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2011年1月

2011年1月25日 (火)

磯田道史の「武士の家計簿」

映画化されたと聞いて、驚いた

著者は筑波大の助教
内容は、研究論文を読み物に纏めた新書である

なんでこれが、映画の、それもタイトルにまで使われるのか

まぁ、この本が扱っている対象は、
幕末から明治維新、明治初期までの間の、
ある一家が残した詳細な家計簿だから、時代考証の文献に使われるとか、
映画のストーリーの参考に使われるのならわかるのだが、
映画のタイトルが書籍そのままというのが不思議だ


今回、映画化されると聞いたので、2008年に読んだ蔵書を読み返してみている


ネタは、金沢藩の会計係の役人一家の会計記録である

趣味で付けた家計簿というより、借金に苦しんで必然的に付けたようなので、
よほど事細かに記録されているらしい
収入額とその内容、冠婚葬祭の出費、その内訳、
家督相続の状況などなど、
一家の生活が赤裸々に語られているようなのだ
金がなくて借金まみれなので、
家財道具を売りさばいた明細が残っていたり、
お祝いのお膳に出す鯛を模造品(絵!)で誤魔化したことまで記録しているそうだ

まぁ、悲哀が伝わってくると表現すればいいのだろうか

私も個人事業主で、確定申告をしているので、会計簿、出納帳のようなものをつけている
確かに、いつ、何をして、いくら掛かったのか、どんな節約をしたのかが、
Excelの無機質な表からでも窺い知ることができる。
備考欄や、別途付けている日記を併せると、後日あるいは後の時代になれば、
現在の社会や(貧乏人の)金銭感覚を知るよすがになることだろう

はは~ん、当時、都営バスは200円均一料金なんだ、とか
一部の路線は学割で利用者全員が170円で利用できたんだ、とか
それを節約するために渋谷から病院まで歩いたんだなこの人は、とか
おぉ、ジェネリックを選んで1,000円も節約できたんだ、とか

とかとか


武士の家計簿の主人公とは、なんというか、こう・・・・格が違うな


この武士の家計簿からは、収入を上回る支出に苦しみながら、
それでも身仕舞いを整えて、身分相応に振る舞おうとする、
お気の毒な武士の姿が滲み出てくる

幕末から明治にかけて生き通した一家の記録は、
一方で、坂本龍馬のような同じ武士(龍馬は脱藩の浪士だけど)が、
同じ日本で凄まじい生き方をしていたその日常が、
どのような日々であったのかをしっかりと伝えてくれる

財政に苦しむ
国と、それなりに活況な市場という日本の今の状況とよく似ている
まぁ、時代こそ違うものの、所詮日本人なんだから、そうそう変わらないか



私も緊迫した財政状況故、映画まで見ようとは思わないけど

この手の学術論文系新書としては、かなり読み応えもあり、面白い本である

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08年に買った時点で32刷。ベストセラーだ

2011年1月22日 (土)

ヨイトマケの唄

ご存知だろうか?

私は知らなかった

未だ丸山という姓だった頃の、古い、美輪明宏の歌である


私がこの歌を知ったのは、桑田佳祐の二枚組アルバム「TOP OF THE POPS」である
様々な色合いの曲が収録されたこのアルバムの中で、
唯一のライブ音源が、この、ヨイトマケの唄だ

トラックを再生すると、静寂が広がる
"何を唄ってくれるんだろう?"
そういう期待に静まりかえる会場がそこにある
時折、桑田へのコールが響く中、
演奏が静かに始まる

会場の聴衆のきっと多くが、初めて聴く歌だったと思う



今も聞こえるヨイトマケの唄 今も聞こえるあの子守歌
工事現場の昼休み 煙草ふかして目を閉じりゃ
聞こえてくるよ あの唄が
働くドカタのあの唄が 貧しいドカタのあの唄が

子供の頃に小学校で ヨイトマケの子供汚い子供と
いじめ抜かれて囃されて 悔し涙に暮れながら
泣いて帰った道すがら
母ちゃんの働くとこを見た
 母ちゃんの働くとこを見た

姉さんかぶりで
泥にまみれて 日に灼けながら汗を流して
男に混じって綱を引き 天に向かって声あげて
力の限り唄ってた
母ちゃんの働くとこを見た
 母ちゃんの働くとこを見た

慰めてもらおう 抱いてもらおうと 息を弾ませ帰ってはきたが
母ちゃんの姿見た時に 泣いた涙も忘れ果て
帰っていったよ学校へ
勉強するよと云いながら
 勉強するよと云いながら

あれから何年経ったことだろう 高校も出たし大学も出た
今じゃ機械の世の中で おまけに僕はエンジニア
苦労苦労で死んでった
母ちゃん見てくれこの姿
 母ちゃん見てくれこの姿

