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2010年10月

2010年10月30日 (土)

列車

僕は、勉強をしなかった
勉強の仕方すら知らなかった
今でも分からないけど(汗)

で、大学浪人が長かった

八王子の予備校に通っていたのは、最後の浪人と宣告を受けていた3年目だった
厚かましく育った人間の心も、さすがに傷つき、追い込まれ、落ち込んでいた
空き時間には、市内を流れる浅川の土手に一人で座って、

その頃に知った遊佐未森のアルバム「HOPE」を聴いていた
エンディングの「野の花」がフェードアウトすると、
風に揺れる秋草の乾いた音が聞こえた
哀しい気持ちで高い空を見上げ、どこか遠くに行きたいな、と思った

八王子の駅のホームには、

「次の電車」と「次の列車」という案内表示があった

その違いはよく分からなかったが、
「電車」の行き先は東京で、「列車」の行き先は、大月だったり韮崎だったり松本だったりした
「電車」はオレンジ色の通勤車輌で、「列車」はクリームと青の車体のボックス席だった

ある日、僕は「列車」に乗り込んだ
「列車」は、どこか懐かしい音を立てて、力強く山を目掛けて進んだ

深い緑の中を走り、トンネルを抜けると、相模湖という駅に着いた
「列車の交換で10分ほど停車します」と車掌が案内した
東京都下の住宅地で育った、物を知らないボンクラにとって、
10分も駅で停まるなんて考えられないことだった
車輌の床とホームの間には、ベンチほどの段差があって、
その段差に腰掛け、交換待ちの10分を過ごした
静かな、山間の駅だった

鄙びた風景の中を走る「列車」には、居心地のいい時間が流れていた
天気のいい線路には、夏の名残の日差しが降り注いでいた
頭の中では、
HOPEの一曲、「夏草の線路」がリフレインしていた

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遊佐未森「HOPE」初版限定10万枚版(デジパック仕様)

大学に入学してから6年が経った
その6年の間に、技術は進歩し続け、各地から古い色々な物が消えようとしていた

"久留米から、大分を結ぶ「久大本線」に、最後の「客車列車」が残っている"

中央東線のあの「列車」を体験してから6年の間に、

客車というもので運行されている列車が大変に珍しくなっていることを知った


晩夏、何かに取り憑かれるように、東京から各駅停車を乗り継ぎ、

九州に走る
その「列車」(1823レ、4825レ)に乗車した

1997年9月25日だった

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久留米駅で発車を待つ1823レ         雨の豊後森駅で発車を待つ4825レ

小振りなディーゼル機関車に牽引された、赤い客車の4両編成だった

機関車は力強い機関音を
山里にこだまさせていたけれど、車内はひっそりとしていた
モーターが付いていない列車が、こんなに静かなものだとは思わなかった
その静かな車内に、機関音とホイッスルのこだま、車輪の音が染み込んでくる
乗客は、その静けさの中で、皆、思い思いの沈黙を守っていた
駅が近づくと、車掌の放送だけが車内に流れる
その、最小限の案内すら、車内の静寂の一部だった

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小雨の上り勾配に挑むDE10牽引の4825レ

鉄道ファンが乗っているわけでもない、のどかな山間の、小さな列車
通勤電車などの、都会を走っている「電車」とは全く違う
その違いは上手く表現できないけれど、「列車」には、乗客の人生が漂っている感じがする
あの日に感じた「
居心地のいい時間」は、乗客の人生が、列車の揺れでゆっくりと混じり合い、
日差しと光合成して、車内を満たしていた空気だったと思う

 
久大本線の客車列車は、日本に残る最後の客車列車だったが
この2年後の1999年に
廃止された
日本から、
一般的な客車列車が絶滅した瞬間だった


機関車が牽く客車列車が絶滅しても、
気動車や電車の「列車」の車内に、いつまでも、あの空気が残ってくれるといいな

2010年10月29日 (金)

ひとり紅白歌合戦

桑田佳祐が昨年リリースした、アクト・アゲインスト・エイズ(AAA)のライブ映像である

この企画を知ったのはライブが終わった後のこと

歌謡曲で育った世代には堪らない内容だったので、発売したら絶対買おうと思った
でも、版権の取扱いなどが難しそうで、下手すると販売できないかもなぁ・・・・と半分諦めてもいた

が、
AAAという高尚な理念が後押ししてくれたのか、思いのほかすぐに発売された

もちろん即買いである

AAAで桑田佳祐という個性と、全世代に贈るというコンセプトだけに、
MCが個性的に過ぎたり、前半は古すぎて感情移入できるほどではなかったりする

だが、中盤あたりからアンコールまでは堪らない

中締めに当たる中島みゆき「時代」は圧巻だし、
アンコールのテレサテン「時の流れに身をまかせ」や欧陽菲菲「ラヴ・イズ・オーヴァー」は感涙ものだ

スピッツ「ロビンソン」も唄っているのだが昨夜、そのスピッツがNHKの番組に出ていた

90年代、スピッツは買わなかったな

だって、売れてたから(笑)

当時、買いはしなかったけど、
「ロビンソン」「チェリー」「空も飛べるはず」なんて、本当にいい歌だと思う

この時代の歌には、
どんな歌にも、憧れのようなものが満ちあふれている
その・・・・歌が持っている空気感というか、世界観のようなものが広々としている

そう・・・・広いんだな

聴いていると、ぱぁーーっって目の前に風景が広がる
イントロから、その世界の中に飛び込んでいくような、連れて行ってくれるような感覚になれる

それが、とても気持ちいい
ファンタジックと言ってもいいのかな

やはり、90年代初頭に脂がのりきっていた遊佐未森は、自分の音楽をファンタジーと表現していて
それは「限りなく現実に近い大嘘」だと断言していた

ところが、それは、1990年代後半に、なぜか幻のように消えてしまう
哀しいくらい、あっという間に、跡形もなく消えるのだ
あの世界を持っていたミュージシャンからも感じられなくなった
そういう雰囲気を持った少なくない数のミュージシャンが、活躍の場を失っていった

一体、何があったというのだろう?
聴く側が変わってしまったのだろうか?


