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2010年11月

2010年11月30日 (火)

愛車との別れ

じ~きたは、マツダのファミリアSワゴンという車に乗っている

夢の6輪のうちの、4輪だ

この車、マツダの誇れる技術は何一つ載っていない
適度な大きさ、スタイルなど、気に入ってはいる
が、ハンドルの切れの小ささ、ATのショックの大きさ、イマイチな燃費など、
マツダの悪いところばっかり目立つ

では、なぜマツダを選んだのか

それは、それまで、Sentiaという、日本が誇る麗しきマツダ車を所有していたからだ

恐らく、日本でこれまで販売された車の中で、最も美しい車だったと思う

Sentia04
MAZDA Sentia (初代)

それまで実家で乗っていたのは、日産セドリック430ターボだった
そのエンジンが壊れ、廃車になってから、兄と一緒に慌てて車を探す羽目になった
当時、免許を持っていなかった私は、資料集めと試乗のアポイント係だった

1991年当時は未だバブル真っ盛りで、発売されたばかりのトヨタセルシオは、納車2年待ちという時代だった

トヨタクラウンは自動車として魅力のない時代だった
日産セドリックは室内が狭く、身長176cmの私より更にデカい兄と共に、車内で閉口した
試乗車も用意されておらず、興味は殺がれた

これはダメだ、選択肢がないとうなだれた帰り道
以前からあったけど殆ど入ったことのないマツダのショールームを覗いた

マツダから、Sentiaという車が発売されたことは新聞の広告で知っていたが、
イギリスのジャガーにそっくりで、あぁ、こんな車がデビューしたんだ、
そんな程度の印象しかなかった


しかし、実物はなんともダイナミックで魅力的なフォルムだった

ショールームには、展示用
と試乗用があった
担当の兄ちゃんに試乗の可否を尋ねると、二つ返事でOKしてくれた
兄がハンドルを握ると、私は助手席を勧められ、担当の兄ちゃんは後席に乗り込んだ

適当に好きに走っていいっすよ~

この兄ちゃん、営業魂が炸裂するかと思いきや、
店番から抜けられてラッキーという程度の風情で、
乗車中、一言も話し掛けては来なかった
大事な試乗車に何かあっては困るだろうに、そんな緊張感は全くなかった

バブルの頃って気楽だったなぁ

流麗なボディは、大きな段差を越えて車道に出てもミシリともいわなかった
すさまじい加速力だった
舗装の綻びにわざとタイヤを落としても、なんの振動も伝わってこなかった
内張も窓ガラスもメーター周りも大きく湾曲した内装のデザインは、宇宙船に乗っているようだった
なのに、その質感は実にシックで大人しかった

大きな窓で、車内はとても明るかった


その帰り道
兄と、あれだな、と意見が一致した

父にはその流麗すぎるデザインが多少恥ずかしかったようだが、納得して購入


それから11年


11万キロ以上を走ったSentiaは、エンジンはじめあちこちに不具合を抱え、
ついに寿命を全う、廃車の運命となった

仮免許を取って、初めて運転した日のこと
免許を取ってすぐに、後席で呑みっぱなしの両親を従え、フェリーに乗船させ、
和歌山まで行き、大阪経由で帰ってきたこと
安房峠が冬季閉鎖になるその日に、峠道で雪上滑走し死にかけたこと
何人もの同級生や先輩後輩を送り届けたこと
バイト先で意気投合した友人が、同じSentiaに乗っていてびっくりしたこと
車を買い換えた実家から引き取られるその日に、待ったをかけて俺が乗ると譲り受けたこと
四国の、私の苗字と同じ土地で、10万キロのメーターを刻んだこと

思い出は尽きなかった

Ssentia03

別れの数日前、実家の脇で

想い出に、立川の昭和記念公園に行った
既に、交差点でエンストしたり、ひどい振動を立てていたエンジンなのに、
この日ばかりはとても滑らかに動いてくれた
最後の踏ん張りで、いいところを見せてくれたのかな

Ssentia02

同じ日、立川の昭和記念公園駐車場にて

この三日後、仕事から帰った後、綺麗に洗い流してピカピカ
にした車体のあちこちに、
あの死にかけた峠道を無事通過した夜に出会った、
大好きな飛騨高山の酒、久寿玉を、
感謝の気持ちで掛けてあげた

その後、真っ暗な中を、少し悲しそうな排気音を残して、Sentiaは引き取られていった

免許を取って初めて乗った車だったこと、日本の自動車史に残る名車だったこと、
初めて自分で所有した車だったこと・・・・


愛おしい車だった



たかが車、されど車

とはいえ、人間の記憶は、車という機械に魂を宿らせる
その記憶の一翼を担ってくれた相棒との別れは、やはり淋しかった
あたかも、意識あるものとの別れのように



愛したものとの別れは辛い
さまざまな「せめて」の想いが今も去来する
きっと、その想いはいつまでも消えることはないだろう


それが「愛車」であるならば、
なんでもないスナップショットでも、きっと素敵な想い出を残してくれるだろうから、
木々の美しく染まるこの季節、なんでもない一枚を、是非・・・・

2010年11月28日 (日)

PCのメモリを2.5倍にパワーアップ

珍しく、PCの話題を


いま使っているPCは、3年前に買い換えたものだ

PCは、大学院生時代に初めて買った

CRT画面に定評のある三菱の新品だった
それを数年使って、本体だけDELLの中古に買い換えた
性能は格段に上がった
しかし、狭い部屋に置くからと、小さな筐体のものを選んだのに、
結局、周辺機器を付け足して、大きなスペースを占領した
小さな筐体は排熱も厳しいらしく、うるさかった

当時は、家でする仕事といえばWordやExcel程度だったから、それでも我慢できたが、
数年もすると、時代と共に進歩するITについていけなくなってきた
三菱のCRTもさすがに傷み始め、やはり三菱の17インチのLCDを
ヤフオクで買った

もちろん中古だ

職場を辞め、専ら家で仕事をするような体制になると、
そのうるささと旧時代的遅さ、小さすぎる筐体の拡張性の無さは致命的になって、
今使っているものに買い換えたというわけだ
やはり、ヤフオクで買った中古である

小さいタワー型で、CPUはPentium4の2.8GHz
HDDは160GB、メモリを1GBに増量して、「新時代だなぁ」と思ったものだ

その後、ひょんなことで20インチのLCDモニタが手に入り、
何故か持っていたマルチモニタ対応のビデオカードを使って2画面構成になった
大学で教えているCADのテキストを作るには、CADとテキストを同時に表示できて、頗る好都合だった

そんなこんなで、いまのPCは、私の用途にぴたりとマッチして
つい最近まで、特に問題なく、ストレスもなく動いていた


ところが、である


この一ヶ月半ほど、例のエボルタ君のUST生中継を見ながら、
SkypeやCAD、構造計算ソフトを使って仕事をしていたら
HDDへのスワップが大量に発生するようになって
ちょっとアプリを切り替えるだけで、数分も反応しない現象が頻発するようになったのである


これでは、もう仕事にならない

まぁ、USTを見なきゃいいのかもしれないけど、
それはねぇ、まぁその・・・・

いいじゃないですか (;´Д`A ```


それに、エボルタ君のUST生中継は終わってしまったけど、
今後、これと同等のタスクが求められる時代はすぐそこ来ているわけだし

で、メモリを再増量することにした

元々、PC3200の256MBが4枚搭載されていたので、
それを2枚減じて、同じ規格の1GBを2枚載せ、デュアルチャネルの2.5GBにしようとAmazonを覗くと、
安定感のある製品で定評のある日本のBUFFALOの業務用というのを見つけた

1GBを
2枚で税込み6,960円。これなら安い。

早速取寄せ、載せてみると、いやはや、PCってこんなにHDDにアクセスしないでも動くのね

とても快適だ
この状態で、エボルタ君を見ればよかったな・・・・

Pentium4の2.8GHzなんて、今となっては時代遅れなんだけど
でも、これでまた暫く頑張ってくれるだろう

2010年11月26日 (金)

青空文庫よありがとう

さて・・・・

昨日の記事で紹介した、幸田露伴の「風流佛」や「雁坂越」
私は、昭和38年(1963)発行の日本現代文学全集で読んだ

これは、現在の出版書籍の底本にもなっている、割と有名な本のようだ

昭和30年代の古き佳き雰囲気をいっぱいに感じさせるこの本
恐らく、原本をかなり忠実に再現した活字本なのだろう


とんでもなく読みにくい

 
「五重塔」も収録されているので、冒頭の一節を比べてみると


(2001年版)

木理美しき欅胴、縁にはわざと赤樫を用ひたる岩畳作りの長火鉢に対ひて話し敵もなく唯一人
(読み)
もくめうるわしきけやきどう、ふちにはわざとあかがしをもちいたる
がんじょうづくりのながひばちにむかいてはなしがたきもなくただひとり

(1963年版)

木理美しき欅胴、にはわざと赤樫を用ひたる作りの長火鉢に
ひて話し敵もなく唯一人
(読み)
もくめうるわしきけやきどう、ふちにはわざとあかがしをもちいたるがんでふづくり
・・・・以下略


と、相当数の漢字が旧字で書かれている

しかし、「
がんでふ」って・・・・


┐(´-`)┌


昭和38年ってそんなに昔々だったのかなぁ


それだけならまだいい
こんな活字、見たことありますか?
 
P1030091

日本現代文学全集(1963)「風流佛」より


なんだこりゃ

ふにふにしてるぞ~


無視して読み飛ばそうにも、この頻度で連発されては無視できず・・・・
なんとか読んでみるけれど


  「い」?