何度か僕もぐれかけたけど ヤクザな道は踏まずに済んだ
どんな綺麗な歌よりも どんな綺麗な声よりも
僕を励まし慰めた
母ちゃんの唄こそ世界一
 母ちゃんの歌こそ世界一

今も聞こえる ヨイトマケの唄
今も聞こえる あの子守歌


(作詞・作曲・唄:丸山明宏/桑田佳祐「TOP OF THE POPS」より)

この歌は、凄い歌だから、心して聞いてほしい
そんな想いが、一音目から伝わってくるかのような演奏だ
その、心のこもった演奏と桑田の声が、会場の期待の中へと染み込んでいく
聴衆も、それが伝わっているかのように、しんと静まりかえって聴いている

あるいは、桑田に、演奏に、聴き慣れない凄い歌に、圧倒されていたのかもしれない


この歌を聴いて、私は参ってしまった
もう、大泣きである
母への愛に溢れる歌詞

どんどん盛り上がっていく演奏
みんなの心に届けとばかりに張り上げる桑田の渋く伸びやかな声
私がパシフィコ横浜で直接聴いていたら、放心状態になっていただろう


母を亡くして日が浅いから、ということではない
この歌を聴いたのは、母が死ぬはるか前である
この感激は、自分自身の記憶と共感しての物ではない
桑田と、演奏しているミュージシャンが抱くこの歌への愛と
この歌の持つ凄さを強く感じてのものであり
圧倒されているであろう聴衆の心の震えを感じてのものだ

こういう唄を、泣くこともなく唄える歌手は凄いと思う
前回の記事で取り上げた古内東子もそうだが、
なんであんなに切ない歌を泣かずに唄えるのか

あるいは、泣いているのだろうか
心で泣いても、それが声に影響しない訓練を積んでいるのだろうか
まぁ、どっちにしろ唄えないと仕事にならないんだから当たり前か


この音源自体がすでに再録で、初録は「すべての歌に懺悔しな」である
しかし、このアルバムは持っていない
買おうと思ったこともあったが、あまり評判が良くないので買い控えている

美輪明宏のオリジナルが欲しくなって、古いドーナツ盤レコードをオークションで競り落とした
聞いてみて、いささかがっかりした
大抵のカバー曲は、オリジナルのほうが良いといわれる
でも、美輪明宏のオリジナルを知らなかった私にとって、
ヨイトマケの唄のオリジナルは、桑田佳祐のライブ音源になってしまった
美輪明宏のオリジナルは、そのカバーとしてしか聞こえないのだ
美輪明宏は、この歌をさっぱりさらりと唄っている
心の震えがそのまま歌声になっているかのような桑田の声と違って
美輪さんのドーナツ盤は、台詞を読んでいるかのような淡白さだ
オリジナルには敬意を表すべきだと思う
それでも、私にとっては、桑田佳祐のこのライブ音源こそが、「ヨイトマケの唄」だ



ヨイトマケの唄は、一時期、放送禁止になっていたそうだ
差別的表現、
貧しく汚いヨイトマケの子供がいじめられる表現が引っ掛かったのだろうか
こんなに良い歌なのに


実は、美輪明宏自体、あまり好きな人ではなかった
が、こんな愛溢れる歌を作詞作曲していたということを知って
見方は変えようと思った

まぁ、それでも好きではないのだけれど

2011年1月19日 (水)

古内東子の「逢いたいから」

以下のエントリーを書いて3年以上経った今朝、改めてこの歌を聴いて、ふと思った

この歌の中の「僕」は、女性なのではないか・・・?

「僕」が男友達なら、「僕」はいかにもいい人すぎるし、
「僕」が元彼なら、「君」はいかんせん無神経すぎるし、
「僕」が兄や弟なら、それはちょっと危険すぎる
しかし、「僕」が女性(一人称に僕を使ういわゆる僕っ子ちゃん)なら、
それが友達であっても、姉妹であっても、
「君」が夜中に来て、料理したりのろけ話をするのは不自然ではないし、
その話し相手である「僕」が優しく微笑んでいるのも自然なことのように思える

そして、「僕」は
、ノンケ(恋愛対象が男である女性)である「君」に密かに恋するレズビアンであり、
同性ということで心を許している「君」が無邪気で、「僕」は
告白できない


女性、古内東子が、「僕」という歌詞を唄っていることも併せて、
これが、今現在いちばんしっくり来るこの詩の解釈です

(以上追記:2014年10月12日)







もう・・・・なんでこんな歌が存在するんだろう


大好きな彼女を目の前にした、彼の混乱した心の叫びを、

ゆったりとしたリズムで、しっとりと囁くように、古内東子が歌う
まるで、春の雨が、草原の若草を優しく濡らしていくかのように、物静かな歌だ


カーテンの掛かる窓の外には、夜の街並みが広がっている
マンションの部屋は、明るく清潔で、幸せそうな光に満ちている
でも、彼の心の中では、悲しみと妬みと、切ない喜びが渦巻いている