桑田佳祐は、このライブで論じている

 「昔はよかった」、果たして本当にそうだろうか?
 たしかに、かつてのように、一つの歌が多くの国民の心を掴んだ時代、
 などというのは、もはや幻想かもしれない
 しかし、先達が残してくれた作品の数々は、今なお、我々の記憶やDNAの中で生き続けている
 ・・・・・・・
 ヒットポップスという名の炎は、今や、大衆の中にではなく、
 我々一人一人の胸の中で、思い思いの形となって、時を越え、熱く静かに燃えているのだ


何が変わったかなんて、そんなに深く考えることなど必要ないかもしれない
聴きたい時には聴いたらいい
手を伸ばせば、そこには素晴しい歌がたくさんある


新旧のヒットソング60曲ほどを見事に唄いきる桑田佳祐
ずっと活動を続けているミュージシャンって、たいしたものだ

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2010年10月28日 (木)

徳島との縁

うちの家は、四国の徳島に由来があって、墓は、徳島の外れの鳴門市との境目にある

小さな菩提寺の境内に、そこそこ立派な墓があるのだ
先祖が、ずいぶんと喜捨した名残だ

たとえば、曾祖父は本堂に上る石段を寄進している
その石段には、曾祖父の名が銘されていた

祖母は、住職に金襴の袈裟を寄贈している
そのお披露目では、しつけ糸のついたままの袈裟を座敷に広げ、
寄贈者の祖母が、裁ち鋏でしつけを切っていた
血縁関係でもない近所の檀家も集まっての、信心深い儀式だったな

その菩提寺に、先日他界した母の納骨に行くのが今週末なのだが、台風である
それも、大型で非常に強いって・・・・( ̄Д ̄;;

挙げ句の果てに、羽田から飛行機が飛ぶ頃に、台風が最も接近するという間の悪さ

まったく・・・・
最悪、新幹線で岡山経由になるのかなぁ

墓が遠いというのは、何かと不便である


祖母は、生前に、徳利を持って嬉しそうにちゃぶ台に座り込むじ~きたの姿を見て、
酒好きで朝から呑んでいた曾祖父にそっくりだと言っていた

その曾祖父は、40代で早くも家督を相続し、隠居している
一昼夜、新巻鮭の頭を七輪で焼いたものが大好物で、
庭先で、よだれを垂らしながら焼いていたという


ちょっと"やけくそ"な伝説を数多く残す曾祖父
箸で持つだけでも崩れるというその鮭の頭を肴に、
明るいうちから一杯やる嬉しそうな姿が目に浮かぶようだ

しかし、石段を寄進する清らかな心が似ているのではなく、
酒好きの素行がそっくりだって・・・・

もう、完全なダメ人間宣告である

でも、一度会ってみたかったな
お気に入りの深川の杯で、乾杯しましょう

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2010年10月27日 (水)

東海道新居宿

やっぱり、徒歩での諸国漫遊に憧れているのかな?
エボルタ君の東海道チャレンジから目が離せない

今日は、舞阪から新居宿を目指している
浜名湖の弁天島を越すルートだ

6年前、弁天島近傍の山本亭という鰻屋で鰻を食べたことがある
旨い鰻だった

その時に、前々から新幹線の車窓から見えて気になっていた新居の関所あたりを歩いた

新幹線の車窓からは、「日本唯一の完全遺構」とか書いてあるのが見えた記憶があるのだが、
甲武往還の栃本関にも残っているので、唯一ってのは記憶違いかもしれない

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全景写真があまりに下手で載せられないのが残念だ

建物は、閑谷学校に似た庇の掛け方をした、大きいけれどもつましいものである

左が、旅人が披見される白州で、右の座敷が役人の座
機能を失って140年ほど経っているのだろうが、
不思議と今も緊張感が辺りを支配している気がする
関所と思って見ているこちらの錯覚か、デザインの為せる技か

昔の舞阪-新居間は船でしか行き来できず、
その土地的特徴から、重要な関所だったようだ

ところが、浜名湖の内陸側対岸には、火防で高名な秋葉神社の総本社がある
こっちを通って新居の関所をパスするというルートがあったようだ
例の、泉光院の日記にその記載が残っている
さすが、日本人

ところで、関所の目の前は新居の宿場である

紀伊国屋という旅籠が綺麗に改修されて公開されている

そのウラに、ちょっと雰囲気のいい街並みが残っていた

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新幹線ならば、一瞬で通り過ぎるこのような場所に、
ほのぼのとした街道が残っている

時間を忘れてそこに身を置き、かつての旅人の姿を想像する
大抵、そこには過剰な郷愁とか、憧憬が入り交じってしまうものだ
鉄道も、車道も、歩道もない、海と浜と松並木と木造の軒の連なる街道を歩くって、どんなものだろう?

でも、その頃の日本人は、東海道を旅することにロマンなんて感じていなかったかもしれない
それが当たり前なんだから

いや、どうだろう?

現代日本人にも、何の感興もなく新幹線に乗っている人もいれば、
旅への希望や、ときめく気持ちを胸に抱いて車窓を眺める旅人もいるわけだ
江戸時代だって、毎日の仕事で通る人もいれば、一生一度の大旅行で名残惜しく通る人もいただろう
当時も、今も、そんなに変わらないかもしれない
所詮は、日本人なんだから


エボルタ君はもう間もなく新居関に着くようだ
三十一次目・・・・よくもあそこまで歩いたものだ

2010年10月26日 (火)

長野オリンピックと中村幸代

話題が古い

冬季オリンピックが長野で開催されたのは、1998年だ

冬のオリンピックなど、見に行く予定など無かったのだが、
長野に研究仲間の後輩の実家があったこともあり、
みんなの論文が上梓したのを記念に、オリンピックで賑わう長野に行ったのだ

でも、競技に増して興味があったのは、音楽だった

何故って、開会式に登場したミュージシャンを知っていたのだ

それが、中村幸代さんである

もちろん、「知り合い」ではないけど
ずっと前から、CDを買っていた人だったのだ
プロデューサーは劇団四季の浅利慶太氏だった
ハッキリ言って、有名なミュージシャンとは言えない(と思う)彼女を登用するなんて
凄い眼力だなぁと感心したものだ(生意気ですが)

中村幸代さんは、今でこそNHKなどで引っ張りだこだが、
当時は未だ、そんなに有名じゃなかったと思う

この方を知ったのは
ヤマハエレクトーン教室のTVCMだった
なんとも可愛くて雰囲気のあるメロディが使われていたのだ
ヤマハの広報に問い合わせた返事が残っているのだが、これも古い話で、
切手は62円、郵便番号は3桁、文面も手書きに捺印だ
消印は1990年4月6日だ