・・・・御受納下され度不悉・・・・
ごじゅのうくだされたく
ふしつ


これではまったく意味がわからない


しかし!

エボルタ君の完全生中継を実現させるほど進化した
インターネット時代
情報を得るのも大変お手軽になった
 
青空文庫というウェブサイトがある
有り難いことに、そこで、風流佛が新字体で公開されているのだ

同じ箇所を紐解くと・・・・
 
・・・・御受納下され度不悉・・・・ 

ごじゅのうくだされたくそうろうふしつ


候ってか・・・・


読めね~



手元にある2001年出版の102刷り版が、いかに読みやすくなっているか・・・・
青空文庫と岩波文庫の努力に感謝

2010年11月24日 (水)

幸田露伴の五重塔

名著である
明治25年発表というのだから、108年前の小説だ


正直言って、この小説は読みにくい
今まで読んだ中で、最も読みにくかった小説である

岩波文庫で、たった110頁しかない薄い本なのに・・・・

体裁が非常に不親切なのだ

会話をカギカッコで括ることもなく、改行も殆どない
「淋しさうに」とか、「男のやうに」といった古い仮名遣いが多く、
「好色漢」を「しれもの」、「愚鈍」を「うすのろ」と読ませたりと、読み当て字も非常に多いのだ


但し、その読みにくさは文体に慣れるまでのハナシである


何度か読み返すことによって、体裁にも文体にも目が慣れてくるし、

物語を憶えてしまえば、その
助けによって、さらに読み易くなってくる

すると、現代文より読みやすくなるから不思議だ
なんというか、さらりさらりと読み進む感じなのだ

これは、文章全体が独特のリズム感を持っているからだと思う
ちょうど、講談師の口調を真似るイメージで読むと、実に具合が良い

そのリズム感を楽しむだけでも最後まで読んでしまえる程なのだが、
さすがは露伴の傑作といわれるだけあって、内容は素晴しいの一言だ

物語自体はそんなに手の込んだものではないし、
ぱっと見には、"いかにも傑作"とはとても感じられない文章だ
そう・・・・なんというか、実に軽いのだな
散歩でもしているかのような軽やかさなのだ
なのに、何度でも読み返したくなる中身の濃さに舌を巻く

特に、情景をありありと目に浮かばせる描写力が凄くて、
それは、登場人物同士の会話や遣り取りを丁寧に
綴ることによって
一人一人の顔立ちや表情まで、ありありと目に浮かばせる人物描写であったり、
一人思案の逡巡と、その人の無意識に目に見えている物事とを合わせて描写することによって
家の外や奥の方から聞こえてくる物音や
会話の距離感を感じさせる表現力であったりする

まぁ、本当に見事なものである
 

物語には、場面として4軒の家が出てくるが、
その表現力は、なんの説明もしていないのに、その間取りを目で見るかのように伝えてくるし、
裕福か貧乏か、気概があるかうらぶれているか、清廉か繁雑かまで、見事に表現している


風景や日差しの移ろいで時間の流れを
感じさせたり
冬の曇り空の下で鳥が啼く、その空気の硬さまでをも感じさせる研ぎ澄ました静けさがあるかと思えば、
バカみたいにはしゃぐ浮かれた雰囲気や
ダメ男のダメダメな息遣いや心臓の鼓動までをも感じさせる胸が騒ぐような賑やかしさもある

それら全てが、読んでいてとっても心地よい

それに、
主題である建築に関する非常に奥深く幅広い知識にはちょっと圧倒される程で、
私もその仕事柄、大工の世界のことは割と知っているだけに
素材や道具、部材名称やしつらえ、儀式に
ついての知識には脱帽である


こういったものが、例の講談風の軽い文体で見事に織りなされているのだ


たった110頁で、である


凄い

こういうのを名著っていうんだろうな


一つ批点を付けさせて貰うならば、
世間一般に評価されているという、終盤の暴風雨のシーン
あそこはこの小説の中ではどうにも異質で、読みにくさも段違いだ
僅か3頁ほどの文章だから、私など、読まずに飛ばしてしまうけど



建築の知識がないと読み切れない小説ではあるけれど、
まぁ、とにかく、お勧めの一冊である

建築の知識がまったくない方には、同じ露伴の中では、
「風流佛」か「雁坂越」のほうがいいかもしれない
どちらも、なかなかの名作だ

P1030092
幸田露伴「五重塔」日本現代文学全集(1963)と岩波文庫(2001) 

2010年11月23日 (火)

EVOLTA君GOAL!!

今日、2010年11月22日(月)15時33分
エボルタ君は、東海道五十三次を歩ききり、ゴールである京都三条大橋に到着した


ちょっと、この企画には感慨深いものがあり、長くなる


じ~きたがこのチャレンジを知ったのは、スタートしてから数日後、
平塚宿への挑戦道中あたりだ

このブログでも記事にしているように、
バイクを使っての雑なやり方ではあったが、
東海道を平塚あたりから愛知一宮あたりまで走ってみたり、
東海道本線と山陽本線の各駅停車を使って、東京から九州まで行くなどしてきた

そういう私の趣味性と、
この企画とが共鳴するのは当然で、
ホームページを見た瞬間、このイベントに完全に取り憑かれ、
以後、出掛ける用事がなければ、

在宅勤務と
マルチモニタの利点を最大限活用して、
仕事中も、各地
に残る街道筋の風情と、エボルタ君のカラッコロッという音を楽しんでいた


本当に楽しかった


それにしても、この企画は、幾つかの、大変感謝すべきポイントを持っていた

まず、2ヶ月間ほぼ毎日続けられた実証実験を、完全生中継してくれたということ

宣伝効果を狙った実証実験という性質上、その刻一刻は余すこと無く重要な場面になる
従って、編集という魔法の手を介在させない生中継は当然の選択だっただろう

そのメディアとして、番組を長時間分断するCMの存在しないネット中継「
USTREAM」を利用した意義は大きい
番組編成という構造を持つTVでは、その日の中継時間も不安定且つ長時間で、
天候によっては中断、場合によってはその日一日取りやめになる実験の生中継を、
これだけ長期間続けることは不可能だった

この生中継によって、
現地に居なくとも、数多のトラブルやハプニングをリアルタイムで目撃できたし、
沿道の児童生徒や、こんな珍客も、時間を無駄にすることなく、一行を待ち構え応援出来たのだと思う
こういったギャラリーは、時に一行を苦悩させる存在でもあったようだが、
結果的にこの生中継の絶大な効果を証明する証言者にもなった


次に、
生中継の補完情報源として、リアルタイムツール「twitter」が効果的に機能したこと

何らかのトラブルによって中継が中断した際にも、
twitterによって、それが個々のPCのトラブルか、配信側のトラブルかを把握できたし、
各地各所でエボルタ一行に情報や知識の不足があった場面でも、
視聴者からの情報提供を募ることによって、即時的に情報を得ることが出来ていたのは、
一行にとって大変有意義だったに違いない
また、twitterがあることによって、電波が弱く中継が断続状態に陥って目も当てられないような時でも、
何が起きているか理解できない、というストレスを感じることなく、
その瞬間すら楽しみの一つとして受け入れることが出来たと思っている

じ~きたは結局ユーザー登録せず、ツイートには参加しなかったが、
それでも、情報源として、多くの方から寄せられるtwitterのタイムラインは充分有意義だった


さらに、これらのリアルタイムツールと参加者の力によって、
舞台裏のおもしろさを享受できたこと

一部の区間では、行動力のある視聴者がエボルタ一行に合流し、私物カメラから独自に生中継を配信していた
その上、公式カメラの画像と2画面並べて配信するページで視聴できたことによって、
スタッフの活躍振りを、その場にいるかのようにリアルに感じることができた
また、配信トラブルや一行の食事休憩中など、配信が途絶えたり、
待ち受けスケッチの(ほぼ)静止画(これも楽しみだったが)になってしまった時でも、
一行に合流している応援者が、twitterに
状況報告を流してくれたことによって、
メンテナンスの状況や、出発の予定時刻などのスタッフの打合せ内容を得ることもでき、
舞台裏の生々しさを肌で感じることができた

Photo
最終日の待ち受けスケッチから(スクリーンショット)


最後に、エンタテインメント性を適度に織り込んだこと

まぁ、ハッキリ言って、一般の視聴者は実証実験の検証者である必要はない
それぞれの楽しみ方が出来ればいいわけで、
それは、ひたすら健気に歩くエボルタ君の姿に癒されることだったり、
沿道の長閑な風景をつぶさに見ることであったり、
スタッフの活躍する姿に感心することであったり等々、
実に様々な楽しみ方があったことだと思う

しかし、いずれにしても、一行がただ黙々と歩き続けていては、
それはそれは味気のない生中継に終始したことと思うし、
沿道の方を、これほどまでに応援しようと思わせられなかったと思う

その点で、エボルタ君を先導したシスターズの存在は大きい

中でもその
3/4を占めた吉本興業所属の芸人・タレントによって、
スタッフ一同に、一種の楽しませる気概が醸成され、
そのことで、この生中継がより魅力的になっていったことは、特筆に値する

敢えて、ブログだから、個人的な感想を言わせて貰えば、特に4女VITAの存在は偉大だった

実は、初めて彼女が誘導するのを見た時は、ハラハラドキドキだった
何かまずいことを言うのではなかろうか、とか、
エボルタ君を壊してしまうのではなかろうか、とさえ感じた