そんなシーンが、スローモーションで瞼に浮かぶ


ドアの向こう 寒そうに君が立ってる
こんな夜中に買い物袋抱えて
「幸せすぎて眠る時間も惜しい。」
なんてふざけながら
誰かを愛する強さにあふれて

彼のことを話す君が立つキッチン
聞いているのは僕でなくてもいいみたい
慣れた手つきの君の料理は
暖かくて懐かしくて
だから余計に僕を傷つけるよ

お願い
恋をして綺麗になってく君を見ているのは
辛いからもうここには来ないで
 言えないよ それでも逢いたいから

君が彼と喧嘩をして泣いてた時
僕はすかさず君の味方をしたけれど
君は笑って「いいのよ。」なんて
僕だったら僕だったら
君を君を悲しませたりしない

お願い
恋をして綺麗になってく君を見ているのは
辛いから もうここには来ないで
 言えないよ 逢いたいから

もう目も見られないよ
君のその瞳に映ってる僕の顔が
やさしく笑うたび悲しすぎて

ああ
今この瞬間を
君といることは決して嘘じゃないのに
ああ
何も変わらない 何も届かない
きっとこれからも

恋をして綺麗になってく君を見ているのは
辛いから もうここには来ないで
 言えないよ 逢いたいから

もう目も見られないよ
君のその瞳に映ってる僕の顔が
やさしく笑うたび悲しすぎて


(作詞・作曲・唄:古内東子 1993年)




大好きな彼女が綺麗になっていくことが、
自分と関係ないところで、幸せを噛み締めていることが、
どうしてこんなにも悲しいのか

それは、自分が幸せにしてあげたかいから

いっそ、そういう君に逢わなければ、そういう君を見なければ、
ほんとうは楽なはず

なのに、逢いたい
狂おしいほどに、逢いたい
その想いはあまりに辛くて、時に、死んでしまおうとさえ思うほど


他の男を愛して、他の男に愛されて、逢いたい君が綺麗になっていく
君は今、親しげに、目の前で微笑んでいるのに、
僕の手の届かないはるか彼方にいってしまうようで、
それが、とても悲しい



男女に友情は成立するのか?

永遠といってもいい、難解なテーマだ
成立する、成立しない、双方の意見の持ち主と、今まで、何度も議論を交わしてきた
議論の相手は、男性のこともあれば、女性のこともあった

成立すると言い張った女性の一人は、その後、
友情が成立していると主張していたお相手が、その女性への想いを書き残し、
自ら命を絶つという悲しみに直面した

成立しないと言い張った男性の一人は、
今も結婚することなく、若い彼女をはべらかしている

成立しないと言い張った親友の女性は、その後、
私と共通の親友と恋愛し、結婚して、今は二児の母であり、
成立すると言い張った男性は、
成立していたはずのその女性の旦那である


私は、心底嫌いになるような女性でなければ、
いつの日か、友情は恋情に転化すると思っている
そして、それは悪いことではないと思っている
私は、他人の女性に対して、たとえば肉親に対する愛情と同等の無償の愛を抱き続けることはできない



彼女は彼の部屋に押しかけて来て料理を作る
彼は、かりそめの友情を楯に、彼女と接している
台所に立つ後ろ姿
揺れる髪
ひとつひとつの仕草
それら全ての姿は、他の男に恋する彼女の、ほんの一部でしかない
無邪気な
彼女を、無神経だからと、辛いからと、追い返すことなんてできない
こうしている間は、二人きりで過ごせるから
でも、かりそめの友情からは、本当の笑顔なんて生まれない
そうするほかに方法がないから、優しく微笑んでみる


彼女の綺麗な瞳に、友情の笑顔を浮かべる彼が映っている
彼女は、その瞳のように美しい友情で見つめていると信じているのかもしれない
でも、彼は心でこう思っている
どんなになっても、君を好き
友情で「好き」だなんて言えない
言いたくない



彼女が席を立ち、一人になった瞬間、
手料理に彩られた
幸せそうな食卓を前に、
彼は、壁を見、天井を見上げ、窓を眺める


他の男と縁の切れているこの瞬間でさえ、
彼女にとっては、愛する男との時間の一部でしかない
その手料理からたち上る匂いでさえ、
彼女にとっては、愛する男との想い出の一部でしかない
見慣れたこの部屋を満たす仄かな甘い香りも、
僕の物ではない