長野オリンピックで使われたのは、その4年後、94年に発売された
「The Arch of the Heavens」に収録されているタイトル曲である

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この人のアルバムで、一番聴き応えがある作品だ
まぁ、でも「Grace of blue」と「
The Arch of the Heavens」の2曲だけかな
その2曲のためにあるアルバムという感じだけれど、それで充分素晴しい
この2曲は、爽やかで広々とした空を思わせるメロディーと音作りが心地よいのだ

テーマカラーが青なのも、とてもよくうなずける
目を閉じれば、青い世界が広がるのだ
それは、空の青さであり、海の青さである
詩的に趣けば、雲の青さであり、氷の青さである

この一枚は、海の見える道をドライブする時に聴くといい
そして、晴れていなくても、泳げない時期でもいい
海沿いを、大切な人と走る
それが、しみじみと、あぁ、いいなぁと感じる最高のシチュエーションだと思う

お互いの目に何が見えているかは気にせず
ただ、綺麗な風景を見に行く
そんな時間の過ごし方も、悪くないと思う
そこまでクールには、なかなかなれないけれど・・・・

2010年10月25日 (月)

乗鞍スカイライン

乗鞍スカイライン、エコーラインは、日本で最も標高の高い道路である

バイクを買ったショップが、
この道を走るツーリング企画を立ててくれたので、あまり迷いもせず参加した
2002年の9月28日、29日だった

このショップのツーリングは大抵雨だそうで、この日も雨
雨の中、関越藤岡JCTから上信越道を経由し、更埴JCTから長野道を南下し松本ICへ
松本からは一般道で、初日はエコーラインを駆け上った

2700mを目掛けて一気に標高を稼ぐエコーラインは、見る見るうちに紅葉に彩られていった
地表は、森林限界を超え、低木林からガレ地へと姿を変えていく

畳平まで駆け上がると、辺り一面見事に真っ白だった

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なんも見えません(;д;)


このとおり、スカイラインは通行止めなので、エコーラインを戻ることになった
が、
下りの最初の左ヘアピンカーブで、今までのバイク人生で唯一の転倒を喫する
ブレーキ操作も未熟だったのに、
濡れた路面のヘアピンにオーバースピードで突入した当然の結末である
リアタイヤをロックさせてしまい、左側(山側)に転倒した
まぁ、悪天候が幸いして上ってくる対向車もなく、単独事故で済んだし、

転倒した角度がよかったのか、山肌をバイクが落下することもなかった
レイングローブとレインコート、ジーンズが少々破れただけで、怪我さえなかった
皆さんには大変な迷惑を掛けたが、不幸中の幸いだった

安房峠をトンネルで抜けて、平湯温泉で一泊
湯に浸かりながら、皆さんに転倒の解説などして頂きつつ、
傷みもなくキズもない結果に感謝した



翌日は晴れてくれた
天気のよい日曜だけに、乗鞍スカイラインは自動車で大変な渋滞になっていたが
その脇を、二輪の集団はすいすい上っていった
 
エコーラインに比べると、走りやすいけど単調な道だったな
標高2700mを越えるというのに、エンジンは快調だった

山頂のドライブインにて小休止
ドライブインの二階で昼食を摂っていると、登山道に熊が出現したのが見えた
観光客の近くまで来たのだが、特に被害はなかったようだ

徒歩10分ほどの山頂で記念のショット

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下山する時はエンジンがなかなか始動しなかった
標高2700mはキャブレターには厳しい環境だったのだろう

この、乗鞍岳に至る道路は、
ご存知の通り、
この年、2002年いっぱいで一般車の乗り入れが禁止された
今は、麓の駐車場からバスで行くのだろう
自然環境に対しては、その方が絶対いい

僕らの排出してきた排気ガスが、この道を一般車乗り入れ禁止に追いやったのだろうが、
この経験は、思い出として有り難く頂戴しておこう

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2010年10月24日 (日)

袋井(というか掛川(というか横須賀))

エボルタ君が袋井に到着した

11年前のバイク旅では、きっとバイパスを通過したのだろう
袋井なんて全く記憶にない

一昨年、ちっちゃな文化展を見に行って、その存在を知ったようなものだ

その際は、東海道五十三次の中間点だとは知らず、
品川から東海道在来線で行ったのだが、ハッキリ言って遠かった

静岡より向こうだもんなぁ

いつか記事にしようと思っているが、
東海道線、山陽線、鹿児島本線の普通列車(たまに快速列車)を乗り継いで、

熊本まで行ったことがあるのだが、その経験を持ってしても、袋井までは遠かった

横須賀は、その袋井駅前からさらにバスで30分ほど離れている
道中は田園風景、というより、海沿いの
茫漠たる平原という印象だ
曇天だったからかもしれない


2本ほどの道筋で構成された街並みは2kmほど連なっていた
各地の古い街をそれなりに見た目からすれば、この街はなかなかのモノである

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こうやってみると、何が良いのかお判りにならない方も多いと思う

この写真では、きっとその良さを伝えることは出来ない

要するに写真が下手なのだ

街並みというものは、いわゆる立派な建物が連なっている必要はないと思う
もちろん、埼玉の川越とか、岐阜の高山とか、三重の関とか、奈良の今井とか、愛媛の内子とか、
それぞれ素晴しい景観ではあるけれども、
一方で、この横須賀のように、
一軒一軒の建物がそんなに立派でなくても、
建物の残り方であったり、道の狭さであったり、軒の低さであったり、

上空との一体感であったり
営業している商店の種類であったりするものが、
一つの雰囲気といったものを醸成しているかどうかで決まると思うのである


まぁ、好みの問題なのかもしれないけれど
 
町内に足袋屋があったのは立派だっ
ここは春の祭りが有名で、その祭りで使う足袋を一手に引き受けているそうだ
そんな街はなかなか無い
記念に一足買わせてもらったが、残念なことに少々大きかった
でも、底に補強の布が縫いつけてあるお祭り用の特殊な足袋は、良い記念になっている

それに、こんな小さな街に醤油醸造元が残っているのも立派だ
昔ながらの醸造蔵に入らせてもらったが、木桶で仕込んでいた
香りの良い醤油だった


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街並みのほぼ中央にある横須賀のシンボル的存在の旅館、八百甚

未だに「八百甚」という江戸的屋号を使い続けているところが偉い
玄関を入ると真っ正面に二階への階段があるような
典型的な古式ゆかしい立派な旅館である
ここは、参加している芸術家の楽屋に使われていた


このように、殆ど観光美装化していない昔ながらの街道筋の風景は、
こういう陸の孤島のような町にしか残っていない
お住まいの方には失礼な言い方になるかもしれないけれど
 