しかし、彼女自身この2ヶ月間で変わったのかもしれないが、

スタッフを和ませる重要な言葉を次々と発していったし、
この実証実験をただの実験たらしめることなく、
旅する楽しみを見る者に与えてくれたと思うし
見たくなる、出迎えたくなる雰囲気のキッカケを作り上げたと思う

地元のメディアが取り上げた効果も大きいだろう
もしかすると、パナソニックが取材してくれと依頼したのかもしれない
しかし、インターネットの、それもかなり最先端のツールを使ったイベントであったにも関わらず、
地元の住民が飛びついたのは、中継を見て、その楽しそうな雰囲気を感じたからではないだろうか?
日を追う毎に、時には98歳のおばあちゃんまで、実に幅広い年齢の住民が、
外に出てきて歓迎、応援していたのは、きっと、お年寄りにまで、
「なんか面白そうな奴らが来るぞ」、と感じさせる雰囲気を作り上げたからだろう

シスターズは、その功労者である


このイベント自体が一企業の宣伝であることは重々承知である
日産自動車のEV実証実験との遭遇がスポイルされたあたりは、
大企業の抜き差しならない「事情」が見え隠れする一つの象徴的な出来事だった

しかし、飛び抜けて長い期間の実験企画を徹頭徹尾生中継したことによって、
単なる一企業の実証実験という側面を大きく凌駕する、一つのムーブメントになったことはほぼ間違いない
旅程の終盤は、沿道が殆どお祭り状態で、町興しになってしまっていたのだから


今も、多くの人が、徒歩で東海道五十三次を歩いている
そして、これからも、エボルタ君の影響も含みつつ、多くの人が東海道を踏破することだろう

しかし、その誰もが、エボルタ君ご一行のような歓待を受けることはできない

多くの人に愛されるキャラクター「エボルタ君」を開発したこと
とにかく生中継し続けたこと
シスターズを始めとするスタッフ一人一人が、生中継を彩ったこと
視聴者の数が表示されるメディアを用いたことによって、応援しに行く勇気を多くの人に与えたたこと

各地のフィーバーぶりは、これら、この企画が持っていた幾つもの面が非常にうまく機能して、
多くの人の共感を得ることができたということを見せつけられる光景だった




今日の最終日

滋賀県の大津宿を出るときは、最後の走行という感慨はさほど湧かなかった

それは、宿場町に共通する古い街並みの優しさと、
反面、いつものように、小さな歩行者には厳しい道路環境、
大人の人間でさえ、生身で歩くのが恐ろしげな自動車社会の実態を目の当たりにし続けたからだと思う
雨という天候も、チャレンジの無事を心配させ、最後という感慨に耽させなかった

しかし、逢坂峠を下り、蹴上浄水場前を京都市街方面に折れたその時、
眼下に
京都の町が広がって、漸く、最終区間であることを実感した

9月23日(木・祝)に日本橋を出発してからほぼ2ヶ月
500kmの道程と幾多の難関を乗り越え、走り続けたエボルタ君の挑戦は
名残の雨降る中、その終わりを告げた

Photo_2
エボルタ一行ゴール直後のスクリーンショット

雨を避けつつ、時間の調整をしながら、やっとたどり着いたゴール
歓喜の後の女性陣の頬には、やはり、涙が光っていた


終わってしまうと思うと、正直とても残念だった
多くの人が、異口同音にツイートしていた中、誰かが慰めるようにツイートしていた
「終わりがあるから、旅を続けられるんです」
なるほど、そうかもしれない

正直、直接見に行きたかった
会って、愛でてやりたかった
でも、行かなくて良かった
行っていれば、きっと今はもっと淋しいだろうから

エボルタ君、そしてご一行の皆様
三条大橋ゴールおめでとう
この一ヶ月半、心から楽しませて貰いました
どうもありがとうございました


そして、小さな勇姿に・・・・深謝

Photo_3
琵琶湖に臨むエボルタ君(スクリーンショット)

2010年11月21日 (日)

いま帰っていきました

なんの根拠もなく、15時頃になるかと思っていたが、
意外に早く、14:30ちょっと前に、ブルーインパルスは松島へと帰っていった

午後は弱い南風になって、こちら(南側)に離陸

4機揃って菱形編隊で離陸したあとを、
2機がハデハデに追い掛けていくという、いつものあれ
青と白のお腹がバッチリ

といっても、写真はありません

最後のは左旋回しながら白煙のオマケつき

あぁ、また来年・・・・
と思ってたら、最後にもう1機、白煙吹きながら追い掛けていった

最初の編隊は3機だったか、それとも7機で来ていたか

遠く東の上空で揃った機影が北の空に消えていく
ちょっとずつ白煙を残しながら


また来年、あなた方が平和に活躍する姿を見せてください

いま帰ってきました

30分で帰ってきました

4機が揃って、
2機が後を追って白煙を吹いての帰投

南から進入して滑走路上で右旋回
相変わらず派手なお帰りで・・・・

お疲れさまでした


本拠地には午後3時過ぎに帰るのかな?

いま飛んでいきました

防衛大学校のイベントに向けて、6機のブルーインパルスが離陸

北に向かっての離陸

始めに4機が菱形配列で揃って離陸

追っ掛け1機がまぁ普通に離陸

最後の1機はいつも派手で、
見えた時には東にすっ飛んでました

こりゃ、滑走路から浮いた直後に東に急旋回したな

まったく・・・・

きっと、小一時間後ぐらいに帰ってくるでしょう

2010年11月20日 (土)

狭山?入間?ブルーインパルス飛来

狭山と入間、時に所沢は、大変にややこしい地名だ

狭山の中心駅は「狭山市駅」というのだが、改名前は「入間川駅」だった
中心商店街の名称も、「入間川商店街」だ
狭山市には「入間小学校」があり「入間野小学校」があり、「入間中学校」があり「入間野中学校」がある
狭山市にある農協は「いるま野農協」だ
「狭山市入間地区センター」なんてものもある
「入間野神社」だってあるんだぜ
そして、「入間基地」の殆どは、狭山市にある

入間市には「狭山小学校」がある
「狭山茶」の主産地も、まぁだいたいが入間市にある

所沢市には、「狭山スキー場」があり、トトロの森で有名な「狭山丘陵」があり、「狭山湖」がある



どんだけ・・・・

わざわざこのややこしさを取り上げた朝日新聞は、
このややこしさにまんまと引っ掛かって、
入間小学校の写真に「入間市にある狭山小学校」とキャプションを打ってしまった
 

やっちまったなぁ~

多くの狭山市民、入間市民の失笑が目に浮かぶようだ



あまりに気の毒で、おこがましくも指摘させて頂いた
そうしたら、わざわざご丁寧に礼状を頂き、
訂正文まで掲載されてしまった

却って可哀想なことをしてしまった気分




ところで・・・・

その殆どが我が狭山市にある入間基地の航空祭は、11月3日に既に終わっている

が、ついさっき、11月20日16:00頃、ブルーインパルスが6機揃って、
また入間基地にやってきた

これは、明日の防衛大学校開校記念祭で飛ぶためだ


ブルーインパルスの公式HP
で、簡単なスケジュールが公開されている
私程度の興味の範囲であれば、このぐらいの情報で十分だ

相変わらず、目立ちたがり屋の派手な登場
南から
揃ってやってきた6機は、基地上空で右に急旋回した後、
再度南から、6機連続で着陸していった

このように、地元民は、年に数度、
入間基地の航空祭以外に、ブルーインパルスを見ることができる

今日の他にも、9月には千葉国体の開会式の時にやってきた
4月の熊谷基地の記念行事の時も来たかな?

今年は今回で最後かもしれない

今日のように、肩の力の抜けた、軽やかな飛行は見ていて爽やかでよい
まぁこのぐらい見せて貰わないとですね・・・・

C-1輸送機のやかましさに耐えてますから

近々、我が住まいの防音サッシの交換工事が始まる
どの程度、性能が上がるのか楽しみだ



エボルタ君の大津宿到着とほぼ同時刻になってしまい、
写真を撮る余裕はなかった

2010年11月19日 (金)

鈴木祥子の「危ない橋」

Winkは鈴木早智子と相田翔子
二人を混ぜて鈴木祥子のできあがりっ

というわけではない

字もちょっとだけ違うし

でもこの方、そのWinkにも、相田翔子にも楽曲提供しているからややこしい
それ以外にも、実に多くの人に詞や曲を提供している実力者だ
小泉今日子の「優しい雨」なんて、聴き覚えがあるかもしれない


が、



そう、いつもの「が、」である

私は、この人の「危ない橋」という歌が凄いと思っている
1990年発売の「風の扉」に収録されている一曲だ

作曲は本人だが、作詞は川村真澄だ
川村真澄も有名な作詞家で
あの、渡辺美里の「My Revolution」を書いた人といえば、「あぁ」ってなるだろう

編曲は実にシンプルで、前奏なしでいきなり歌が始まる

曲長も2分15秒足らずと実に短い
伴奏は編曲者である佐橋佳幸のアコースティックギターだけ
余談だが、この人は、あの松たか子の旦那である


と、笑ってしまう程の面々だが、この曲はあくまで無名だ (と思う)

けど、いいんだなぁ
何がいいって、この曲は詞がいい
それにぴったりの曲調と歌い方がいい

鈴木祥子の声はかなりレンジが広いのだが、
中でも、この曲は低くてハスキーな部分の魅力で聴かせるのだ

詞の内容がダークなので、代表曲にならないのはわかるけど、
こういう歌を持っているって、それだけで凄い
こういうダークな歌を唄える人って、なかなかいないものだ


ひまわりの種を
小さな兄弟が 拾い集め
川原にしゃがんだ二人の前を
黒い目が 通り過ぎる

信じるのをやめたら
本当のことを 言い出す人
レモンの皮から 剥がれた蝋が
指先で キラキラ光る

ぬるま湯のよな 毎日から
抜け出す時を 見計らうのに
どうして あなたは笑うの

さあ 重い腰あげて
買い物袋を 川に捨てて
岸辺の灯りが ともらぬうちに
危ない橋 渡りましょう
わたしの手を 離さないで

(川村真澄 1990年)