現実が彼の胸を締め付ける
叫び出したい衝動を、声をあげて泣きそうになる悲しみを、
必死で堪えているのかもしれない


何も変わらないのはわかっている
君が僕に恋しないこともわかっている
僕と愛し合うことがないこともわかっている
きっとずっと、どうにもならないこともわかっている


ただただ、失いたくない

だって、大好きだから
たとえ、そんな自分に嫌気が差しても、微笑むしかない

逢いたいから




古内東子


「恋愛の神様」の呼び声が高い、ご存知のシンガーソングライターだ

この歌が発売された当時の私は、
ファンタジックな世界に憧れこそすれ、
このようなリアルな恋愛や失恋の経験もなく
それに憧れることもなかったんだと思う

だから、この人の歌を聴いても、心は震えなかった
そんな琴線は心の何処にも見当らなかった
だから、ぴくりとも食指が動かなかったのだろう



発売から17年を経た昨日、この歌を、TBSラジオ「kakiiin」で聴いた
初めて聴いたはずなのに、歌詞も知らないのに、
涙が溢れて止まらなかった



ポロポロと零れた涙は、こう言ってくれるだろうか?
「幾らかは、経験を積んだということだよ」と

2011年1月15日 (土)

恵比寿、目黒、広尾、青山

代官山なんて、学生の頃に見学会で行った時以来だった

行ったのは、代官山といってもオシャレでセレブな駅前ではない
北のエバーグリーンパークホーム団地など、界隈を覗きに行ったのだ
だからといって、昔の様子を知っているわけでもなんでもない
煙草の煙の中で地図を眺めていたら、小さな建物が散在している様子が面白そうだったのだ

私は歩くのが結構好きだ
健康のためではなく、散歩というか、いろいろ訪ね歩く遠足が好きなのだ
でも、「モヤさま」や「ちいさんぽ」のように、店に入ることは滅多にない
「ブラタモリ」や「タモリ倶楽部」のような、地形を歩く、という感じが一番近いかもしれない

旧道や旧跡が好きなのだ

天気さえよければ、
自宅から15kmほどある大学から歩いて帰ってくることもあるのだが、
これにしても、古い道を訪ね歩いている感覚だ

学生を連れての、社会科遠足にもよく出掛けた
残された貴重な自然遺産や、注目の繁華街など、
学生達と一緒に、事前にルートマップを作って歩きに行った
10km内外の遠足だった
みんな、可愛かったな~
また、あの子たちと歩きに行きたいな

代官山の話に戻る
残念なことに、エバーグリーンパークホームだったところは、
広々とした真新しいマンションに替わっていて、名前も代わっていた

なのであっさりと通過

都立第一商高の脇を通って旧山手通を左折し、ヒルサイドテラスを右手に坂を下りる
洒落た建物が建ち並ぶ
こういう格好つけた建物は嫌いだけど、たまに眺めるのも悪くない
旧山手通にはベンツやポルシェがひっきりなしに通る
一方で、
管理物件になって久しいと見受けられる土地や空き店舗もちらほら

猿楽町交差点の脇に、朝倉家という重文住宅が残っている
大正時代建築の、古き佳き日本家屋のようである
大正から昭和初期の日本建築は素晴しい
素材、技術、作庭、どれもこれも、今は敵わない
朝倉家は一帯の大地主で、
ヒルサイドテラスの施主でもあったようだ
残念なことに、祝日明けの火曜日で休館だった
入館料100円は破格だ
今度は行こうと思う

駒沢通りを南下する
山手通との交差点の先、正覚寺の裏の細い道を東に入ると、八幡神社があった

昭和初期に建て替えられたという本殿は端正で質素だ
境内には、崖線からの湧水か、水神様が祀られていた

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中目黒八幡神社の湧水(?)

山手通まで下りて、田楽橋で目黒川を渡る
猿楽だの田楽だの、踊りの名前が目立つ所だなぁ

東京共済病院の西側を広尾に向かって進むと、そこはかなり急な上り坂だった

上り詰める頂上直前に、「この先階段 車は通り抜けできません」の看板

私のように歩いている者にはなんの問題もないのだが、
どうせなら、もっと早く看板を出したほうがいいと思います

その階段脇に、「別所坂」の案内板があった

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別所坂の階段。素晴しい眺め。

その先は、JR恵比寿駅へ向かう
下り坂

ガードを潜って渋谷川脇の細道を東に入り、臨川(りんせん)小学校に続く橋で左折
そこは川とはいえ・・・・なんとも言えない風景である

ハリウッド映画に出てくるような、と言えなくもない

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渋谷川。映画的と言えなくもないが・・・・

臨川小学校と祥雲寺の間の坂を上り、北に向かえば、
東は聖心女子大学、西は旧ヤモリ川の低地
金持ちばっかりの住宅・コーポラスの建ち並ぶ閑静な住宅街だ

さすがに、西へ開けた眺めは素晴しい


診察を終え、今度は原宿に向けて歩き出す

東京女学館の北側の小道を西に歩き、国道246号を横断、青学の東側を北上する
と、鉄筋コンクリート造の昭和レトロな建築が目に入る
桃色の外壁に蔦が絡まる、その名も蔦珈琲店という店だ
入ろうかとも思ったが、やめておいた
今度、誰かと歩く機会に取っておこう
帰宅して調べると、やはり有名な店らしい