ご厄介になったお宅では、有名な版画家の佐野せいじさんが店を開いていた
(知らなかったけど(゚ー゚;
)
一緒に食卓を囲んでお話ししたが、穏やかで物静かな、芸術家っぽくない方だった


ここで、今年も、今日まで「遠州横須賀街道ちっちゃな文化展」が開かれている


この街を、193年前の9月19日に、野田泉光院が托鉢していた
もし、ここをエボルタ君が通過することになっていたら、大変なことになっていただろうな

2010年10月23日 (土)

西村由紀江

ポップなピアニストとして、特に出身地の関西で有名な方だ

この方を知ったのは古い
高校3年生の頃だから、22年も前のことだ

出会いは、相当印象的だったのだろう
オーストラリアの大平原を走る鉄道を空撮で俯瞰する映像を鮮明に覚えている
その雄大な風景のバックに、「夕日のスーベニール」が流れていたのだ
あの、「世界の車窓から」の一コマである

西村さんの初期の曲は、幼稚さもあって、正直、あまり好きではないのだが、
夕日のスーベニールだけは秀逸だった
88年発売のデビュー3作目のミニアルバム「Dolce」冒頭に収録されている

以来、ずっとアルバムを買い続けた
5作目「風色の夢」は、印象派の絵画のように、
ピアノの余韻に満ちあふれるミニアルバムで、なかなかに素晴しい

しかし、なんと言っても、燦然と輝くベスト中のベストが、
1993年発売の「graceful」である

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それまでの西村由紀江という人は、割とピアノを全面に出してくる傾向があって、
曲やサウンドは、彼女のピアノ独演に付いてくるおまけのような印象だった
ところが、このアルバムでは、一転してピアノが曲やサウンドの一員になったのだ
ピアニストではなく、ミュージシャン西村という感じなのだ
でも、ちゃんとピアノが光っている(ピアニストの曲なんだから当然だけれど)

そして、そのメロディや編曲、曲順も素晴らしい

オープニングで深遠な世界に引きずり込まれ、
珍しく歌詞の付いた曲で中盤を締め、
愛の素晴しさに溢れる
エンディングまで、一気に聴き通してしまうのだ
そして、聴き終えた後は、もう、ウットリしてしまう

東郷たまみの絵が散りばめられたアルバムジャケットも、
黒染めに赤でタイトルをさらりと書いたレーベル面も素晴しい
タイトル通り、上品でしとやかで、優雅で、気品がある

もう、とにかく、どこを切っても最高の出来映えなのである


西村由紀江を聴くなら、迷いなくこの「graceful」をお勧めする


残念なことに、この後のアルバムは、ピアノ曲へと回帰、さらに純化していく
それだけならまだしも、やけに激しかったり、感情的だったりで、
面白みが無くなってしまうのだ


その一時期だけの最高の相性というものってあるのかもしれない
僕にとって、西村由紀江さんは、このgracefulの一時期が最高に相性が良かったのだろう
でも、今度こそ、gracefulに並ぶ名作をと、期待しちゃうんだよな

そう想い続けて17年も経っちゃったけど
でも、「おっさん」だなんて呼ばないでね

2010年10月22日 (金)

泉光院旅日記

「ひっそりと」の記事に登場した、江戸時代の旅日記だ

6年掛けて、本州・四国・九州を歩きたおした
山伏の托鉢修行の旅である

この本は、大江戸シリーズで有名な石川英輔氏の著書で、
原本の現代語訳に、石川氏の解説が組み合わされている

日々の記録は淡々としたものだ
原本も、托鉢をしながら、日々起きる様々な出来事や出会いを淡々と書き記しているようで、
感慨に耽るような記述はないが、
遠い過去の日常に、読む側は深い感慨を抱くのだ

この本を読んだのは97年頃
なんというか・・・・強い憧れを抱いてしまった
全国を歩いて旅することも夢見たが、
それよりも野田泉光院に憧れたのだ

でも、当然本人に会えるわけではないし、
彼が旅したその場所に立っても、
ましてや地図を辿ってみても、
憧れを満たすほどの
感慨は沸かなかった

宮崎県の佐土原出身の泉光院は、その地に墓があると本に書かれている
初めて、赤の他人の墓参りに行きたくなった

当時、路面電車の研究の取材に熊本に出掛けたあと、
肥薩線で大畑(おこば)の大ループ線を通り、人吉に下りて、都城から宮崎に出た

佐土原駅前から墓のある寺までのバスに乗ろうとしたが、運悪く最終バスが出たあとだった
翌日、佐土原の駅前で腹ごなしに太巻き寿司を買い、寺を尋ねた
寺の大黒さんに泉光院の墓のことを訊くと、珍しそうな顔をしながらも、道筋を教えてくれて
あまりお参りする方もいないので、道が悪いから注意してほしいと、
宮崎の言葉で心配してくれた

寺から墓までは、確かに人の歩いた痕跡も消えていて、
このように本当に道が悪かった

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そして、山の中腹にひっそりと佇む泉光院の墓にたどり着いた

S

土葬の影響か、墓石は幾分傾いていたが、立派な墓だった

誰一人いない山の中腹にある墓参り
墓石に触れながら、やっと逢えましたね、そう語りかけてみた
人の声は一つも聞こえなかったが、
木漏れ日の杉木立には蝉時雨が降り注いでいた

彼の旅の始まりから185年経っていた

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寺までの鄙びた風景

この町から、後に蛯原友里(エビちゃん)がデビューする
当時、エビちゃんは18歳。地元の女子高生だったようだ

小笠原を薦めてくれた人には、この旅で出会った
えびの高原あたりで乗り合わせた地元の小学生と、UNOで盛り上がった
撮った写真を、当てずっぽうで地元の小学校に送ったけれど、返事は届かなかった

この年、何度も出掛けた一人旅の思い出だ

ところで、野田泉光院は、ちょうどこの季節に静岡県掛川市の横須賀町にも滞在している
横須賀町では、今日から日曜日まで、「遠州横須賀街道ちっちゃな文化展」という催しが開かれている
沿道の民家の座敷に、芸術家の作品を展示する催しだ
それを、見物人が座敷に上がり込んで冷やかしていく
肩の力が抜けた、素晴らしい文化展だった

エボルタ君が、最寄り駅の掛川、袋井を歩くのは、日曜か月曜だろう

2010年10月21日 (木)

