう
その前日の平日の雨天とくれば、寺も門前も絶好の休息日
川崎大師門前の殆どの店が休業という希有な光景を目の当たりにした
寺でさえ、これがあの川崎大師か?と疑いたくなるほどの閑散ぶりだった

この御利益が凄かった

大切なものを失った
母が死んだ
恩師が死んだ
首の痛みは治らなかった

それら全部が払うに然るべきものだったとでもいうのでしょうか?

お大師さんよ
教えておくれよ


そもそも、他力本願的思想は、真言密教に内包されているのだろうか?
密教というのはどこか冷たくて、基本的に、お前になんか解らないよ、的な印象を受ける
私は仏門を志しているわけではない
その宗派の家に生まれた縁を、それなりに面白がっているというのが本音だ
だから、冷たい印象を感じているのかもしれない

宗教は心の鏡だ
こんな私でも、手を合わせる時には無心になるものだ
その時、脳裏に映るのは自分自身かもしれない

多くの人が観光的側面でしか触れることのできない高野山の一寺坊で、
少々のお布施で、たいそうなお経を唱えて頂け、お供えを賜る
これは、過去帳に載っている、曾祖父母や祖父母の、13文字という信じられないぐらい長い戒名のおかげだ

その宗派の一寺坊に、厄除けのお参りに行くというのが、
私にとっては、なんともちぐはぐな印象なのだ

厄除けなんて、利己的な何かを頼みに行くのではなく、
やはり、世界平和、人類和合を祈りに行くべきなのかもしれない
あるいは、観光で、冷やかしで、建物の造りを眺めに、行くべきなのかもしれない
ご威光を仰ぎに行くなんて、罰当たりだった

だから、今度成田山に行く時は、いつものとおり、門前の鰻と土産の酒を楽しみにしておこう
と思う

罰当たりなこと言って、なんて心配してくれますか?

殺生戒の宗教の門前にズラリと並ぶ、活け締め自慢の
鰻店
般若湯という名前にしておかないと酒を飲めない宗教の門前に、造り酒屋と売り酒屋

西行は、漁師の信者が奉納する魚を喜んで食べたという
漁師の信心を無碍にはできない
あれはあれ、これはこれ
ん?西行じゃなかったか?
いずれにしても、日本人なんて、そもそもが罰当たりな思想を持っているのだ

いやいや、一般論にしてはいけない
そういう私にだけ、大きな罰が当たればいいのだ


ちと、ひねくれすぎか


連休を、人はどのように過ごしているのだろう?

家で仕事をしつつ、やきもちを焼いている不惑の男
まるで、父の生き写し



せめて世間は、満面の笑みに包まれますように

Happy Vallentine ・・・・

2011年2月10日 (木)

初雪

埼玉に、初雪が降った

降ったこと自体は初めてではないが、雪らしく降ったのは昨日のが初めてだ

わりと大粒の雪が舞い降りてくるその光景は、何度冬を迎えても神秘的だ

雪国の方には、雪に目を丸くしている関東人がお目出度く見えることだろう

でも、仕方がない
雪が綺麗にしか見えない地方に住んでいるのだから

降ったのは、朝だけだった
ほんの30分も降り続いただろうか?
振っている間だけ、土や草の上が白くなった
が、30分後には、その白いベールも消えていた

埼玉の東京寄りでも、雪は積もる
しかし、年々、積もるほどの降雪は遅くなってきている感じがする
10年ほど前のセンター入試の日には、よく積もった
今は、3月ぐらいにずれ込まないと、積もらない

気候の変動か、温暖化か

そんな中、年末に注文した清酒・苗場山が底をついたので、追加注文した

苗場山は、蔵元からは買っていない
蔵元のある津南の隣町、十日町の酒屋のネットショップで買っている
こちらは、以前、記事にしたが、10,500円以上買うと送料無料というお得感
地酒の普通酒を通販している
良心さが気に入っている

しかし、売り酒屋であって苗場山の蔵元ではない

時節柄、酒粕が出ている頃であるが、
酒粕を一緒に送って欲しくても、そういう細かい注文は酷である

ダメ元で、店に電話してみると、
雪国の訛を僅かに感じられる、穏やかな口調の女性が応対してくれた

すると、他の蔵の物ならあるが、普段は苗場山の酒粕は入荷していないと言うので、
わざわざお手数掛けなくても良いですよ、と電話を切った

十日町、津南は、全国有数の豪雪地帯である
雪が一番多いこの季節に、いくら隣町とは言え、10kmほどは離れている蔵元から、
わざわざ酒粕を取り寄せて貰うのはあまりに酷だから