青山通りを横断してそのまま直進する
郵政住宅の角を北に折れ、表参道の一本南の道を左折し、西に進む
この辺りは、高級ではあるが、幾らかうらぶれた影のようなものを感じる住宅街だ
ガラス張りの洒落たテナントビルにも入居者募集の看板が目立つ
高級鞄店の裏を抜けると、旧渋谷川歩道に出たが、
方向感覚を間違えて、左に行ってしまった
テレビでよく映し出されるようなオシャレな通りだ
若者ばかりの中、A4サイズの地図帳片手にキョロキョロ歩く私は完全なお上りさんである

明治通りに出て、あぁこれでは渋谷に着いてしまう、いや着いても良いんだけど、
せっかくだからと、明治通りを原宿へと引き返す
派手なビルが建ち並ぶ。ショップも人波も途切れることなく続く
表参道の並木道は、夕暮れに店の灯りが一際賑々しかった


可愛らしい原宿駅から表参道を振り返ると、街はまだまだこれからといった様相を呈していた



病院からの帰りは、残念ながら暮れてきてしまって、写真は撮れなかった
歩いた距離はざっと9.5km
たったこれだけの距離に、これだけ多くの繁華街や高級住宅街が詰め込まれている


都会は凄まじい


一つ願いが叶うなら、一緒に歩いてくれる相手がほしい
隣の眺めがいいのは、つまらないものだ

2011年1月12日 (水)

喫煙事情

昨日、通院で渋谷に行った
画像撮影専門医院と総合病院のハシゴだ

画像撮影が終わったあと、時間ができたので、駅前の喫茶店に入った

雑居ビルの2フロアを占めるチェーン系喫茶である
一階で注文する
その一階は禁煙フロアだが、満席だ
店員が、喫煙席でも宜しいですか?と訊くので、了承した
私は煙草を吸わないが、何が何でも禁煙席、というほど煙草を毛嫌いするわけではない
ファミレスでも、喫煙席に通されても並ぶよりマシと考える人間である

ところが、ここは凄かった

いやぁ凄い
凄かったなぁ
 

二階に上がると、もうもうたる煙幕なのだ
ほぼ満席の全ての席が、揃いも揃って喫煙者であった

ここまで煙草の煙と臭いが蔓延していると、さすがの私も閉口する
が、これで良いと言った手前、一人煙草も吸わずに、コーヒーを啜った

ちょうどお昼休みの時間帯だったこともあるのかもしれないが、
あんな光景見たこと無いなぁ
面食らう、というのを久しぶりに経験した

それでも、
コーヒーが美味かったら良かったのだが、
大きめの紙コップ一杯で210円では、美味いコーヒーを望むほうが間違っている

美味いコーヒーを飲み慣れるというのも、善し悪しかもしれない

そして、品良く煙草を吸っている客は皆無だった
やたらと音の大きいライターを使い、やたらと大きな音を立てて煙を吐く
まぁ品がないことこの上ない
煙草を品良く吸える人間って少なくなったものだ

小一時間、本を読んだり地図を眺めてから店を出ると、渋谷の空気でも清々しく感じた

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渋谷と代官山を繋ぐ猿楽橋跨線橋。いい感じにレトロ

その後、代官山や目黒をぶらつき、広尾の病院まで歩いたが、
渋谷駅周辺のオフィスビルやコンビニの喫煙所は、特に人が多かった

渋谷は喫煙率が高いのだろうか?

2011年1月 9日 (日)

米村裕美の「見えなくなったシャツへ」

売れる売れないは関係なく、
自分にとって、たまらなく響いてしまう曲というものがある

米村裕美の、「見えなくなったシャツへ」も、そういった一曲だ


米村裕美なんて、きっと、殆ど誰も知らないだろう


アルバイトの収入の多くを、名も知らぬ女性J-POPのCD買い漁りに費やしていた
大学時代に見つけた、
宝物のようなシンガーソングライターだ


当時はインターネットもなく、得られる情報は今よりはるかに限られていた
試聴なんて気の利いたサービスも皆無だった
それでも、いやそれだからこそ、
CDを
片っ端から手に取り品定めする音楽好きが集まって、レコード店は盛況を極めていた
 
情報の限られた中、装丁、顔立ち、名前、発売日・・・・
それらが気に入るか気に入らないかで、買うか買わないかを決めた
それはまるで、運試しかギャンブル的感覚だった

買ったCDを友人に見せて、「知らねぇ」と言われるのが快感だった

名前に関しては、「かたさ行」の少ない女性を贔屓目に見ていた
硬さ・固さを想起させる、「かきくけこ」「たちつてと」「さしすせそ」の少ない名前が好きなのだ
名前に限らず、肌触りも、ふわふわで柔らかくなければ女子ではない、と思っている
私の名前は、「かたさ行」が
4/7を占める
しかも、男だ
無い物ねだりかもしれない