小笠原というところ

バイクの免許を取るキッカケとなった小笠原は、綺麗なところだった

和歌山に家はあるものの、南国に恋焦がれているわけではない
だから、沖縄や小笠原に興味はなかった
今でも、沖縄や奄美に行きたいとは特別に思わない

奄美の大島紬の工房は見てみたいけど

あの頃、自分の生き方にまるで自信がなかった
周囲の人に大きく影響された苦悩の日々だった

小笠原も、旅先の九州で知り合った人に強く勧められて、
何か変われるかもしれないと、青春の残滓に希望を抱いて旅立ったのだ

船でしか行けないことも、行くのに25時間以上かかることも、

船は数日に一便のみで、地方の旅行者は日の出桟橋近傍で一泊費やさなければならないことも、
休暇のタイミングが合わない限り、満足な滞在ができないことも、
彼の地が東京都であることも、何もかも知らなかった

それだけに、小笠原の美しさは衝撃的だった
海は、ここが抜群だった

S03
99年撮影(MIINOLTAα8700i+α28-105mmF3.5-4.5/FUJI RDP-2)

母島の南崎海岸。小富士山からの眺めだ
駐車場から一時間のトレッキングを要するこの海岸は、
一般の旅行者が普通に行ける小笠原の最南端である
右側の狭い砂浜から、左の小島まで50m以上あるだろうか
砂浜から海に入ると、その小島の岸で泳ぐ熱帯魚が見えるのだ

こういう美しさというのは、やはりこの世のモノではない
絶海の孤島ならではの、化け物のような光景だった


知らない土地を旅することで得られることは多い
でも、小笠原の旅で、本質的に何かが変わったかと訊かれれば、
何も変わらなかったんじゃないかと、今は思う
それは、小笠原が悪いんじゃない
どこだって同じなのかもしれない
 

でも、小笠原は綺麗だった


間に合わせのスキャナでは
リバーサルフィルムで撮った写真もノイズだらけ
仕方がないので、ノイズは頭で消してください

2010年10月20日 (水)

バイクの免許と松黄葉

夢の六輪生活、という言葉は一般的なのだろうか?

バイクの免許を取った頃、一度だけ、友人にそう言われたことがある

いずれにしても、合計して六輪だからといって、特別にハッピーなことはない
車は車で退屈だし、バイクはバイクで疲れる

もともと、バイクに興味など無かった
仮面ライダーに憧れる世代ではなかったし、暴走族は怖かった

なのに、なぜバイクの免許をとったのか

11年前、小笠原を旅行した折り、
現地での移動にバイクを借りたのがキッカケなのだ

人生で初めてのバイクだった
とは言っても、借りたのは、出前に使われるような原付三輪車で、大変に運転しにくいシロモノだった
でも、滞在中は晴れ100%と天気に恵まれたこともあって、まぁ好印象だったのだ

記念写真まで撮影している
これだ

S
99年撮影(MIINOLTAα8700i+α28-105mmF3.5-4.5)

内地に帰ってきて、すぐに教習所に駆け込んだ
一ヶ月で大型限定解除免許と中型バイクを手に入れた

あちこちに出掛けたが、
中でも、秩父から志賀坂峠、塩ノ沢峠、田口峠を越えて佐久平に抜けるルートは、
秋に紅葉(黄葉)を見に行く、とっておきの道筋である
道筋には唐松が多く、峠付近は全山唐松林なのだ

この日、まばゆいばかりの晴れ空と全山黄葉の中、
淋しい峠道を一人で走りながら、大切な人と紅葉を見に行く時にはココだと決めた


S99

数年に一度、この全山黄葉を眺めに行く

沿道に捨てられた分校

S05
05年撮影(MIINOLTAα507si+α35-105mmF3.5-4.5)

でも、大切な人と行く時に、バイクで行ったことはない
行かない理由と、行けない理由があったから

一緒に見に行った
その幸せを忘れない

2010年10月19日 (火)

エボルタ君の人気

エボルタ君東海道五十三次が人気だ(と思う)

行く先々のマスコミが取材をしていて、それを新聞やテレビで取り上げているのだろう
沿道には、大勢の見物人が集まっている

昨日の10月17日は、東静岡周辺を通過するということで、
機動戦士ガンダムの実物大と対面するというイベントが組まれていた

平日のエボルタ君だけでも大人気なのに、
休日にイベント会場で機動戦士ガンダムと対面なんて、
大変なことになるだろうな、と想像していたら、やっぱり大変なことになっていた

もうモミクチャである
幸い、エボルタ君の進む姿からは、人垣をよけさせる神々しさというか、
健気さが放たれていて、進路を阻まれるというようなことはなかったが、
中継カメラマン氏が気の毒であった

身長18mの張りぼての前に立つ、身長17cmの本物のマシン
180kmを歩いてきた事実は、ガンダムの大きさに全く負けない、
見えない迫力となって、エボルタ君の存在に輝きを加えていた

エボルタ君は間違いなく可愛い。そして健気だ。
会いに行きたくなるし、応援したくなる要素が満載だ
それはそれは・・・・憎いほどである(笑)

しかし、こういう大変な人気を見ていると、
みなさんにチャレンジの本分を見失わないでほしいと思うのである

早朝にスタートすることが多いこのチャレンジは、
早朝の中継を見ているとホッとする
それは、ギャラリーも皆無で、ただひたすら東海道を歩き通すという
チャレンジの本質がヒシヒシと伝わってくるからだと思う

カタコトカタコトと軽快な歩行音を立てて、脇目も振らずひたすら前に進むその姿こそ、
エボルタ君の人気の本質である

とは言っても、あのデザイン力も凄いんだけど・・・・(笑)

エボルタ君はロボットで、その姿も手塚アニメのように未来的である
でも、僕は彼のその姿に、懐かしさというか、古いものへの憧憬のようなものを感じる

猛スピードですれ違い、追い越していく自動車の横をひたすら歩く
あんなに未来的な姿なのに、やっている行為はまるっきり昔の旅人
見る者を昔のままの東海道中している気持ちにさせてくれる、
健気なチャレンジャーだ

どうか、彼のチャレンジそのものを、そっと見守ってほしいと思う


エボルタ君の写真は無いので、ちょっとだけ縁のありそうな写真を
北埼玉では有名(?)な、ガンダムファンの聖地(か?)

P1030061

屋号は「サイドセブン」
ビルは「キャスバルビルディング」
ガンプラ専門店だそうだが、店は休みだった
(開店していても入らなかったと思うけど)

ちなみに、手前のバイクは私のものだ

2010年10月16日 (土)

KAN

「愛は勝つ」のKANである

紅白に、モーツァルトのような衣装で出演したのはいつのことだろう?