ところが、酒の注文をネットショップで済ませたあとに届いた確認メールには、
早速蔵元に問い合せたら、届けてくれたので、ご一緒にどうぞ、と書かれていた

なんと良心的な・・・・

届いた6本の一升瓶の中に、酒粕が納まっていた

瓶も、酒粕も、それを納めた段ボール箱も、
雪国の寒さがそのまま届いたかのように
ひんやりと冷たかった

早速、甘酒を作る
ここの酒と同じく、癖のない、実に美味い甘酒ができた


今朝も、津南の酒蔵は降り積もる雪に埋もれ、
十日町の店先では、雁木に吹き込んだ雪を箒で掃いていることだろう

数十分で消えた初雪に心躍らせる埼玉に、

物が冷え切る雪国から届いた、暖かな良心の固まりだった


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埼玉に降った初雪。雪国の方には雪に見えないだろうな

2011年2月 8日 (火)

人の死に想うこと

結婚してから、親戚が死に続けているという話を、以前記事にした

なんとも物騒な話題だが

先週、先々週と、身内ではないが、身近な方が亡くなった

先々週の訃報は、私の大学時代の恩師だった
学生時代はもちろん、社会人になってからも、公私共に交流を持った方だった
仕事に悩んでいた時に相談に行くと、
昼食をご馳走してくれた
本題の話は何となくかわされて、会話は雑談ばかり
暗に「自分で解決しなさい」と言われたのだと解釈した

その方の専門分野は、現在の私のそれとは若干異なり、
それ故に、年に一度会うかどうかという状態になっていたが、
その専門分野は、元々、私の趣味性と共感するところがあって、私生活に染みついていた
学生を連れて街を歩いたのも、その恩師と一緒に行った小さなイベントだった
今はそんな可愛い子達と一緒に歩く術もなく、専ら一人で歩いているが、
心では、楽しくて可愛い子達と恩師とで、こんなことを話すかもしれないなと思いながら歩いている
出棺後、お骨が帰ってくるまでの間、立派な社会人になったその子達と、ランチを食べにいった
見知らぬ街を、頼もしくなった教え子達と歩く
時間は短く、みんな礼服だったけど、
それは、あの街歩きそのものだった


恩師とは15年ほどのつき合いだけに、思い出は多い

急なことで、ご家族はじめ、多くの方々が悲しみに暮れていた

が、私はそれほど悲しくない

別に、「悲しくなんかないもんっ!」と、幼児のように強がっているわけではない
人が亡くなることが、それほど悲しくないのだ
無論、楽しかった想い出や、感謝の念は篤い
棺桶に花を供える時、学生時代に恩師と一緒に楽しんで作った想い出の品を納棺した
その時に去来した想いは
先生、ありがとうございました、楽しかったですよ
その一念だった

「お前はその程度のつき合いでしかなかったんだよ」
そう言われてしまうかもしれない
しかし、母が亡くなった時も、悲しみは感じなかった
それにしたって、「お前は母親でさえその程度にしか見ていなかったんだよ」
と、言われるかもしれない
それならば、それとして受け入れるしかないだろう
ただ、生き別れだけは、辛くて悲しみに耐えられない
愛する人と会えなくなるのは、本当に辛い
会うのも辛い、会えなくなるのも辛い
「お前は歪んでいるんだ」
そう言われるかもしれない
そうかもしれない


恩師の告別式のあと、10人ほどでお清めを済ませ、さらに、旧友と差しで飲んだ
二人きりの飲みの席で、その話になった
驚いたことに、彼も、他の人が大泣きするのを見て、
俺にはああいう感覚がよくわからないんだ、と呟いた
旧友は、より哲学的、あるいは宗教的で、
現世の姿は、過去乃至は未来に連なる一つの流れの部分でしかなく、
それが、どのような生き方あるいは死に方をするとしても、悲しいものとは感じない、と
決して自分の考えを押し付けるわけではなく、悟っているといった印象だった

浮いた話を聞かない男だが、そのことについても、
もし結婚しなくても、それはこの現世ではそうならないだけの話で
つまりはなるようにしかならないと思っているから、どうだって良いんだよ、と

炙った烏賊、エイひれ、鮭とば・・・・そんなものを肴に、ぬるめの燗をあおった
アラフォー男の差しの飲みというのも、味わい深い
数えてみれば、彼と会うのは7年振りだった
顔色が悪かったのが気に掛かる
健康診断受けろよ、と声を掛け、別れた


人の死は、旧知を引き寄せる
この訃報を伝えた、別の恩師の方が電話で語ってくださった言葉だ
亡者の最後の贈り物と思って、私は有り難く享受するんです
この方も、もしかすると、我々と同じような感覚で、人の死を受け入れているのかもしれない