装丁は最も重要なファクターだった
音楽的に自信のあるCDは、良いジャケットになるはずという、危うい
仮説に基づいていた
仮説は危うかったが、それでも、成功の確率は高かった
幸い、
バブルの余韻が色濃いその頃は、装丁も凝ったものが多く、
ジャケ買いし甲斐のある時代だった

 

私は、この人と、この人の歌の何曲かが大好きだった

京都のAMラジオにレギュラーを持っていて、
なんとかして受信しようと、京都に指向を持たせたアンテナを自作した
アンテナ線の総延長は100mを越えた
信じられないかもしれないが、遠く京都のAMラジオをなんとか聞き取れる日もあった
毎週、絵を描いた葉書を投稿し、何度か読まれたのが聞こえたこともあった
それはそれは嬉しかった


良いことばかりではなかった
 
活動を休止されたこともあった
あまりにショックで、この歌の、「このまま 会えなくなってしまうの?」
という部分で、ボロボロ泣いた


期待を裏切られたような気分になって、辛辣に当たったこともあった
憎くなって、聴かなかった時期もあった

今も心苦しくて、BBSに投稿できないでいる


当時の彼女よりうんと年上になった今、いろいろな経験を積んだ今、
改めて
この歌を聴くと、その切なさと愛しさは痛いほどだ


大好き あなたの白いシャツ

元気な顔見れると思ったのに 疲れているの?
さっきから黙ってる
話したいことだって たくさんあったはずだったの
だけど 何も言えない

またねって 笑顔で手を振ればよかった
泣きだしてしまいそうよ


おねがい ひとりにしないで
言えない
素直になれないままで別れた
閉まったドアの向こう側
人混みに消えた あなたの白いシャツ

冷たい風の吹く木曜日
ひとりきりの部屋で 今日も電話は来ない
借りたままの本を開いたら あなたが引いた線
見つけ こころ震えた

どうしてるの 今も忙しくしてるの?

浮かぶ顔 かき消せない

突然 消えたりしないで
このまま会えなくなってしまうの?このまま
やさしい言葉もいらない
もっと我慢する
おねがい そばにいて

おねがい ひとりにしないで
言えない
素直になれないままで別れた
閉まったドアの向こう側
人混みに消えた あなたの白いシャツ

大好き あなたの白いシャツ


(作詞・作曲・唄:米村裕美 1992年)


仲が良いんだか悪いんだか、好きなのか嫌いなのか、よくわからなくなってしまうことがある
大好きなはずなのに、想いが募って憎くなってしまって、気持ちが空回りしてしまう
 
なのに、別れると、すぐに素直な気持ちが蘇ってきて、
なんで素直になれなかったんだろうって、悲しくなってしまう
いろいろ思い出して、もっとやさしくすればよかったのにって
もっと素直に甘えればよかったのにって、後悔ばかり

相手の気持ちなんて、結局のところわからないのに、
こういう時にかぎって、一人相手のことをいろいろ考えてしまう
そして、判で押したように、悲しい方向にばかり向いてしまう
でも、考えずにはいられない


こんな気持ちになってしまうのは何故?

嫌いだから?どうでもいいから?
いや、きっと、その人のことを大好きだから

だから、サヨナラしたくない。そのためなら、多少のことは我慢してもいい

そんな気持ちの時に流れるのは、
嬉し泣きとも、悲し泣きとも、怒り泣きとも違う
切なくて甘い、愛し泣きとでも表現すべき、心の涙

この歌は、その難しい部分を、とても可愛く歌っている
と思う


閉まったドアは、なんのドアだろうか?
電車?新幹線?車?
お店のドアということもあるかもしれない
あるいは、彼女の部屋なのかもしれない
でも、私は、なぜかバスのドアをイメージする



ジャケ買いした米村裕美の2枚目のアルバム「How Are You ?」

「見えなくなったシャツへ」は、その冒頭の一曲である

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米村裕美2ndアルバム「How are you ?」1992年


過去には、クレヨンしんちゃんのエンディングテーマ曲を歌ったり、
NHKのみんなのうたに採用されたり、
大手飲料メーカーや地方銀行などのCMにも楽曲を提供していた
しかし、
ここ10年、活動らしい活動はされていない

惜しい人材だと思う

2011年1月 7日 (金)

古い名前

は~ハァッ

で有名な、和田アキ子の代表曲は「古い日記」である
それではない。古い名前についてである。


先日の年明けに、父のご機嫌伺いに行った時のことだ

男やもめは寂しいものだろうと思う
ましてや、7歳も年下の、19歳からつき合った女房を亡くしたのだ
気持ちは、痛いほどわかる
でも、どうしてあげることもできない
たまに、機嫌を取りに顔を出すことぐらいしかできない