でも、僕がKANを好きになったのは、愛は勝つがキッカケではない

気まぐれで、96年の新譜「MAN」というアルバムを買った
彼女との諦めきったとしか言いようのない関係を描いた「8 days A week」
昔を懐かしんで思いっきり盛り上がった後に黄昏れちゃう「DISCO 80'S」
そして、失恋の切ない心を秋の情景に重ねた「Autumn Song」

「愛は勝つ」しか知らなかったから、KANがこんな歌を歌っていることが衝撃だった
その後、殆どのアルバムを買い漁った
中古だったが

彼の歌には、中年男の切なさがぎっしり詰まっている

一見して明るい歌でも、それを支えているのは男の切なさだったりする

その男が背中を向けた時に感じる、切なさの蓄積
こちらの思いこみかもしれないけれど、男の僕からしても、
そういう時に感じる寂寥感とか、寂寞感というものは、男の魅力の一つである

そういう意味で、僕は、「Happy Time Happy Song」が大好きである
1999年発売の「クレムリンマン」に収録されている

ミュージシャンであるKAN自身を、笑顔で占う街角の占術師になぞらえている
これだけの存在感を持つ自分自身のことを、
「所詮は3,000円でみんなの背中をちょっと押すだけの存在だよ」
と、さらっと謙遜するそのメロディーはあくまで明るい
でも、その明るさに、男の切なさを感じずにはいられないのだ
だから、この歌を聴くといつもグッと胸が熱くなってしまう

この歌を聴いてしまうと、「甘海老」とか、「夏は二の腕発情期」とか、あんな滑稽な歌を歌っていても、
KANさん、心の中ではいつも別のことを考えてるんじゃないですか?と訊きたくなる
「牛乳飲んでギュー」とか、「ひざまくら」なんて、照れ隠しなんじゃないですか?と尋ねたくなる

サクッと歯切れの良い楽器の音と共に、
僕の心は、
時折無性に彼の歌を求める
そして、いつもその期待に見事に応えてくれる

P1030060

2010年10月15日 (金)

川越祭り

川越祭りは、江戸神田祭のコピーである

神田祭といえば
、威勢良く御輿を担いでいるイメージが強い

これが江戸以来の伝統かと思いきや、
戦争で山車を焼失したり、旧国鉄が低いガードを造りまくった影響で、
近年強いられての姿だそうで、
本来は、川越祭りのように、山車が町中を練り歩いていたそうだ

初めて参加したのは1995年
元町二丁目という重要な町内の山車を調査してから、
もう15年ものつき合いになるわけだ

当時、町内会長だったK氏は、川越でも重要な人物だった
この方のご一家と親交が深まったことで、
祭りでは地元民的な関わりを持つことができている
たとえば、
Kさんの町屋の前を通過する数々の山車を
振る舞いのお料理とお酒をやりながら、このように眺めてやり過ごすのだ

S06

2006年撮影(MIINOLTAα507si+α24-50mmF4)

のんびりとお囃子を奏でながら、広い川越を練り歩いていたり、
初日の夕刻に目抜き通りで勢揃いする宵宮の静寂感が好きだ


残念ながら、K氏は数年前にお亡くなりになった
その年の祭りでは、多くの山車がK氏の喪に哀悼の意を込め、
山車の向きを整えて、一礼を捧げていた

神田生まれのちゃきちゃきの江戸娘だった
奥様も、
K氏が亡くなった後、目を患うまで泣き続け、弱り切って後を追うように亡くなってしまった
その奥様は、15年前、僕に町内の揃いの法被(はっぴ)を着せてくれて、
腰をバシッと叩き、「いなせだねぇ」と言ってくれた
こんな粋な言葉、もう、一生聞くことはないだろうな


今年も、仏壇に手を合わせにいく
今年の祭りは、10月16日、17日だ

2010年10月14日 (木)

無名の「原石」

1990年代は日本のポップス(J-POP)の最盛期だそうだ

でも、リアルタイムに過ごしている時は、そんなことに気付かない

ただ幸せな音楽に浸っていた

確かに、みんなが音楽を聴いていた

CDもよく買った
当時、売れている歌は、仲間の誰かがCDを持っていた

大学に合格する直前、兄にレンタルCDの返却を頼まれた
ヴァンヘイレンやスコーピオンズ等の海外のハードロックを聴いていた兄にしては珍しく
日本のポップス、それも女性ばかりのCDだった

返す前に、ちょこっと聴いた

遊佐未森「夏草の線路」、種ともこ「虹の女神~The Rainbow Song~」・・・・
当時の僕にとって、聞いたこともない歌手ばかりだった
しかし、どれも素晴らしい歌だった
これで、90年代の音楽の趣味が決まった

僕が好きになる音楽は、何故か仲間にあまり共感を呼ばないらしい
やがて、聞いたこともない歌手のCDばかりを買うのが趣味になった

スカみたいなCDもたくさんあったが、大当たりも多かった

ふと、その中の一枚の、さらにその中の一曲を思い出して、聞いてみた
もう、昔のことからここ最近のことまで、色々なことで頭の中がもみくちゃになって
イントロで泣き出してしまった

最近、よく泣く
「不惑」と書いて「涙もろし」とでも読むのだろうか


石岡美紀"Stone in the Rough"「WHY~どこにいるの?~」作詞:石岡美紀 1992年


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Why don't you cry?
今の君はまるで 籠の中の鳥みたいだよ
退屈な心を抱えて 机にただ縛られ生きている
だから 何かすがるよりも 何か創りだして生きよう
僕らは自由な羽がある
そうさ思い出すのさ 忘れた夢

僕の姿がみえるかい君に・・・声が届くかい
君の心を閉ざした物から 救いたいのさ
どこにいるの?