全体の中で、一節目が言わんとしていることも難解だが、

各節のつながりも難解だ
一体何を言いたいのか、決して明快ではないのだが、
いろんなことを連想させる、実に深淵な歌詞だと思う

2節目なんて、げんなりするもんなぁ

こうなってからのあなたの言葉なんて、
いくらキラキラしていても、何の意味もない

だなんて・・・・

(;ω;)

P1030088
鈴木祥子3rdアルバム「風の扉」1990年 EPIC/SONY

鈴木祥子の歌には、いろいろ考えている女の目に映る、
何も考えていない、お目出度い男が頻繁に出てくる


ぬるま湯のような毎日から抜け出したかったのだとすれば
それを察してあげられなかったのは痛恨の極みだ

ゴメンね、愛してる

それしか言えない力量の無さに、胸が痛む

2010年11月18日 (木)

ワインの魔力

ボジョレヌーボー解禁である

が、数年前から飲んでいない
だって、高い割にたいして美味しくないんだもん

ま、誤解を避ける表現を使うならば、あの生ぬるい味が好みでない、ということだ

新酒に興味さえなければ、日本酒一升や非ヌーボーワインを2本飲んだほうがお得ではありませんか?

でも、ワインという酒は、赤でも白でも、実に美味い酒だと思う
もちろん、ヌーボー以外の普通の奴ですね

そして、
 一緒に食べる食べ物によって、こうも激変する酒もないとは、
よく言われることだ

かといって、家で赤ワイン飲みながら小洒落たチーズを食って
ゴタク並べて「おいしいね~」なんて
気取ってるようなのは虫酸が走るほど嫌いだ

死んでしまえぇぇぇっ!


・・・・すみません



だから、最近まで、ワインと食事の相性について、そんなに感じたことはなかった

まぁ、白ワインで肉食ったら生臭いなぁ、とか、
赤ワインで魚食ったら味わかんないなぁ、とか、
その程度だったのだ


去年までは。


去年の6月末、既に病気の気配が色濃い母の想い出づくりに、北海道に行った
泊まった札幌グランドホテルのメーンダイニング、NODE43°で、フランス料理を味わった

ソムリエは、感じのよい若い女性だった

そのソムリエ嬢が、二皿目に饗された北海道産の野菜のプレートに合わせてくれた
白ワイン


これに、参ってしまった



生か、せいぜい茹でた程度の色とりどりの野菜には、控えめの味のソースが控えめに掛っていた
このプレート、それだけで食べても、実に美味かった
ところが、ソムリエ嬢の合わせてくれた白ワインを口に含めば、
その数々の個性的な野菜を、まぁものの見事に際立たせるのだ


それは、野菜がより美味くなった、とか、ワインが美味く飲めた、とかではなく、

野菜とワインが一体となって、ぜんぜん違う別次元の味に昇華した、という感触だった

この時、生まれて初めて、ワインと料理の相性というものを知った

思わず、ソムリエ嬢に、わーっ凄ぇ!って言ってしまった
あはは~って、もう笑うしかないような衝撃だった


白ワイン自体は相当な透明感のある大人しい味わいだったように思う
野菜は野菜だけで充分美味かったし、
ワインや酒を飲まない人にも美味くなければ意味がない

が、あの白ワインと一緒に味わうと、本当に素晴らしかった
あんまり素晴しいので、後日、礼状を書いて送ったほどだ

その後、肉料理と一緒に赤ワインも飲んだし、それだって良いコンビネーションだったと思うが、
そろそろ酔っていたのと、この野菜と白ワインが凄すぎて、
あんまり印象に残っていない


この白ワイン、銘柄も何もかも覚えていない
テイスティングなどという、ただの酒好き酒音痴にとって意味のないこともしない
ワインのプロに完全におんぶにだっこである
それだけに、このような経験を与えてくれると、本当に感謝の気持ちで一杯になる


返礼の便箋には、とても几帳面で綺麗な字が丁寧に並んでいた
ワインの味を確かめる時も、彼女の頭の中はあんなふうに整然としているのかも
そんなことを想像させる、奥深い字面だった

札幌グランドホテルのNODE43°のホームページに、彼女の存在は何一つ書かれていない
が、あそこにはいいソムリエ嬢がいる



ということで、ボジョレヌーボーなんて糞喰らえだが、非ヌーボーは好き

P1030087
イメージです。2003年のサン・ロマン

一緒にワイン飲みたいな
一緒に飲めば、きっと、最高においしいだろう・・・・

2010年11月17日 (水)

エボルタ君の歩く宿

日曜日、予定どおり、エボルタ君が関宿に到着した

かなり長い時間・・・・一時間ぐらいかな?
あの街並みを歩く緑色のエボルタ君とスタッフご一行が、
USTREAMで生中継された

坂の上からエボルタ君を待ち受けるアングルが素晴しかったな

連なる軒先に囲まれるようにして、
土道のように美装化された東海道の端っこを、車を避けてゆっくりゆっくり近づいてくる
遠目からは、牽引しているシスターズしか見えないのだけれど

美しい街並みを取材するのとは異なるカメラマンの
視点で、
あれだけ長い時間、
関宿の街並みを見る機会はそうはないだろう
カメラマンに、街並みに対する先入観が無い様子が素直な絵面に表れていて
とてもすがすがしく見ることが出来た


宿場時代。入った宿のツシ二階に胡座をかき、街道を見下ろして一服した旅人は、
きっと、あれと殆ど同じ光景を眺めていたんだろう

旅人や、大八車に乗った荷物や、それ引く馬や牛が、坂を上ってくる

旅人は、編み笠の下から、街並みを少し見上げるようにして、今日の宿を品定めしたのだろうか?
うかうかしていると、宿や飯屋、飲み屋の客引き婆に袖を引っぱられたり
綺麗なお姉さんに
媚を売られ、おどおどしている様子を面白がってたりして・・・・

所々で声を掛けられるまま、店先の床几に腰掛け、
ばあちゃんの茶飲み話の相手をするシスターズの風情は、
そんな昔の光景とさして変わらないだろう


一行は、揃いの白いウインドブレーカーを着ている
飾り気のない黒い鞄を袈裟懸けにして、チャレンジに必要な荷物を背負って
下半身はパンツルックで、足下はスニーカーという、まこと現代の服装である

イベントで東海道を歩くからといって、変に時代じみた衣装を着けていないところが偉い
それが却って、歴史的というか、自然なのだ
広重の五十三次の版画に描かれている旅人は、時代衣装を身につけているわけではなく
あれが、その当時の旅行者の普通の服装なのだから

だからこそ、見る者は、自由な思いで古い道の歴史や景観を冷静に眺めていられるのだろうし、
各地の、祭りかsign02
と突っ込みたくなるほどの歓迎ぶりを見ても、
ただの客寄せイベントではない、自然な印象を抱くことができるのだと思う


もちろん、歓迎する側は、思いもよらず降って湧いたイベントに、ここが先途と懸命なんだろうけれど、
一行の服装や言動に、ゲスト意識が殆どなく、一方的に歓迎されている風情がいいのだ


関宿を後にした一行が辿った、峠の手前のその名も坂下宿、
峠を越えた先の猪ノ鼻(間の宿)、土山宿など、
私はその存在すら知らなかったが、いずれも見応えがあった

特に、土山宿は関宿と同じく、峠を控えた大宿場
しかし、地理的条件で、観光に不向きだったのだろう
関と遜色無さそうな規模のようだが、実にひっそりと、自然な佇まいが残っている
その自然さは、多くの観光地が失いつつあるものだ

鈴鹿峠を挟んで、あんなに綺麗な宿場街があるとは知らなかった
 
今度、是非訪れてみよう

2010年11月16日 (火)

山陽本線(在来線)の旅(つづき-2)

9月半ばの夜半の喫茶店

椅子の後ろに鞄を置いたことや、黄色っぽい店内の雰囲気はぼんやりと覚えているが
それ以外のことは全く覚えていない

本を読んでいたかもしれない
日記を紐解くと、この旅は泉光院旅日記に影響されたことによると、熱っぽく書かれている
読んでいたとすれば、間違いなく泉光院旅日記だ

あるいは、ウトウトしていたのかもしれない

730kmあまり、15時間近く続いた興奮状態の乗車に、多少の疲れはあったはずだ

いずれにしても、徹夜独特の、根拠のない自由な気分に昂ぶっていたことだろう

0524発の列車に乗るため、きっと5時15分頃には店を出ている
この時期のその時間は、岡山の空は明るくなり始めている頃だ

岡山始発の列車は糸崎行き
時刻表には、始発で80分の長椅子は酷だったとメモしてある
糸崎で岩国行きに乗り継いで暫く乗車し、
白市からは、下関まで、なんと5時間も走り続けるロングラン列車に乗り継いだ

列車便号は1529Mとある
岡山始発の列車は
329Mだった
この「列車番号」というものは、どういう法則で付いているのかよくわからない
JRの場合、末尾にMが付いていれば電車、Dが付いていれば気動車、何も付いていなければ客車
それしかわからない
せめて、長椅子かボックス席かがわかればいいのに