まぁ、今回の記事には関係ない話だ



で、その父の住む実家に行くべく、所沢駅から2キロほどの道程を、久しぶりに歩いてみた

所沢駅西口と東村山を結ぶ県道には、西武池袋線のガードを潜った先に、旧道が残っている
殆どの人は、旧道の存在にすら気が付かないだろう
というのも、旧道への分岐部分は既に道ではなくなっていて、家屋が建っているからだ
注意深く見れば、その区画が旧道の道路境界線になっているのがわかる
かくいう私も、国土変遷アーカイブ空中写真閲覧システムで戦後間もなくの航空写真を閲覧して、
その事実を知ったのだ

家屋の建ってしまった旧道の分岐点の先には、今も旧道がそのまま道として残っている

そこに踏み入ったときのこと
なんとも懐かしい看板を見つけたのだ


西武鉄道の路線図である


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道端に立て掛けられた路線案内図。よく見ると・・・・

この旧道のすぐ裏には、西武新宿線が通っている
何も懐かしむほどのことも無かろうと思わないで、よく見て頂きたい


新宿線の所沢駅の次が、新所沢駅なのだ。
 現在は、航空公園駅がある。昭和62年開業
新宿線の小平駅から先の支線の終点が、多摩湖駅なのだ。
 現在は、西武遊園地駅である。
昭和54年改称
新宿線の萩山駅から先の支線の中間駅に、青梅橋駅があるのだ。
 現在は、東大和市駅である。昭和54年改称
新宿線の、入曽駅の次が、入間川駅なのだ。
 現在は、狭山市駅である。昭和
54年改称
池袋線の西所沢駅からの支線の終点が、狭山湖駅なのだ。
 現在は、西武球場前駅である。昭和54年改称
池袋線の石神井公園駅の次が、富士見台駅なのだ。
 現在は、練馬高野台駅がある。平成6年開業

飛び線である多摩川線には、多磨墓地前駅があるのだ。
 現在は、多磨駅である。平成13年改称
同じく多摩川線に、北多磨駅があるのだ。
 現在は、白糸台駅である。平成13年改称

西武線以外では、東武東上線に坂戸町駅があるのだ。
 現在は、坂戸駅である。昭和51年改称

そして、なんと言っても、多摩湖北岸に、おとぎ電車が走っている
 昭和59年に新交通システムに代替


まだまだ色々ありそうだが、このように見ると、どうも昭和51年以前の看板なのである
いやぁ、Wikipediaって有り難いわ・・・・


昭和51年・・・・
私が未だ6歳になるかならないか、という昔だ
ほんの気まぐれの寄り道で、こんなものにお目にかかれるとは思わなかった

しかし、この看板、野ざらしのくせに、やたらと綺麗だ
パッと見ただけでは、その古さに全く気が付かなかった
使われている活字に、いささかの古さを感じたに過ぎない

欲しがる人もいるだろうし、私も少し興味を惹かれたが、いささか大きい
看板を邪魔しているのは、土木工事現場でよく見る猫車のハンドル部分である
大きさが想像できるだろうか?
そうだな・・・・縦1m、横1.5mはあったと思う
アクリル板の厚みは6mmぐらいだったかな

今度行ったら、もう無いかも知れない

旧道で見つけた古い名前
偶然に感謝m(_ _)m

2011年1月 6日 (木)

初詣2題

お正月といえば、初詣である

もうかれこれ5年ほど、隣町の入間市内にある熊野神社に、元日の午後、初詣に行っている

初詣を呼びかけるチラシが折り込まれているわけでもないこの神社
確か、数年前に、どこかに初詣に行こうと、神社の前を車で通った時に、
参拝客の行列につられて、お参りしたのが最初だったと思う

ここは決して大きな神社ではないが、
正月には社務所を開き、20歳そこそこの初々しい巫女さんも数人揃え、
破魔矢、絵馬、お札などを売るほか、お参りした一人一人にみかんと御神酒を振る舞う、
たいへんに立派な神社である
参詣する人も多く、お参りの列が境内の外まで伸びるのが常である
今年は夕方4時頃に行ったのだが、その時間でも境内の外まで行列ができていた

熊野神社の総本社は、和歌山である
熊野那智大社、熊野新宮速玉大社、熊野本宮大社のうち、
本宮大社を除く2社には何度も行っている
まぁ、その誼(よしみ)もあるし、これだけちゃんとした初詣への振る舞いをしてくださる神社に、
ある意味敬意を表して毎年初詣に行くのだ

実は、ほかにもう一社、初詣に行く
こちらは、元日ではなく、五日と決まっている
場所は、所沢の西の外れ、西武松が丘団地にほど近い、八幡神社である

一月五日が、隣接する水天宮の縁日なのだ
この水天宮、昔から絶大な信仰を集めていて、100mを越える行列が一日中続く
私はそこに並んでまでお参りするほど信心深くはないので、
空いている隣の八幡神社にお参りし、水天宮には脇から手を合わせるだけにしている