ポリドールというメジャーレーベルからの発売ながら
今や、moraでもiTunes Storeでも、販売されていない


買っておいて良かった、どちらかというと無名の一曲である
僕にとって、このCDは、この一曲だけに価値がある

今、石岡美紀さんは、フラメンコ舞踏家として活躍しているはずだ

2010年10月13日 (水)

趣味というもの

趣味はなんですか?と訊かれると、結構困る
まぁ、訊かれること自体がそう無いが

大学生の頃は、ステレオに憧れていた
好きな音楽なんてたいして無かったのに、ステレオという機器そのものに魅力を感じていたのだ
重くて大きな機器から発する音は、確かに高級感に溢れていた

当時は3,000円でCDを買って聴くのが音楽だった
KANも、「Happy Time Happy song」でそのように歌っている
だから、18年前に揃えたのは、プリメインアンプ、CDプレーヤー、スピーカーだけだった

この18年間に、音楽を取り巻く状況は激しく変わった
ここ10年ほど、音楽自体から遠ざかっていたこともあって、
その変わり様には、浦島太郎級に驚かされている

このブログの記事で取り上げた松田聖子やマイラバの歌は、
一曲150円とか210円でダウンロードしたものだ

それだって、最初は中古のレコードやCDをヤフオクで買おうと思っていたぐらいだ
しかし、聖子ちゃんのドーナツ盤を買うより、ノイズのないデジタル音源を買う方が安いのだ

ということで、やっと、音楽をダウンロードして買うという時代に参加した

専ら、PCを道具に仕事をしているので、ダウンロードした曲を聴くのは簡単だ
それでも、CDに書き込んで、18年選手のステレオで聴きたくなる

ステレオは、趣味の一つなのだろう

おかげで、J-POP全盛期という90年代をリアルタイムで聴くことができた
いい思い出を与えてくれて感謝している

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カセットデッキ:TEAC V-6030S
プリメインアンプ:SANSUI AU-α607 MOS Premium
CDプレーヤー:TEAC VRDS-25x
スピーカー:DIATONE DS-700Z
 

2010年10月12日 (火)

赤いスイートピー

つき合って半年の彼とのデートの別れ際
雨降る春の駅のホームで、帰りの列車を待っている
その、ほんの僅かの時間に、
彼を想う彼女の切ない心の声を、松田聖子が歌っている

こんなに好きなのに、どうして手も繋いでくれないの?
こんなに好きなのに、どうしてこのまま帰らなければならないの?
時間なんて気にしないで。列車に乗って海に行こうって言って
あなたが思っているより、私はあなたのことを好き
線路の脇に咲く小さな花が、私には潤んで見えていることにあなたは気付いているの?


人を好きになるって、なんでこんなに切ないんだろう

好きになれば好きになる程、いろんなことがつらくなる。悲しくなる。
そんなことってないですか?


恋っていつもそうであってほしい

好きで好きで、たまらなくて、毎日相手のことばかり考えて、
会えない日はもう胸が痛くて苦しいほどで、会えば少しでも長く一緒にいたくて


そういう思いって、その歳相応の恋をしてこそのもの
やっぱり、恋愛って、ちゃんと経験してこなければならないものだと思う
赤いスイートピーも、Hello,Againも、今、この歳になって聴くと、切なくてたまらなくなる
もう取り戻せない時間、消し去ることのできない後悔


大好きな人と別れると、切ない気持ちが痛いほどわかる

幸せが、どれだけ自分を盲目にしてしまうのかがわかる


『好きよ 今日まで逢った誰より』

この歌詞に、涙が零れてとまらなかった



「赤いスイートピー」松田聖子 1982年 作詞:松本隆 作曲 呉田軽穂(松任谷由実)

中年のオッサンに、そんな、青春の苦しみを味わわせてくれる、とても素敵な曲です

彼女が連れて行ってほしかった海の代わりに・・・・


S2010_014

春色の汽車に乗って 海に連れて行ってよ
煙草の匂いのシャツに そっと寄りそうから
何故 知り合った日から 半年過ぎても
あなたって手も握らない

I will follow you あなたについてゆきたい
I will follow you ちょっぴり気が弱いけど 素敵な人だから
心の岸辺に咲いた 赤いスイートピー

四月の雨に降られて 駅のベンチで二人
他に人影もなくて 不意に気まずくなる
何故 あなたが時計を チラッと見るたび
泣きそうな気分になるの?

I will follow you 翼の生えたブーツで
I will follow you あなたと同じ青春 走ってゆきたいの
線路の脇のつぼみは 赤いスイートピー

好きよ 今日まで逢った誰より

I will follow you あなたの生き方が好き
このまま帰れない 帰れない
心に春が来た日は 赤いスイートピー

2010年10月10日 (日)

東海道五十三次

パナソニックの電池「EVOLTA」のキャンペーンで、
エボルタ君という小さなロボットが、東海道を歩いている

リヤカーを引いているような外観もさることながら、
カタコトカタコトという走行音がなんとも可愛い

USTREAMでライブ配信されているせいか、日々、人気が上昇しているようだ
さらに今日は連休とあってか、多くのギャラリーを連れて走行している


バイクで、この東海道を大阪まで走る旅に出たことがある
11年前、
免許を取ってすぐのことだ

今日、エボルタ君は静岡県の三島から沼津まで歩いている

その辺りの思い出といえば、
箱根を越えて
三島に向かう途中の、芦ノ湖を見下ろす急な下り坂で、
ヘアピンカーブを曲がりきれず、思いっきり反対車線に飛び出したことがあった

いよいよ三島の平野に下りきる手前の、緩やかに続く下りカーブから見えた、
駿河湾の広々とした眺めが美しかったな

新幹線よりも東海道線、東名高速よりも東海道
時間だけが有り余っていた、転職中の思い出だ

結局、約束の時間に間に合いそうになくなり、
愛知一宮から名神高速に乗った
約束していたのは、大阪の記事でも書いたイタリア料理店でのディナー
一緒にテーブルを挟んだのは、にっこり微笑む可愛い彼女・・・・



ではなく、あの祖母だった

ロマンはないが、孝行ではあったと思う


ところで、男ならではの旅のカタチというものがある

S060923_1051

こんなふうに、車やバイクで延々大阪を目指すなんて、男のすることであって、
女子の旅のカタチではないと思う


ちなみに、この写真はその時のものではないが、追い越し車線を走っているバイクは私だ
4年前の会津への旅でこの写真を撮ってくれたY君、拝借したよ

2010年10月 9日 (土)

頭の中

ちょっと前に流行った「脳内メーカー」

思い出して、自分の脳内を覗いてみた

まず、苗字と名前を続けた脳内

01

あながち外れてるともいえない

でも、頽廃的だ・・・・


気を取り直して、今度は苗字
と名前の間に全角スペースを入れてみた

02

あぁ・・・・がっかりである

そして、当たっている

でも、こんなもんじゃないはずと、今度は苗字と名前の間に半角スペースを入れてみた

03

・・・・気絶しそうだ


脳内メーカー。その推察力、恐るべし

2010年10月 8日 (金)

久寿玉と苗場山

日本酒である

15年ほど前の
ちょうど今頃、飛騨高山に行った
未だ安房峠にトンネルが開通していない時代のその日は、
峠にも飛騨高山にも初雪が舞った日だった

マツダのセンティアという美しい車のハンドルを握っていた


二度ほど横滑りしたものの、無事に峠を越し、下り道に差し掛かったその時、
前方に、変な角度で乗用車が数台停まっていた
路面の雪にハンドルを取られて立ち往生しているのだ