この日は天気に恵まれた
糸崎行きの長椅子から見た、だんだんと明けてゆく空が美しかった


朝が明け切ると、右手の車窓に色づいた稲田が広がり

畦の雑草が鮮やかなコントラストを与えていた
広島以西の彼岸花はひときわ鮮やかで
あたかも、黄金と翠と緋の絨毯のようだった

左手の車窓には青々とした瀬戸内海が広がり、
水面の煌めきは眩しく車内を照らし上げていた

S
山陽本線・瀬戸内の朝(1997年9月20日撮影)FUJI-RDP2

新倉敷駅では傷んで倒れそうな商家が見え、
笠岡駅近傍からは、かなり見応えのある古い街並みを見つけた
三原から先、八本松までは高原の
爽やかさが気持ちよかった
ちょうどこの年の9月25日は、山陽本線の広島から徳山の間が、開通100周年だったようで
告知のポスターか垂れ幕でも飾られていたかもしれない
島田-光駅の間に、山陽本線の起点から400kmのキロポストを見つけ
福川-戸田間では彼岸花の大群落に目を奪われた


時折襲ってくる軽い微睡みに瞼を任せているときもあり
気付かぬうちに、幾つもの駅を通り過ぎていた

見知らぬ街の見知らぬ駅を、一つ一つ後にしていく
山陽路の駅のホームは、何処も明るい日差しでいっぱいだった

洒落た写真を撮れたらな・・・・
きっともっと伝えられることもあるだろうに・・・・

西田敏行みたい
♪もしもピアノが弾けたなら~♪って

写真が下手なんですよ


12時40分過ぎ、1529M列車は下関に到着した

接続列車で関門海峡をくぐり抜け、小倉で下車したところで
東海道本線-山陽本線の在来線の旅はひとまず終わった

ホームに降り立った時、全身のじ~んと痺れるような
徹夜明けの感覚と共に、
得も言われぬ充実感と達成感で満たされた、大らかな気分を憶えている


この旅は、その後、
以前のエントリーで取り上げた、久大本線客車列車の旅に続き、
帰りもまた、在来線の普通列車を乗り継ぎ、東京まで戻っている


乗客が何を思っていても、どこまでも、優しく運んでくれる
ただひたすらに、ダイヤの定めたとおりに
それは、
乗客を運ぶというより、単に走ることが課せられた役務であるかの如く
否、事実、乗客が一人も乗っていなくとも、目的地まで走って行くのだから
列車やバスは、その役務への忠実さ、ひたむきさが魅力の一つなんだと思う

2010年11月14日 (日)

東海道関宿

和歌山へのルートには、東名阪道の亀山JCTから名阪国道を利用している
亀山JCTは、数年に渡る改良工事によってずいぶんと形が変わったが、
変わらないのは、
東海道53次の内、47次の関宿至近であるということだ

当たり前か


天気に恵まれ、気が向けば、ここに立ち寄る

関宿は、東海道中で唯一、伝建地区指定されている宿場町だ

東海道は高速道路や新幹線が通り、沿線は単なる通過点という様相になりつつある
が、それらが通されるほど、今でも重要な都市が連なるベルト地帯であるのは事実だ
重要な都市であり続けたことによって、
それら多くの宿場町は時代時代の要請に応じてその機能や景観を変貌させ、
現代まで生き続けてきたわけである

だから、古い街並みなんてとっくの昔になくなっているのだ

しかし、東海道本線も名神高速道路も東海道新幹線も
短絡路を取るために、名古屋から関ヶ原を抜け、米原を経由したせいで
旧来の鈴鹿越えの東海道は、
現代のメインルートから完全に切り離され
亀山にも、関にも、景観を変貌させなければ対応できないほどの
新時代の要請はほぼ無く、
結果として古い街並みが残ったわけだ
日本各地の古い街並みは、全てそうした理由で残っている

関宿は鈴鹿峠越えを控えた宿だっただけに、街の規模がひときわ大きい

差し渡し2km程は連なる巨大な宿場である

大きな川や峠の前後では、人も荷物も滞留するから、
ただ一宿一飯を供する宿だけでは不十分で、
倉庫業、運輸業、金融業、人材派遣業、治安維持組織から宗教施設まで、ありとあらゆる機能が必要となる
勢い、建物も街の規模も雪だるま式に大きくなるのだ

それだけに、裕福な家柄も多かったのだろう
街並みが残る社会的な背景としては、街が時代に取り残されたということに他ならないが、
一軒一軒の建物が良好に残っているのは、少なくとも戦後暫くは個々の家庭が豊かだったことによる

S03 
S02_2
鈴鹿山脈を望む(2005年撮影)

鈴鹿峠に向かって緩やかに上り続ける道がまた美しい
低い軒先のその先には、鈴鹿の山々を抱いている

一軒一軒の建物の軒の高さと、背景の山並みとの馴染み加減
街並みの中央あたりには、寺が道をほんの少し曲げ、
長々と続き凡庸になりつつある景観にアクセントを与えている

なんという美的センスの高さ・・・・
凄すぎて憎いほどだ

街並みを貫く東海道はほぼ真西に伸びるので、夕暮れ時には、こんな美観をプレゼントしてくれる

S01

1997年撮影

以前のエントリーで取り上げた静岡県の横須賀もいい
ああいうほのぼのとした街並みも素晴しい
しかし、関宿の存在感は別格だ
でも、みんながみんな関のようである必要はないよ、ということだ


今日、エボルタ君がこの関宿に辿り着く
この、美術品のような街並みを、エボルタ君とあの一行が歩く光景はどんなものだろう

とても楽しみだ

2010年11月13日 (土)

東海道本線(在来線)の旅(つづき)

京都駅と言えども、23時のホームは深夜の様相だった

地上に配線された京都駅の構内は広い

その広い構内を包む夜の闇に、幾本ものレールが、
信号や水銀灯を鈍く反射する
ホームの屋根の間からは、出来たばかりの新しい駅舎がそびえていた

ビルの設備から発する音、列車の走行音、遠く道路から響く車の音、構内放送・・・・
人こそ少ないものの、夜の京都駅は機械的な騒音に支配されていた
が、同じトーンが続くあまり、それは一種の夜の静寂であった

ホームの蛍光灯の明かりはどことなく淋しく、静寂感を際立たせていた

その中に、電気機関車を先頭にした「
ムーンライト高知・松山」が乗客を待っていた

車輌はすべてグリーン車
車内は2-1配列で、座席は新幹線のグリーン席と同等で実に広々としていた
等級は快速、18きっぷでも、岡山までのグリーン料金を追加するだけで乗車できた

当時運行されていた、JRの良心である

車掌さんは乗客一人一人の行き先を確認していく
九州を目指す私は、岡山での下車を申告すると、
では、岡山到着前にお知らせにまいります、と申し出てくれた

時刻表によると、岡山には0329着となっている
夜行列車の車掌ゆえ、夜通しの勤務は当然ではある
とはいえ、嬉しい一言だった

2325分、夜の京都に甲高いホイッスルを響かせて、6両の短い列車は夜の帳に滑り出した
EF65という電気機関車は、冷却音を低く響かせながら、我々を力強く牽引する

見慣れた新大阪駅をあとにしていく

大阪、三ノ宮、神戸が過ぎていく
着発の度に、機関車と客車を繋ぐ連結器が金属音を立て、軽くも鋭い衝撃が走る
姫路に着く頃には夜も1時半を過ぎ、人影も皆無だった

東海道本線から、ひっそりとした山陽本線を
滑るように駆け抜けること4時間余
列車は徐々にスピードを下げ、岡山到着が近いことを暗に知らせていた
果たして、車掌はちゃんと知らせに来てくれた
興奮状態の私は一睡もすることなく、通り過ぎる車窓を眺め続けていたが、
車掌のご厚誼に丁寧にお礼をし、寝静まる周りの乗客を起こさないように気を付けながら
3ヶ月半振りの岡山駅に降り立った

駅前の終夜営業の喫茶店で、始発列車までのひとときを潰した
9月の深夜の岡山は、暑かったのだろうか?
ビルの2階の店を見上げたことは覚えているが、
気候のことはよく覚えていない

始発は岡山駅0524発、およそ2時間の小休止だった


つづく

2010年11月11日 (木)

東海道本線(在来線)の旅

手元に、1997年9月のポケット時刻表が残っている

今では不惑のオッサンも、当時は未だ27歳
若かったのよ
当時は大学院2年生だった

ほら、大学に入るのが遅かったから・・・・(ノд・。)

当時は路面電車の研究をしていた
この年は岡山で大きなイベントがあったのだが、
熊本でも新時代の車輌がデビューする、大きな節目だった

その熊本でイベントを組むという、岡山で知り合った方々にお誘いを受け、
熊本目掛けて旅立ったのが、1997年の9月だったというわけだ

研究取材という目的はあったけれど、
それとまた別に、湧き上がる新しい体験への渇望があったわけで

それは、今まで新幹線にお世話になりっきりで、
併走在来線のことなど気にも留めていなかった人間に芽生えた懐古趣味

と、青春18きっぷの存在である
あれで九州まで行ければ安い

東京から九州までは、在来線の快速以下では当日中に到着できない
が、5月末に訪問したばかりの岡山の駅前に少々の土地勘が残っていたので
岡山に遅く着くダイヤを拾い出し、東京駅1245発の普通熱海行きに乗った

横浜で崎陽軒の焼売弁当を買うために下車し、1358発に再度乗車
さすがに横浜あたりの車内で弁当を食べようとは思わなかったが
少し走れば食べられるだろうと高をくくっていた

