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2010年10月30日 (土)

列車

僕は、勉強をしなかった
勉強の仕方すら知らなかった
今でも分からないけど(汗)

で、大学浪人が長かった

八王子の予備校に通っていたのは、最後の浪人と宣告を受けていた3年目だった
厚かましく育った人間の心も、さすがに傷つき、追い込まれ、落ち込んでいた
空き時間には、市内を流れる浅川の土手に一人で座って、

その頃に知った遊佐未森のアルバム「HOPE」を聴いていた
エンディングの「野の花」がフェードアウトすると、
風に揺れる秋草の乾いた音が聞こえた
哀しい気持ちで高い空を見上げ、どこか遠くに行きたいな、と思った

八王子の駅のホームには、

「次の電車」と「次の列車」という案内表示があった

その違いはよく分からなかったが、
「電車」の行き先は東京で、「列車」の行き先は、大月だったり韮崎だったり松本だったりした
「電車」はオレンジ色の通勤車輌で、「列車」はクリームと青の車体のボックス席だった

ある日、僕は「列車」に乗り込んだ
「列車」は、どこか懐かしい音を立てて、力強く山を目掛けて進んだ

深い緑の中を走り、トンネルを抜けると、相模湖という駅に着いた
「列車の交換で10分ほど停車します」と車掌が案内した
東京都下の住宅地で育った、物を知らないボンクラにとって、
10分も駅で停まるなんて考えられないことだった
車輌の床とホームの間には、ベンチほどの段差があって、
その段差に腰掛け、交換待ちの10分を過ごした
静かな、山間の駅だった

鄙びた風景の中を走る「列車」には、居心地のいい時間が流れていた
天気のいい線路には、夏の名残の日差しが降り注いでいた
頭の中では、
HOPEの一曲、「夏草の線路」がリフレインしていた

P1030071
遊佐未森「HOPE」初版限定10万枚版(デジパック仕様)

大学に入学してから6年が経った
その6年の間に、技術は進歩し続け、各地から古い色々な物が消えようとしていた

"久留米から、大分を結ぶ「久大本線」に、最後の「客車列車」が残っている"

中央東線のあの「列車」を体験してから6年の間に、

客車というもので運行されている列車が大変に珍しくなっていることを知った


晩夏、何かに取り憑かれるように、東京から各駅停車を乗り継ぎ、

九州に走る
その「列車」(1823レ、4825レ)に乗車した

1997年9月25日だった

S03  S01
久留米駅で発車を待つ1823レ         雨の豊後森駅で発車を待つ4825レ

小振りなディーゼル機関車に牽引された、赤い客車の4両編成だった

機関車は力強い機関音を
山里にこだまさせていたけれど、車内はひっそりとしていた
モーターが付いていない列車が、こんなに静かなものだとは思わなかった
その静かな車内に、機関音とホイッスルのこだま、車輪の音が染み込んでくる
乗客は、その静けさの中で、皆、思い思いの沈黙を守っていた
駅が近づくと、車掌の放送だけが車内に流れる
その、最小限の案内すら、車内の静寂の一部だった

S02
小雨の上り勾配に挑むDE10牽引の4825レ

鉄道ファンが乗っているわけでもない、のどかな山間の、小さな列車
通勤電車などの、都会を走っている「電車」とは全く違う
その違いは上手く表現できないけれど、「列車」には、乗客の人生が漂っている感じがする
あの日に感じた「
居心地のいい時間」は、乗客の人生が、列車の揺れでゆっくりと混じり合い、
日差しと光合成して、車内を満たしていた空気だったと思う

 
久大本線の客車列車は、日本に残る最後の客車列車だったが
この2年後の1999年に
廃止された
日本から、
一般的な客車列車が絶滅した瞬間だった


機関車が牽く客車列車が絶滅しても、
気動車や電車の「列車」の車内に、いつまでも、あの空気が残ってくれるといいな

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