2011年2月 4日 (金)

美味いコーヒー

美味いコーヒーを暫く飲んでいない

大学の近所に、気に入っている焙煎専門店がある

もう10年ほど、こちらのお世話になっているが、半年以上、足が遠のいている

別に何か嫌な思いをしたわけではない
懐が寒い私にとって、いささか高価で買い控えてしまうのだ
情けない


コーヒー豆は値上げが続いている

投機の対象になってしまっていることも原因だが、
大生産国ブラジルでは、コーヒーを引っこ抜いて、
バイオ燃料の原料であるトウモロコシを作付けしているらしい
スマトラ島の地震や、南米のハリケーン被害など、
生産量そのものが減少しているそうなのだ

そんな中で、この店は、良心的な価格である

でも、ダメ
美味しいからどんどん飲んじゃうし・・・・


私は、
凝った喫茶店で出てくる、飲んだあとに喉が渇くような濃厚なものではなく、
割合にさらりとした飲み口のコーヒーをごくごく飲むのが好きだ
淹れ方も特にこだわりはなく、普段はコーヒーメーカーで淹れる

平日の朝からいちいちドリップなんてしてられるかっての


この店も、決してうるさいことは言わず、コーヒーメーカーで淹れる私を非難したり否定しない
それが普通の家庭の姿だと、店主も私も思っている
なので、店主の良心で配っている「美味しいコーヒーの入れ方」のプリントにも、
「コーヒーメーカーで淹れる場合は、お湯の温度が高いので云々」と解説している

店に行くと、焙煎で忙しくない限りは試飲の一杯を供してくれる
この一杯もコーヒーメーカーで淹れていて、そのスッキリ系の味も、私の好みに合っている

私は、最近では焙煎を注文することはなく、店の標準の品揃えの中から選ぶ
それでも十分に新鮮で、注文品よりお得だ

今まで、喫茶店やレストランで何回と無くコーヒーを飲んできた

先日、新宿のカフェ・ラ・ミルや椿屋で飲んだものはまぁまぁだったが、
ここの豆で淹れたコーヒー以上に美味いコーヒーはなかなかお目にかかれない
それに、一杯1,000円前後なんて、いくらなんでも高いよ

一方で、
相手がいれば味なんて気にならない
ときめく人と一緒なら、ファミレスのドリンクバーのエスプレッソも恋の味heart02
恋の味って無敵です
なんだって大概美味しくなっちゃうんだから
heart04

と・・・・・そういう話をしているのではないな


ところで、注文焙煎を受ける店の中には、焙煎前の重量で商売するところも多いらしいが、
ここは、焙煎後の重量で商売をしている
焙煎すると水分が飛んでだいぶ軽くなるらしい
良心的なのだ

このように気に入っている良い店なのだが、無い袖は振れないのが世の常である


4月になれば、授業が始まる
毎週木曜日に店の近所まで出向くのだ
となれば、あの美味さに惹かれて、店主の話を聞きに行ってしまうだろうな
ポイントカードも貯まったままだし・・・・


仕事の合間には、ネスカフェゴールドブレンドを飲んでいる
近所で安売りしている時に買い込んでおくのだ
高いインスタントコーヒーだが、ブラック党の私は、安い物は飲めない
粉っぽくて、うまみが無くて、出し殻のようなんだもの
それらに比べると、ゴールドブレンドは確かに美味しい

でも、所詮はインスタント


滑らかで香りの高い、美味いコーヒーが恋しい・・・・

2011年2月 1日 (火)

当世イヤホン事情

大学生の頃、かなり多くのイヤホンを買った
バッテリーのほうが大きくて重い、テクニクスのポータブルCDプレーヤーを聴くために、だ

テクニクスって知ってますか?
Panasonicの高級オーディオに冠されるブランド名ですよ
今も作っているのかどうか知らないが、SB-MXなんていうスピーカーは素晴しかったな
バッテリーで駆動するアンプなんてのもあった

そうそう、トリオというブランドもあって、こちらは日立の高級オーディオブランド
今はケンウッドという名前に統一されている

まぁその話はいい

当時でさえ、骨董品の趣のあったそのプレーヤーに、
何種類ものイヤホンを繋いで、その頃にハマりきっていたJ-POPを聴いていた


VICTORは乱暴な音だった

AIWAはキングオブ安物といった印象
Panasonicはそつなくまとまった印象

そんな中、SONYは、優秀だった

SONYのオーディオは、なんというか、優しさのない、理論的な音だった
アンプもカセットデッキもCDプレーヤーも、聴いていて、つまらないのだ
当時は333、555、777というシリーズ名が統一して付けられていたが、
その理詰めの音は、777という名を冠した高級機でも変わらなかった