ところが、一向に弁当を食べられるような雰囲気になってくれない
沿線にそれなりの都市が連なっているせいで、車内は殆ど山手線と変わらない雰囲気
いつまでも、立ち乗り客が後を絶たない混雑ぶりなのだ

どうも、東海道線の普通列車の車内は、弁当を食べるような雰囲気ではないようだ
それに、弁当って、結構匂いするじゃないですか
気が引けるわけですよ

そんなわけで、焼売弁当を食べ始めたのは、小田原を過ぎたあたりだっただろうか
それでも、車端の
ボックス席で隠れるように食べたことを思い出すな

その後、普通列車を鴨宮、沼津、浜松、豊橋で乗り継いだ
意外なことに、天下の東海道線といえども、2時間ほどの走行時間がある列車でも、長椅子の車輌が多かった
長椅子で2時間の乗車は正直疲れるから、ボックス席の車輌を選びながら乗車した
豊橋からは名古屋行きの快速に、名古屋からは米原行きの快速に乗り継ぐ
米原から新快速に乗ると、京都は2309着だった


つづく

2010年11月10日 (水)

山口由子

山口由子といえば、ちょっと名の知れているシンガーソングライターだ

名が知れたのは、「believe」という曲

1999年の月9ドラマの主題歌に使われ、相当に売れたようだ

が、売れたからCDを買う、といった順番で知った人をネタにはしない

1994年のデビューアルバムを買っていたのである

もちろん、この人が誰なのかも知らずに、である

聴いてみると、声は若々しくて、サウンドもウキウキするほどキラキラと美しいのに、
曲調や歌詞
に面食らった

上手く表現できないのだが・・・・
曲調は、昔のアイドルの曲という感じでもなく、もちろん演歌とも違う

25歳~35歳前後のオンナの持つ、大人になりきっていない可愛いらしさが良く出ている
とでも表現すれば良くきこえるかもしれないけど・・・・

歌詞に織り込まれている情景は
、出戻り娘の意地っ張りな心境であるとか、
親から届いた手紙に涙するとか、恋をつかみ取ろうとする女の深層心理とか、
25歳~35歳前後のオンナの持つ、なんとも言えない意地っ張りな雰囲気が良く出ている
と言えば良くきこえるかもしれないけど・・・・

要するに、なんだか古くさいのだ
う~ん、どうなんでしょう?イマイチかなぁと、正直思った

ところがである
この手のある意味時代錯誤的なものを編み出す人からは、
それらの歯車が上手く噛み合うと、グンバツにいいものが生まれるものらしい


「Rain
Rain Rain」(本当の表記はRainの3乗)
作詞・作曲とも山口由子さん本人

これが、いい


夜の街の俯瞰を想起させるオープニングのサウンドに乗せ
恋の終わりの哀しい情景に始まり、
思い出の涙に暮れ、
そんな自分を救う女友達の有り難さに感激し、
新しい明日への希望を抱くまで
僅か5分足らずの一曲によくもまぁここまで無理なくシーンを織り込めたものだと感心する

曲の速さも、武部聡志の編曲も素晴しい

この曲、シングルカットもされていないから、殆ど知られていないだろう
でも、アラサー女性の弱さや、強さや、可愛らしさや、悲しさ、
そしてわがままさまでもが、美しい器に、綺麗にギュッと凝縮されている

ラジオなんかで流れてきたら、ちょっと感激してしまいそうな、そんな素敵な一曲なのだ

まるで、草むらの陰で人目を避けるかのように埋もれ隠れているこんな一曲を知っていると、
なんだかちょっと嬉しくて、心が豊かな気分になれる

P1030085
山口由子「しあわせのみつけかた」PCCA-00638/1994年

 
この方、元々は漫画雑誌が企画したアイドルグループの一人だったそうだ
 才能が日の目を見る機会に巡り会えるって、恵まれている

2010年11月 9日 (火)

紀勢東線とレトロ

「ドリームとよた」は、東名高速を早めに下り、ゆっくりとした足取りで、割と長く一般道を走る
最初の停留所では、まだ真っ暗だというのに数人の乗客が降りていった
愛知環状鉄道のなんとかという駅だった


こうして、初めての夜行長距離バスの夜は、車窓の魅力と旅への昂奮で、一睡もせぬうち明けていった

薄青く明けてゆく見知らぬまちの停留所に停まりつつ、
名古屋駅に到着する頃には、街は
朝の光でいっぱいだった

仕事に向かうスーツ姿の人の波に小さな罪悪感を感じながら、
建て替える前の古い駅舎の洗面室で顔を洗い、きしめんを食べた
本当は名古屋名物喫茶店のモーニングを、と思っていたのだが、探しきれなかった

紀伊半島の東半分、
名古屋から新宮とか紀伊勝浦までの区間は、
紀勢本線の東側ということで、紀勢東線と呼ばれている
未だ電化されていない、ディーゼル列車の活躍する区間である

名古屋駅の紀勢東線のホームに上がると、引退を数日後に控えた、
キハ82系という古いタイプのディーゼル特急がエンジン音を低く響かせていた
クリーム色の車体に紅色の帯という、国鉄時代の特急車両の標準デザインだった

S01

波打つボディ・・・・昔はこんな仕上がりが当たり前だった

粗製濫造ゆえか、ボディが派手に波打っている
行き先表示は、鉄板にペンキで書いたものを車体に取り付けるタイプ
こういうものを「サボ」という
号車表示も特急の標識も、禁煙車の表示も、全て「サボ」

乗り口にはステップがあって、沿線の駅の古さを想像させた

デッキを見上げると、天井には裸の蛍光灯と、丸いグローブ灯
メラミン化粧板とアルミ地金のコーナービートのコンビネーション

S04 S03 

古き佳きデッキ                外観と共に、レトロ感溢れる車内

車内の座席は、背もたれを前後に倒せば進行方向を向くだけの、実にシンプルなもの
丸パイプの網棚、飾り気も高級感もないロールスクリーン、妙に艶のある天井埋め込みのクーラー吹き出し口
顎を乗せられそうなほど、やけに高い窓台、
静かな車内を満たすエンジンの音・・・・

S05

顎が乗りそうなほど高い窓台

全てが、まさに昭和レトロだった

でも、古い車輌を懐かしむイベント列車ではない
これでも、本気で特急料金を取る、定期運行の特急列車だったのだ


まぁ、1992年といえば平成4年だから、昭和だったのはつい最近のこと
乗客も、別に何かを不満に思っているような顔をすることはなく、

南紀への旅を楽しもうとしている、にこやかな面立ちばかりだった

いい時代だったとしか言いようがない


名古屋を出発して暫く続く平坦なルートでは、
古いとはいえ、さすがは特急車両
そこそこのパフォーマンスを発揮したし、剛性の高い乗り心地も素晴しかった
しかし、伊勢への支線と分岐する多気駅から先の山岳路では、
この車輌は非力なようだ
カーブも多くスピードが一向に出ない
併走する国道42号を走る車に、いいように追い越された
大型のトラックや軽自動車にまで、あっけなく追い越された

でも、その分車窓はゆっくりと満喫することができた


右へ左へとたおやかなカーブを描くレールは、冬の田圃や畑に書いた気まぐれな線画のようだった

行く手の先には、蒼々とした深い山並みがそびえていた
小振りな鉄橋を渡れば、その眼下にはどこまでも澄んで美しい
川が見下ろせた
山間の小さな駅には、列車を待つ人がいたりいなかったりした
通過した九鬼駅は、以前、夢に出てきた光景そのものだった

昭和33年にやっと開通したという、有数の難所を越える峠の長いトンネルにエンジン音を轟かせ、
やっとの思いで抜けたその向こうには、熊野灘が青く悠大に輝いていた

電線や架線のない、単線のローカル本線の眺めは広々としていた


終点に到着した車輌は、古いながらも頼もしげに見えたものだ

S02
紀伊勝浦駅に到着したキハ82系「南紀」

この僅か10日後、この車輌は引退した


日本で最後まで、この車輌を使用していた特急「南紀」も、
今は、
名古屋駅の写真で窓の外に写っていたサイバーな車輌で運行されている
車内は絨毯敷きで、座席部分は、眺めがよいように通路から一段高くなっている
窓台も、顎なんか乗せられるような高さではなくなり、下手をすれば膝でガラスを触れるほど低くなった
パワーは格段に向上し、国道を走る車をゴボウ抜きするようになった
所要時間は30分以上短縮された


沿線の車窓にも大きな変化はなく、相変わらず美しい

快適な車輌であり、素晴しい路線である

でも、車輌の古さやスピードの遅さなど気にすることなく、楽しそうだった乗客の顔が懐かしい
 
当たり前に、ああいう表情ができる心根は、いつまでも残ってほしいものだ

2010年11月 8日 (月)

夜行バスとその車窓

以前のエントリに書いたように、大学進学には苦労した

浪人中は、和歌山の家や大阪の親戚への旅行もお預けだった
家族が留守の間、一人で受験勉強である
勉強の仕方さえ知らない人間が、そんなことしても知れている
でも、自粛したほうが居心地が良かった
だから、浪人していた3年間、どこにも行かなかった
ハタチ前後の3年間、こんな不毛な過ごし方をしたことを、
今になって後悔してももう遅い

もう、遅いんや・・・・

高田馬場で過ごした2年に決別しようと、3年目は八王子で学んだ
それまで、模試でも手応えを全く感じることはなく、いつも結果はE判定だった
なのに、その年度の最初の模試で、いきなり全てA判定になった
早い時期にこんな結果が出ると、それはそれで不安になるものだ
その不安に押し潰されそうになりながら、秋の空を見上げていたのだ