当然ながら、こちらもブレーキを掛けたが、
1.7トンの流麗な車体は、タイヤと路面の間に雪を挟み、ブレーキなど無視して滑り降りていった
山側に横っ腹を擦っても、前方の変な角度で止まっている車たちに刺さっても、
もう仕方がない
ハンドルを握る手には、肩から力が入っていた

幸い、山にも車にも接触することなく、寸前で停止し、なんとか難を逃れてたどり着いた飛騨高山

その時に巡り会ったのが、久寿玉という酒である
初雪の降る寒い季節、全身に力が入ってカチンコチンになった体
そこに燗で出された久寿玉本醸造は、この世のものとは思えない美味さだった


それ以来、久寿玉は年明けを祝う酒として定着していた

その後、旅に行けば地酒の普通酒を試してみた
ところが、みんな美味いのだが、久寿玉のような衝撃を受ける酒はなかった


しかし、昨年、ついに、久寿玉級の衝撃に出会った

それが、先日の記事にも書いた、中魚沼津南の苗場山である

P1030054

今年の正月は、この苗場山で祝った
実家は今年も久寿玉だったので、祝いがてら飲み比べたが、
華やかでゴージャスな久寿玉に対し、苗場山は清廉でしとやかだ



酒はギリシャのウゾー以外、何でも好きだが
やはり、こういった普通に美味い日本酒を口にした時の安心感は格別だ
つくづく日本人なんだと思う

ちなみに、ライオンの涙とも形容されるウゾーは"OUZO"と綴る
"UZO"ではないので注意が必要だ
その強烈なニオイと、苦さというか、エグさにも注意が必要である

2010年10月 7日 (木)

昨日で、40歳になった

Fortyである。ふぉーてぃ

「不惑」と雅に表現することもある
孔子の論語から来ている
惑わず生きるお年頃、という意味だ

先日、とても素敵な形の杯をヤフオクで見つけ、
運良く手に入れることができた
ちょっと古手の深川製磁のものだ

その杯には、幾つかの漢語が、篆書体や象形文字で手書きされている

その中で、唯一解読できたのが

自彊不息」~じきょうやまず~
自から努めて励むこと。息もつかずに

P1030057_3

・・・・

こんな言葉、なぜ杯に書いたのだろう?


なぜ40をFourtyと綴らないのだろう


ちっとも不惑じゃない、40歳二日目の晴天の朝

2010年10月 6日 (水)

大阪のまち

大阪には縁がある

殆どの親戚が住んでいる

そのうち、母方の祖母は北摂の豊中に住んでいた

その祖母は、戦前から、市内西区靱、東淀川区淡路、北摂と、
60年も大阪に住んでいながら、通天閣に上ったことがないという

5年前、成人の日の連休を使って、その祖母と新世界界隈に行った
十日戎は宵宮で賑々しかった。
80歳を越えた祖母は、同じ大阪でも北摂とは全く異なる新世界の光景に目を輝かせていた

通天閣から見下ろす冬晴れの大阪のまちは、雑然そのものだった

Dscn2622

通天閣から見下ろすこの大阪の街を、祖母はどのような想いで見ていたのだろう?
この時、祖母は、不思議なほどに無口だった

その祖母も、2年前に他界してしまった

祖母と行った「すし捨」は、前出の記事のとおり消滅してしまったが、
やはり祖母と行った北摂のイタリア料理店は、今も美味しい料理を饗してくれる
祖母が亡くなった今も、夏の休みにはディナーを味わいに行っている

大阪に縁のできた、大切な後輩がいる
いつか、そのイタリア料理店を教えてあげよう

2010年10月 3日 (日)

Hello,again~昔からある場所~

JUJUという歌手が歌うCMで久しぶりに聞いた

発売当時は大学生だった
マイラバのオリジナルが聞きたくて、
iTunes Storeで買った

いい曲だ

スピード感、メロディー、ボーカルの声、そして歌詞
90年代を彩るJ-POPの中でも、神懸かり的な名曲だと思う

こういう曲を聴くと
10代~20代の若者には、その時でなければできない恋愛を
思いっきり経験して欲しいと、心の底から思う

そして、可愛くて仕方がない彼女を思いっきり愛し
大好きで仕方がない彼に思いっきり甘えて、
たくさんの幸せを経験してほしい
うまくいかずに別れてしまったら、たくさんの悲しみを経験してほしい

恋愛経験がなくても生きていけるけど、
そういう経験があるほうが、心はきっと豊かだと思う

P1030048

 

2010年10月 2日 (土)

群馬と魚沼の山奥で

このブログで冷製パスタを食べていた母が他界した
看病と葬儀の疲れを癒すため、その母も好きだった四万温泉に弔い旅に出た

行き帰りに一般道を使っても充分ゆっくりできるので、いつもは高速代を節約する
が、今回は高速を使って時間を稼ぎ、そのぶん足を伸ばしてみた

S2010_003

富澤さんのお宅、国指定の重文である
豪放に、端正に、誠実に、自由に、見事な造りだった
何故だか、平使いの梁が多かった

30分ほど、くまなく見学させていただいたが、
その間、他の誰一人として訪問者はなかった


有名なこの宿は県指定の重文である
半年前までは、玄関以外は飾り物同然で宿泊客は殆ど利用できなかったのだが、
今回は、その三階で食事が饗された
建物は、
使うより使わないほうが傷む。とても素晴らしい判断だと思う

P1030038

切り妻屋根が玄関の車寄。その上のガラス建具の奥が、食事を頂いた部屋である
中廊下の両側に六畳間が五室ほど連続している。どこで食べてもいい
半年前までの、古めかしい大広間での食事とは雲泥の差だった


翌日は高速でさらに北を目指した
ちょうど一年前、後輩達と旅した中魚沼である

S2010_053

小雨模様で、この神秘的な名水の池には霧がかかり、
森の
緑の葉の下には赤や白のキノコが傘を開いて、幻想的ですらあった

この池の水は、一年前の旅で知った苗場山という酒の仕込水にも使われている
苗場山は、40年の人生で巡り会った、飛騨高山の久寿玉に並び、口に合う酒である
帰路、立ち寄った苗場山の醸造元は、イメージどおりの素朴な酒蔵だった

ぱらぱらと降る雨は、去来する想いを顧みるのにとてもよかった

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