しかし、イヤホンだけは、その素直さが耳に合ったのかもしれない

長らく使っていたイヤホンは、そのSONYの中級品だったと思う
なんの機能も付いていない、シンプルだが高品質な物で、
3,000円ぐらいだっただろうか?
音は厚みがあって暖かく優しく繊細で、聴きやすくて気に入っていた

それを、失ってしまった

先日、記事にもした目黒、青山散策の途中のどこかで落としたようなのだ
心当たりに連絡しても見つからなかった

残念だったが、大学時代から、かれこれ15年ほどは使ってきたと思うから、
これも良い機会と気持ちを切り替え、その散策の帰り道に、慌てて新しいイヤホンを買った

イヤホンを再び使うようになったのは、在宅勤務が本格化し、FOMA端末を手に入れた去年からだ
ケータイがウォークマンとして使えるという驚きの機能。
おまけに音飛びしない。
時代は変わった 

そんな状態なので、イヤホン市場など、浦島太郎状態である
店に行って、その品数の多さに驚いた
昔買っていた頃をはるかに上回る充実振りである
今でも多くの人がイヤホンを買うのだな

15年の間に、技術革新があったようだ
耳の穴に入れる向きが変わっていたのには驚いた
SONYの耳栓状の部分を耳に入れるタイプの物は、遮音性が凄かった
ちょっと怖いぐらいに周りの音が聞こえなくなる
豊かで好きな音だったが、3,000円か・・・・
まぁ・・・・でも、だ。
15年の進歩によって、そんなに高い物を買わなくても、同じぐらいの音質が得られるのではないかと、
ケチな性分が災いして、1,000円ぐらいのSONYのMDR-E737LPという物を買ってしまった

聴いてみて驚いた
耳を責め倒すかのように威圧的で横暴な、呆れるほどのひっどい音である

一体、誰があの音を"聞くに堪える音"と評価するのだろう?
販売にGOサインを出した責任者に文句を言いたい!

15年分の技術革新は、最底辺製品には縁遠いのだろうか

見事なまでの「安物買いの銭失い」である。情けない

これでは、あの気に入っていたイヤホンの後継にはまったくもってなり得ず
即座に買い換えを決意して、試聴した製品を中心にいろいろ調べ、
やはりSONYのMDR-300SLという物を、ヤフオクで1,500円ぐらいで買った
定価は6,000円ぐらいするようだ


この製品は、試聴した物と同様に、耳栓を耳に突っ込むタイプだ
振動板本体は、耳の穴に対して真横を向いている


聴いてみると、低音が良く響く、非常に厚みのある豊かな音である
音質に攻撃的な側面は全く無く、音が、耳の中でほぐれて、消えるように染み込んでいく
遮音性が高くて、周りの音が聞こえ難いからか、音が余すことなく聞こえてくるという感じがする
聴いていて清々しく、ひろーい世界の中にいるような心地よさだ
初めは、少し高音が耳につくかな~という印象もあったが、
今はもうその印象もほぼ無くなっている


耳栓の部分は恐ろしいほどに柔らかく、耳の穴に密着する
なので、耳が痛くならない
商品には、耳の穴の大きさに合うよう、3種類もの"耳栓"が同封されていた
なるほど、考えたものだ
昔、テレビで、耳の型ばかり取っているSONYの社員が取材されていたが、
その研究の賜というワケだ

まぁとにかく、1,000円のイヤホンと金額で500円しか変わらなかったのに、
その差は雲泥、
月とすっぽんである
慌てると良いことはない

これなら、長く使えそうだ
どこかで主を失ったあの古いイヤホンも、成仏できることだろう
願わくば、聴き比べてみたかったな




何十万円のステレオで音楽を聴いた人間の耳には、パソコンや携帯で聴く音楽はノイズだらけだ
しかし、仕事をしながらとか、電車での移動中などは、音質など気にすることもない

そして、心が求める音楽に、音質など必要ないことも知った
AMラジオのモノラル放送でも、琴線は震え、心に染み入る

昨年は悲しみの波状攻撃だった
気がつけば、音楽に救いを求めていた
いや、救われようとはしていないのかもしれない
悲しみのどん底に突き落としてくれる曲を求めているのかもしれない
「逢いたいから」なんて、辛くて聴けないはずなのに
何度聴いてもボロボロ泣いてしまうこの曲を、何度も聴いている

一人で、仕事をしながら、この新しいイヤホンで

Sp1030170
新時代の耳の伴侶、SONY MDR-EX300SL

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