ここは実家から比較的近く、幼少の頃から、この縁日に行くのが楽しみだった
狭山丘陵の舌状台地東端に位置する神社に向かう300m程の上り坂に、
お好み焼き、たこ焼き、焼きそば、ひもの、乾物、七味、甘味、アイドルグッズ、ゲーム、植木、神棚、下着など、

実に様々な出店がズラリと並ぶ
坂のとば口には、鯉をその場で捌いて生き血を飲ませたり、切り身を鯉こく用に売る名物の出店があって
いかにも田舎祭の風情を醸し出していたのだが、ここ数年は見掛けなくなってしまった

実は、この辺り一帯は、宮崎駿監督の代表作、となりのトトロの舞台である


神社から見下ろす西武松が丘団地は、昔、一面の水田だった
自宅から水天宮までの道は田圃のあぜ道で、その脇には潅漑水路が流れていた
その水路には所々に木製の堰があって、水田に水を導けるようになっていた
水路にはドジョウやザリガニがいて、我々の格好の遊び場だった

その光景が、映画に見事に再現されている

水天宮から南を望むと、谷に広がる松が丘団地を挟んで、八国山と呼ばれる山が見える
映画には、七国山という山が登場するが、この八国山が舞台である
八国山には、東西に尾根道が走っている
尾根道からは、結核患者用の隔離病棟、サナトリウムが見下ろせた
それが、
映画で、娘二人が母親の入院しているサナトリウムを見下ろしたあの場所である

どちらも、私の昔の記憶そのものである

これらの風景が残されていれば、今や格好の観光トレッキング資源だっただろうが、
惜しいことに、今は何も残っていない

ここに来ると、幼い頃の記憶がじんわりと蘇り、一帯が古い風景に見える
ある意味特別な場所なのだ

宮崎監督や私のように、実際にそこでその風景を見た者の記憶の中にしか、
あの風景が残っていないと思うと、自慢したくなるけれど、
やはり、残念である

初詣とか、縁日とかは、今や恋人同士のデートの種かもしれない
しかし、歳を重ねると、そういった桃色の想いは何処へやら、である
柏手を打ち、手を合わせ祈るのも、世界平和だったりする
その一念の元に、あなたのことも祈る、静かな田舎の初詣である

Sp1030150
となりのトトロ時代と変らない、素朴な八幡神社(2011年1月5日)

2011年1月 5日 (水)

雑煮と漆器

お正月といえば、雑煮である

関東は、概ね鰹出汁の澄まし汁だろう
大根、人参、小松菜などと、焼いた角餅を入れるのではないか
そこに、別の具が加わり、各家庭毎の個性が
少しずつ加わる

私は、ベースが関西の人間だ
それも、大阪市西成区という、相当に庶民的な土地にルーツを持つ
奇しくも、NHKの朝ドラ「てっぱん」の舞台に、比較的近い場所である

そこの雑煮文化は、白味噌だ
秀逸な演技を見せる富士純子も、ほぼ同じ雑煮を作っていた
水から人参、大根、里芋を湯がき、
甘い白味噌を溶き、その中に、丸餅を焼かずに入れ、煮る
里芋と生餅のせいで、とろみがつく
そして、甘い
それが美味い
器に装ったら、削り節をぱらりとまぶす
柚子を一切れ入れると上品だ

正月中、この雑煮鍋に餅を入れては煮る
当然、とろみは強くなる
油断して餅をあらかた溶かしてしまうと、どうなるか

アルミのお玉が、根元から折れ曲がるほど、トロトロになるのだ
いや、これはもうトロトロの概念を越えているな

お玉が折れるほどトロトロになるのは異常だが、
正常でも、正月3日目ともなれば、相当トロトロである
一口含めば、
白く、温かく、甘く、しょっぱい液体口の中全体に広がる
そして、それが、喉をとろーっと下りていく
もぉ・・・・
最高の食感だheart02

今年は、基本喪中ということもあって、
正月の食卓を写真に撮るという発想を失念してしまっていた
川連塗りの椀に満たされた、淡黄白色の雑煮は美しい
こういう料理を塗りの椀で頂くと、日本人の蓄積してきたセンスはほんとうに素晴しいと思う
漆の透明感、光沢感と、雑煮のトロリとした色と質感、
湯気に踊る削り節と、それらを程良くとりま とめる柚子の色
この組合せは、殆どエロティシズムである

エロい・・・・

そう、漆器には、エロスがある
私は、この漆器のような女が好きだ


新年一発目の内容にしては、いささか、いささかな方向を向いてしまった

まじめに作られた秋田、川連(かわつら)漆器の祝い椀で、お口直しを・・・・


Sp1030149
秋田県の誇る工芸品、川連漆器の金擦込み松葉柄組椀

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