そんな人間でも、なんとか大学に合格し、晴れて謹慎の解けた春休み
まずやったことは、和歌山への旅行だった

もちろん、春先だから海には入れない
道程を楽しみに行ったのだ

それまでは、高速道路をひた走ったり、晴海埠頭から勝浦までフェリーに乗船したり、
新幹線で大阪廻りというものだった
いずれも家族旅行で、勝手気ままな旅ではなかったから
一人で、好きなように旅してみたいと思っていた

そして、名古屋廻りのルートを辿ってみようと思っていた

時刻表というものを初めて買って、名古屋廻りで和歌山の家までたどり着くダイヤを調べると、
名古屋を8時頃に出発する特急列車に乗らなければならないことがわかった
東京都民にとって、名古屋に8時は、新幹線ではムリである

この時、時刻表で見つけたのが、夜行バスである

JRの「ドリームとよた」というバスが、東京駅八重洲口から、たしか22時半頃に出ていた
名古屋に朝の6時半頃到着。駅で朝食を摂るのにちょうどいい接続時間だった
なんと言っても、その当時から、料金が6000円とか7000円程度と安く、
当時発売されていた「南近畿ワイド周遊券」が利用できるというジャストフィットさ

即決である

バスは2階建てで、座席はその2階だった
夜行専用バスらしく、両窓際と、真ん中に座席を持つ、3列シートという構成だった
身長176cm、体重82kgのデブには決して広いとは言えなかったが、
その独立性は心地よかった

3月2日の寒い夜、バスは静かに走り出した
インフォメーションのVTRが終わると、早くも車内の照明は最小限に絞られ、
車内は夜行バスの持つ独特の世界に包み込まれた

「ドリームとよた」は東名高速を走る

時間は夜の11時に迫っているから、車窓は既に夜の帳である
大田区の住宅密集地から川崎、神奈川を抜ける
幾つかのインターチェンジはどれも水銀の白い灯りに照らされ、植込みの芝生が美しい
高架橋の継ぎ目を乗り越す軽い衝撃音が、イヤホンから流れる音楽サービスに混じる

日大病院のネオン看板が見えるころ
街の灯りはだんだん乏しくなっていく
2階建てバスの2階からは、遮音壁の向こうが見渡せて
そこには、家々の明かりや街灯が、地形に沿って点々と光っている
夜のバスから見える街の灯りは、何故か胸に染み込むように切なかった

トンネルのオレンジ色の照明が、規則正しく流れていく
追い越していくトラックのエンジン音
追い越したトラックが左ウインカーを出すと、バスはヘッドライトを切る
トラックはそれを合図に、
バスの直前に入り、ハザードランプを数度ともして、ゆっくりと遠ざかっていく
静岡ICでの乗務員の交代
三ヶ日ICでの小休止
一つ一つの光景が、どれもドラマチックで、どことなく切なかった


この感覚はなんだろう?
楽しい旅行に切なくなる要素など何もないはずなのに・・・・

見る側の心理などよそに、この心の琴線に響く風景だったということだろうか?


あの、
静かで、儚い、夜行バスの夜の車窓が好きだ



あの車窓と、あの感覚を味わいたくて、その後も、夜行バスは何度も利用した
「ドリームとよた」の他にも、「ドリームなごや」や、伊勢神宮までのバスも使った
最後に使ったのは、いつのことだっただろう?
自分で6輪ものタイヤを持つに至ると、なかなかバスを使うこともないものだ

暫く利用しないうちに、バスはどんどん便利になって、
今は新宿や八重洲まで行かなくても、近所から各地へ向かう夜行バスが運行されるようになった

またいつか、あの儚い車窓を見に行きたい

2010年11月 7日 (日)

あつた蓬莱軒本店陣屋

和歌山への行き帰りに、数度立ち寄って、名物のひつまぶしを食べたことがある
ここでひつまぶしを食べて、名阪国道を経由して阪和道を走れば、和歌山の家に着くのは夕方の7時頃
中央道を走れば、埼玉の家に着くのは夜の11時過ぎだ

行くのは決まってお盆休みだから、いつも大変な混みようだった
1時間半とか2時間とか待ったのではないかな?
店先は小さな庭が設えてあって、小さいつくばいがあった
玄関にはちゃんと下駄箱があるが、そんなものでは収まりきれない数の客である
土間には脱いだ靴がぎっしりと敷き詰められているような状況だった
名古屋のあの辺りは地名からしても暑(熱)そうだが、事実暑い
大阪と同様、カラカラに渇く砂地の土地柄に真夏の太陽が降り注ぐ
外で待っている間はなかなかの根性が必要だ
建物に入ってからでも、廊下に座って待つような混みようである

座敷で頂く鰻のひつまぶしは、確かに美味い
う巻きやうざく、肝焼きも頂いたことがあるが、混んでいるのにちゃんと美味しいものを出してくれた
数年に一度の旅行で立ち寄るなら、あの値段も受け入れられる

何故、この本店が「陣屋」という屋号を持っているのか、気になってはいたが、そのままでいた
それが、今日わかった

東海道宮宿の本陣跡なのだそうだ

今日、
その「あつた蓬莱軒本店陣屋」の裏をゴール地点に、エボルタ君が到着した
凄い。名古屋に着いてしまった
見始めた頃は神奈川の藤沢辺りだったのに

確か、今年、女将さんが亡くなり、新聞にも訃報が出ていた
「ひつまぶし」を商標登録せず、名古屋の名物にした立て役者だったとか
ご存命なら、きっとエボルタ君の到着を出迎えたことだろう
今日、橙色の着物で出迎えていたのは、新しい女将さんだろうか?


多くの客と相席になる飲食店で写真を撮るのは嫌いなので
この記事に見合う写真はない
たまには、写真のない記事があってもいいか

って、さっきの椿屋の記事も写真がなかったではないか

まぁ、いいでしょう


あつた蓬莱軒本店陣屋

椿屋(喫茶店)

納骨の後、夕食まで少々時間があったので、
喫茶店にでも入ろうということになった

新宿東口のカフェ・ラ・ミルという店は、ホットチョコレートが母の気に入りだった店だが、
生憎混んでいたので、別の店を探してふらふら
礼服と黒ネクタイの数人が、新宿の繁華街でウロウロしていた

やがて、椿屋という喫茶店が目に入り、ビルの二階のその店に入った

これが、高い
一番安いコーヒーでも880円である
が、カップ&ソーサーとシュガーポットはウェッジウッドの上品なもので、
珈琲も紅茶もココアもカフェラテも、みなそれなりに美味かった

店内は、大正というか、昭和初期がテーマになっているのか、
モザイクタイルが壁やドーム天井にあしらわれている
折り上げドームの下地の精度が悪いのか、入隅のタイルが対称に割れていないのが惜しい
日本の職人って、ああいうところに情熱を注ぐ人種なんだけど、
まぁ所詮はテナントビルの店子だから、こんなものだろう
テーブルは杉かスプルースのハギ板だが、厚みがあって、質感は悪くない

ふらっと寄るには高いけど、相手とシチュエーションを選べば、いい店だろう


椿屋珈琲店新宿茶寮
http://www.tsubakiya-coffee.com/

新宿の寺町

新宿の北側は、今や日本に於ける韓国文化発信の中心地であるが、
その東側の高台は、江戸時代から続く寺町である

手元にある江戸切り絵図にも、多くの寺が記載されている

そこに、母方の墓とその菩提寺がある
昨日は、その墓に母の分骨を納骨しに行った

生前、母はこの墓に入るのを拒んでいた
母は祖母のことをあまり好きではなかったのだ
しかし、まぁ死んでしまえば何も言わないわけで・・・・
先週、徳島の本家の墓に納骨したが、
いささか遠いというので、こちらにも入れることにしたのだ

納骨の流れは徳島も江戸も大差ない
だが、墓の造りには大きな違いがある

江戸の墓は、石室が深くて広いのだが、
徳島の墓は、石室がそんなに深くも広くもないのだ
江戸の墓には、全ての骨を拾った、大きな骨壺を入れるが、
徳島の墓には、主要な骨だけを拾った、
小さな骨壺を入れる
残った骨は
廃棄してしまうのだ

風習って面白いものだ

寺の歴史は古いが、本堂は再建の鉄筋コンクリートでさしたる魅力はない
浄土真宗だから、実にさっぱりしたものである
が、この寺は座敷がいい
南に墓地を抱いた小さな庭を持っていて日当たりがいい
その立地の良さを素直に享受すべく、南は内法の高いガラス建具になっている
昭和的な、素直な感覚である
造作も、天然絞り丸太の床柱に桐の落し掛け、赤松の地板で構成された床の間など、
ちゃんと作っているが、天井板などは安く済ませてエアコンを埋め込むなど、
その適度なローコスト感覚が、無用な緊張を解いてくれる

この座敷に入り、
茶を注ぎ、供された茶菓子をつまみ、
開け放った背の高い木建から庭を眺めていると、心
からくつろぐことができるのだ

P1030081 P1030084
窓際の踏込みもいいセンスだ        この外観からはちょっと中を想像できまい

本堂には、教会のような長椅子が並んでいる
そこに座って、住職に倣い、お経「正信偈(しょうしんげ)」を唱える
徳島は真言宗、ここは浄土真宗
それぞれの細かいことはわからないが、
それぞれにおもしろさがあるものだ

近所にある有名な花園神社は、11月恒例の酉の市の宵宮で賑わっていた
今年の本祭は、7日(日)、19日(金)だ
今年は三の酉はない。大火事の心配はしなくても良さそうだ

酉の市といえば切り山椒
懐かしいデートの思い出だ

もっと、デートってしてみたかったな
もっとゆっくり、青春のひとときを噛み締めて生きたかった

2010年11月 5日 (金)

遊佐未森とその周辺

遊佐未森、初めはどう読むかさえわからなかった

ゆうさ・すえもり?

末じゃねぇし

ゆさみ・もり?

なんだかちょっと変わった感じの声だった
トロリとしているというか、まろやかというか
でも、ちょっとギスギスした声質になることもあって、
あまり安定した声には感じなかった

だが、その不安定さが少年的魅力を醸し出していて
浪人中のやさぐれた心に染み込んだのだ

初めて聴いた「HOPE」は、目を閉じると、深くて広い風景に引き込まれるようだった
儚く切ないエンディングは、秋の川の土手で聞き終えた心を掴んで離さなかった

少年が抱く純粋な夢のような世界?

憧れであるとか、夢であるとか、幻想であるとか、憧憬であるとか、
未来であるとか、淡い恋心であるとかそれらが気持ちよかった

聴いている側はそういう時代をすでに過去のものにしてしまっていて
そういったものを思い出させてくれるのが心地よかったのだ
自分自身の記憶との邂逅といってもいいのかもしれない

「山行きバス」「空色の帽子」は、そういう雰囲気が満ちている、いい歌だった

これだけ気に入っていた遊佐未森の歌も、魅力があったのはHOPEが最後だった
ピークは、3作目「ハルモニオデオン」(
1989年)だったのかな?
その後、後ろ髪を引かれるように数作買い続けたが、どれも殆ど聴かなかった
そればかりか、今聴いて「いいなぁ」と思う歌も、信じられないほど少ない

そう言えば、一度だけ行った日本青年館のライブでは、
ノリについていけず、ドン引きしていた自分がいたな・・・・
ごく一部を、ごく深く気に入っていたということなんだろう

かつて、知り合いだった女性が、遊佐未森の音大時代の同級生だった
「なんでアイツが売れるのか全然わかんない!」とぼやいていた
今ならわからないでもないが、当時は泣き言にしか聞こえなかった

その人が広島に引っ越した後、こちらの岡山出張とたまたま都合が合ったので、
倉敷で落ち合って向こうの友人と3人で遊んだ
気さくで、字と歌が大変に上手い人だったな

S01

2010年11月 4日 (木)

入間基地の航空祭

プロフィールにも書いてあるように、じ~きたは航空自衛隊入間基地の近傍に住んでいる

その入間基地では、毎年
11月3日に航空祭が開かれる
基地を無料開放して、航空機を地上展示したり、飛行展示するのだ
毎年、20万人ほどの来場者があるらしい

しかし、航空祭の日に基地に入場したことはない

入間基地近傍の茶畑の真ん中に住んでいるから、
飛んでいる飛行機だけなら、入場しなくても見られるのだ

基地の中は20万人の人出で、地上展示の航空機に近づくことすら困難らしい
わざわざ激混みの基地に行って、苦労して場所を取って、周りの観客に気を遣いながら、
茶畑で見るのと大して変わらない光景を見る酔狂さは持ち合わせていない

ビールケースに座って、のんびりと見上げていれば、飛行機は向こうから飛んできてくれる

ここに住み始めて10年になるが、この10年で、同じようなことを考える人が明らかに増えた
今年は、こんな感じだった

S2010_040 
S2010_039

路駐が激しくてパトカーまで出動する騒ぎである

YS-11とか、C-1とか、おおよそ派手な飛行をしそうにない機体が、
この日ばかりはと、ひらりひらりと華麗に舞い飛ぶのも楽しいが、
やはり、真打ちは小松基地所属のブルーインパルスだ

いやぁ、凄い
何回見ても凄いなぁ

S2010_016 S2010_045

S2010_053  S2010_038

こういうのを見ると、こんな素晴しい性能を持ったもので、
戦争なんてしちゃいけないと思う

人の命は言わずもがな。こんな美しいものを壊しあうなんて、勿体ないよ
富士の裾野の陸上自衛隊の演習も見たことがあるが、
あんな大砲の弾を人目掛けて撃ってはいけない
演習やイベントで用事が済む世の中を維持する努力を惜しんではいけない


ちょっと雲が出たけれど、概ね晴れでスモークはよく見えたし、
日差しもあったから、磨き上げた機体はキラキラと光り輝いて美しかった
まずまずの航空祭日和だったのではないかな?


写真は相変わらずド下手だけど


ただ、残念なことに、ブルーインパルスの飛行時間は北風になって、
見ているのとは反対側の北側への離陸になった
そのせいで、
離陸後に垂直上昇する一機を真下から見上げることはできなかった

でも、最後まで北風だったおかげで、演技終了後の帰投は南からだった

ゆっくりと降下し、着陸態勢に入るブルーインパルスは、
肉眼で操縦席の様子がわかるほど低空を飛ぶのだ
そして、乗組員が操縦席から手を振ってくれる
これが結構嬉しい

S2010_060

副操縦席で手を振る乗組員

航空祭自体は3時頃で終わり、3時過ぎから、各地から飛来していた航空機が帰っていく
その最後を飾るのも、ブルーインパルスだ
今年は、北に向かって4機揃って離陸したあと、ゆっくりと右旋回し、
滑走路東側にスモークでぐるりと大きく水平に輪を描いて滑走路上空に戻ってから、
北東に帰っていったその後を、残る2機が派手に離陸して追い掛けていった

この光景は4時過ぎで、殆どの人は見ていない

それから、展示される飛行機は昨日のうちに全て到着している

畑仕事をしながら、F-2(F-16)、RF-4E(F-4ファントム)、E-2Cなどの飛来を見た
F-2は西からやってきて、滑走路上空で派手に右旋回したが、さすがはアメリカ産の戦闘機、猛烈な音だった
RF-4Eもアメリカ産の戦闘機で、
高名な騒音機
おとなしく南から着陸態勢を取っていたが、かなり遠くから「ほよよ~」っと異様な音を轟かせてい

E-2Cは背中に巨大な円盤を背負い、尾翼に4枚の垂直尾翼を持っている飛び切りヘンテコな飛行機だ
早期警戒機というものらしい

ブルーインパルスも昨日のうちに入間に到着していて、一通り練習しているのだ
 
地元住民はこういうのを見られるのが良いんだな
普段はC-1輸送機とかのうるっさいだけのを我慢してるご褒美です

C-1はホントにうるさいんだからっ!

2010年11月 3日 (水)

音羽蒲郡

11年前、バイクで国道1号を走った時、
幾つか寄り道した、旧宿場町の一つが音羽だった

しかし、東海道に音羽という宿はない

今日、エボルタ君がその辺りを走行しているのだが、
そのインフォメーションを見ると、音羽宿だと思っていた辺りは、どうも赤坂宿、御油宿のようだ
古い千本格子窓の家並みがよく残っていた

何も調べずに、ただ東海道を走りたいという願望だけで飛び出した、
無知な自分が残念でならない

良く晴れた秋空の下、エボルタ君は快調に進んでいる
既に、日本橋から300kmを越えた

バイクで行ったこと自体はいい思い出だ
が、歩けばもっと楽しいだろうな

P1030029

2010年11月 2日 (火)

徳島

納骨に行ってきた

徳島というのは、中心地から15km弱と、地方の地理では至近距離に空港がある

空港の辺りは、藍より青いと喩えられる吉野川の河口である
吉野川の河口は、本流と旧流、支流が複雑に蛇行していて、
地図を見るだけでも氾濫原を想像させる地形だが、
実際にまさしく氾濫原で、土地の殆どを占める多くの農地が水田と藍田と蓮田である
菩提寺の裏手にも、収穫を終えた蓮田が、灰色の粘土を曝していた

うちの旧家は、その菩提寺のほど近くにあったらしい
氾濫原の旧家らしく、水害で調度品を流された伝説が残っている
家紋の入ったお膳やお椀が流されただとか、
いや、それはどこぞの誰かに預けていて、今でもあるはずだとか、その類の奴だ
真偽のほどはわからない
よくある話だ

台風は予想より早く通過し、行った日と当日の朝まで雨を引きずったものの、
9時頃には晴れてくれた

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徳島の中心街。遠くに吉野川。なんてことのない風景

菩提寺は、小さな寺である
初めて行ったのは小学生の頃で、当時は未だ無住だった
床には埃が積もっていて、歩くと足跡が残るほどだった
外見は、トタンを被せたかやぶき屋根の民家だった

その寺も、今年、本堂、庫裏を新調した
まぁ、経済的に木造というわけにはいかず、鉄骨になったそうだが、
綺麗になったことだけは間違いない

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後ろ姿は、女優市原悦子さんもお気に入りの南高梅の幸梅漬の社長
実は親戚なのだ


残念ながら、せっかく徳島まで行ったのに、菩提寺での法事で、
最小限の滞在時間である
辺りの農村風景や、時間があれば鳴門の塩田屋敷も見に行きたかったのだが、
そんな余裕はほとんど無かった

空港を出る頃には、香川県との境の山並みが美しい夕焼けに浮かび上がっていた

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B737-800の窓から

旨い魚も食べた。旨い酒も呑んだ。
タクシーの運転手は皆話好きだった
空港の手荷物預かり担当の女の子は、羽田では勤まらんだろうなぁという長閑さだった
骨になった母が好きだったという、駅ビルのホテルクレメント徳島の18階にあるバーは素晴しかった
秋の日差しと白い雲には翳りがなかった

もっと写真を撮りたかったな
また来年、一周忌で行くことになるだろう
その時には写真が撮れるといいな

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